EP06:シンクロ
「う……」
二人が気を失ってから一時間ほど経過した後。少年が目を覚ました。
「く……」
そして、激しい頭痛と吐き気に顔を顰める。
「……くそ、色んな意味で最悪な気分だぜ」
イシュタルの行使したノーマ・リフレクションによって、少年は現在の肉体の記憶を取り戻す事に成功した。
また、イシュタルとのシンクロも発生し、この美しい医師の過去と現在の状況も理解した。
そして、その両方ともが……
「シャレにならねえ……なんだよ、それ」
少年は初めて、異世界転移したことに小さな後悔をしてしまった。
「いや、ダメだ。俺はこの世界で、俺の望む未来を手に入れるんだ。ああ、やってやるさ。今の気分は最悪だが、この肉体を手に入れたことは僥倖だ。ほぼ理想通りの……」
そう、その肉体に宿る能力はまさにチート。全世界とは全く異なる成り立ちを持つこの世界の中でも、最高ランクのチカラを秘めているのだから。
「う……」
少年が吐き気と頭痛を気合いで吹き飛ばしていると、少年の上に折り重なるようにして倒れたイシュタルが小さなうめき声を上げた。
「っと、そうだ! イシュタル先生! 大丈夫ですか!?」
少年は、自分の上に感じる適度な重みと、極上の柔らかさを持つ女医に呼びかけながら状態を確認する。
イシュタルは鼻と耳から血を流し、荒い息を吐いていた。
「常人とは全く違う俺とシンクロを起こして、普通とは比べ物にならない程のキックバックが起こっちまったか」
少年は、体の上からイシュタルをそっとおろしてベッドに仰向けにする。
そこで、鼻と耳だけではなく、閉じられた瞳からも紅い血が、まるで涙の跡のように流れ出ていたことに気付いた。
「とりあえず出血は止まっているようだけど……鼻はともかく、耳と目からの出血はヤバいな」
少年はそう呟きながら、イシュタルの閉じられた瞼を指で慎重に開いてみる。
「……うん、毛細血管が破裂して充血はしているけど、そんなに深刻な事は無さそうだ。鼻と耳からの出血も乾いているし、流れた量も大したことは無い。とりあえず『クゥア』を掛ければ大丈夫だろ」
イシュタルの状況を確認し、それほど酷くは無い事が解りホッとする少年。そして少しだけ意識を集中し、中級治癒魔動の『クゥア』をイシュタルに掛け、魔動治療を行った。
少年がイシュタルの状態を診断し、治癒魔動を使えたのは、この肉体の記憶が甦ったからである。
記憶の中には、この世界の様々な知識、魔動技術、体術、戦闘技術、更には……
「滅殺の技術、か……」
それは、人だけではない。
この世界の生きとし生けるものすべてを殺戮するための知識と技術。
いや、生けるものだけではない。生ける屍を始めとする、俗にいうアンデッドと呼ばれる存在全てをも滅ぼすための知識と技術。
そして、この世界そのものすら崩壊させる為の知識と技術。
それら全てが、この肉体には徹底的に刻み込まれていたのだ。
「だけど……こんだけチートな体なのに、やらされてた仕事はチンケだよな」
少年は自嘲気味に呟く。否、自嘲ではない。この肉体の、本来の持ち主だった少年への同情……いや、憐みであった。
(お前、哀しかったのか……)
そんな、とんでもない存在であったはずのこの肉体の持ち主が、なぜ貴族の令嬢を身体を張って救ったのか。
いや、この肉体であれば、魔動車に跳ねられそうになったカレラを救うのに、身体を張る必要など全くないのに、なぜそんな事をしたのか……
(想いの方向性だけは、俺と同じだった、のか……)
少年は想いを馳せる。今は亡き、この肉体の本当の主の張り裂けそうな想いに。
「安心しろよ、俺」
そして決意した。この肉体の想いを、果たす事に。
「俺が俺の為に、俺の想いを叶えてやる。どっちにしろ、そうしなきゃこの世界での俺の理想は実現できないしな」
そしてもう一つ。あどけなささえ感じさせる、女医の寝顔に視線を落として。
「イシュタル先生。貴女の事も、俺が解放しますよ。貴女の大切な娘――シュバルト・エルフィンのフリューイアもね」
少年はそう、呟いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
それから一時間ほど刻が過ぎ。
少年は、これからやるべき事を整理しつつ、昏睡るイシュタルの美しい顔を見詰めていた。
大人の女の艶っぽさと、少女のようなあどけなさが見事なバランスで同居する美しい女医の寝姿は、いつまで見ていても見飽きない。
(ほんと、綺麗で可愛いよな……)
少年は飽きることなく、イシュタルをじっと見詰める。
既に治癒魔動を行使してあるので、あとは彼女が目を覚ますのを待つだけだ。
もちろん、目と鼻、耳から流れていた血は綺麗にふき取ってある。
「ん……」
「あ、イシュタル先生。気が付きましたか」
「んう……頭が、割れるみたい……気持ち、悪いよぉ……」
と、イシュタルがうっすらと瞳を開け、いつもの大人びた口調とは全く異なる、まるで幼子が起き抜けに駄々を捏ねるような口調で呟いた。
少年は、その姿に驚くとともに、外見はともかく内面の印象は成熟した大人の女性として振舞っていたイシュタルの意外な、とても可愛らしい面を見せられて思わず微笑む。
「……きゃ!?」
そして、生暖かい視線を投げていると、イシュタルが完全に目を覚まし、状況を理解したらしく愛らしい叫びを上げつつ毛布で顔を隠した。
「イシュタル先生、大丈夫ですか?」
少年は、そんなイシュタルを見て、微笑を更に生暖かいものに変えつつ誰何する。
「き、聞いたのか!?」
だが、イシュタルは少年の問いに答えることなく問い返して来た。
「聞いたって、何をです?」
「わ、私が起き抜けに言った事だ!」
毛布にくるまったまま、更に誰何を続けるイシュタル。恐らく、毛布の下の顔は真っ赤だろう。
「ああ、『頭が割れるみたい……気持ち悪いよぉ』でしたっけ?」
「うわあああああああ! 忘れてくれ! 寝惚けてたから! 独りことだから!!」
冷静沈着な印象しかないイシュタルの、思わぬ愛らしさに触れて少年はほっこりする。
「はいはい、大丈夫ですよ。もう忘れましたから」
「……本当だな?」
少年の言葉に、毛布の下から目だけ出して拗ねたように尋ねるイシュタル。
もちろん、白いおでこと長い耳は真っ赤だし、思いっきり涙目だ。
(なにこの可愛い生き物)
少年は最高の笑顔を見せつつ、
「ええ、本当ですよ。とっても可愛らしかったです」
「はうっ!?」
と、美しくも愛らしいエルフの医師へトドメを刺した。
その後、イシュタルはしばらくうじうじぶつぶつと毛布の下で文句や言い訳を呟いていたが、数分黙り込んだ後にバッと起き上がると紅かった顔も直り、普段の凛々しいエルフ女医に戻っていた。
「うん、見苦しい所を見せてすまなかった。それで、君の記憶だが……」
「はい、戻りました。途轍もなく気分の悪いヤツが」
「……」
少年がイシュタルの記憶とシンクロしたという事は、恐らくイシュタルも少年の記憶にシンクロしたはずである。
その証拠に、イシュタルの表情に昏い何かが落ちていた。
「……君が私にシンクロしたように、私も君の記憶を見せてもらった。何というか、その……」
イシュタルが言い難そうに口籠る。それは当然のことであった。
「お気を使って頂いてありがとうございます。でも、大丈夫です。今の俺は、もうね」
だが少年はニカッと笑い、イシュタルにそう言った。
「そうか……君は強いな。ところで、君は私のどのような記憶を見たのかな?」
イシュタルが、意味不明な質問をする。しかし、少年は正確にその真意を捉えていた。
「はい、本来の記憶を見せて頂きました」
「そうか……君ほどの者ならば、それも当然か。騙すような真似をしてすまなかった」
「いえ、当然でしょう。ノーマ・リフレクションを行使するたびに先生の記憶や私生活が相手に覗かれたらたまったものじゃないでしょうしね」
「ありがとう……」
イシュタルは少しはにかんだ微笑を浮かべて礼を言う。
そう、イシュタルの本来の記憶にはプロテクトが掛けられており、本来の記憶の上に読み取られ専用のダミーが被されているのだ。
だが、少年の能力の影響と、あまりにも苛烈な少年の記憶に触れたイシュタルの精神がショックを引き起こし、結果的にダミーの記憶層が破砕され、イシュタル本来の記憶が少年にシンクロしたのだった。
「とりあえず、私の記憶は置いておくとして……君の名前が解ったな。しかし呼ぶには何というか……ちょっと抵抗が有るね……」
「あ、アレは無しで。あんな厨二病そのものの名前で呼ばれたら全身の穴と言う穴から血を噴き出しつつ悶死してしまいます」
「ちゅうにびょう……? なにかな、それは」
「いえ、お気になさらず」
妙な所に突っ込んでくるイシュタルを無理やり交わし、冷汗を浮かべる少年。
ちなみに少年の――この世界の少年の呼称は、『カスタトロプの担い手』、略して『カストゥーロ』であった。
「アレはコードネームみたいなもので、本当の意味での名前ってわけじゃありませんし。本当の俺の名は……」
そこで少年――男は言い淀む。彼の本当の名前。それがこの世界の少年の物であるならば、『アリオス』であった。だが――
(悪いな、アリオス。俺は俺の名を名乗らせてもらうぜ。その代り、必ずお前の想いを成就させてやる。俺が俺の為の世界を創る前にな)
男は瞳を閉じ、肉体の元の持ち主であるアリオスに向かって思う。
イシュタルはそんな少年をじっと見つめ、急かすことなく彼の言葉を待った。
「……そう、俺の名は北斗。そう、呼んで下さい」
「ホクト……そうか、良い名前だね」
北斗。その名は男の姉が付けた名前。男が自分の持ち物の中で、最も気に入っている物だ。
少年が生まれた時、幼い姉が病院の窓から美しく光る北斗七星を見て、名付けてくれた――
(俺はこれから、この世界で生きて行く。『アリオス』でも『カストゥーロ』でもなく、『北斗』として、な!)
少年はイシュタルに向かって優しく微笑みながら、己とアリオスにそう誓った。
「さて、それはともかく……君がなぜ、彼女を――カレラ嬢を庇って魔動車に跳ねられたのか、いやそれよりも、未だ行方が分からないあの謎の魔動車の操者が誰だったのか……」
「解りましたね。いやそれどころか今回の件、見ようによっては俺の自作自演としか思えないわけですが」
「うむ……シンクロで事故当時の君の想いは解っているから、私は別に何とも思わないが、ビルシュタイン卿を始め今回の件を捜査している警察騎士団にはどう思われるか……」
「そうですね、恐らく俺は逮捕され、魔動車の操者名を吐くまで拷問された挙句に処刑でしょう」
「うむ……」
それは当然のことである。未遂に終わったと言え、今回の事故は『カストゥーロ』とその裏に居る組織の仕組んだ、カレラを狙った暗殺だったのだから。
「とりあえず、その件はまたじっくり考えよう。なに、心配は要らないよ。私は口が裂けてもしゃべらないから」
「いや、口を裂かれそうになったらしゃべってもらっても結構ですけどね。でも、ありがとうございます。」
「ふふ、律儀だな君は。で、君の素性についてなんだが……」
そこまで言って、イシュタルは口ごもる。
「その前に。先生は俺の記憶にどこまでシンクロしましたか?」
と、北斗は先手を取ってそう尋ねた。
(とりあえず、『アリオス』の記憶はほぼ見られただろうな。問題は……)
そう、問題は、『北斗』の記憶……つまり、前世界の記憶を見られているかどうかである。
「ん? 一応、全部見せてもらったと思うが。君が何者で、今までどんな風に生きて来たか。そして、今回の事故の時、君が厳誓約を破り、命を捨ててカレラ嬢を救ったところまで」
「それ以外には?」
「ん? それ以外とは……まさか君も何か記憶を偽装しているのか?」
イシュタルはさすがに鋭く突っ込んで来た。もっとも、自分自身がしていたので気付いて当然なのかもしれないが。
「いえ、偽装なんかしてませんよ。大したことではありませんが、少し気になる事が有りまして……」
現時点で、自分が異世界からこの肉体に転移して来た事をイシュタルに話すべきかどうか迷っている北斗は、とりあえず誤魔化した。
「ふうん……? まあ、今は置いておこう。私がシンクロした君の記憶はそこまでだ」
「そうですか……」
やはり、前世界の記憶は無くした訳では無いので、シンクロしても見られなかったようだ。
少しの間、二人の間に沈黙が降りる。
「それで……」
「あの……」
沈黙の後、二人が同時に口を開こうとした時。
「夕食お持ちしましたあっ!」
スパーン! とドアを開け、食事の載ったトレイを持ち、満面の笑みを浮かべたチェイニーが病室へ入って来たのだった。
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