EP04:プリンセス・カレラ
静かに病室へと入って来た少女。
その少女は、鮮烈な印象を見る者に与えた。
父親のそれとは違う、輝く金髪を腰まで伸ばし、窓から入る陽光に煌めかせている。
身長は160センチほどだろうか、恐らく少年とほとんど変わり無いだろう。
卵形の小さな顔にはすっと一筆で引かれたような金の眉、瞳は父親と同じスカイブルー。
つん、と高い鼻。桃色の、少し厚めだがカタチの良い唇。それらが絶妙の配置で納まっている。
身に着けているのは、純白のドレス。所々に金色の飾りがあしらわれており、超高級品だと一目で解る。
控えめに開いた胸元からは、これも絶妙なサイズの胸の谷間が僅かに覗き、その豊かさを主張していた。
(……88センチEカップってところか)
少年は、一瞬だけ、本当に一瞬だけ胸元に視線を向けてから予測した。
ちなみに少年の見立てでは、イシュタルのサイズは110センチJカップ、チェイニーは75センチAAカップである。
だが少年の不埒な視線に気付くことも無く、少女は瞳を伏せている。
後方左右には、濃紺に白のエプロンドレスを着こなした、主人ほどではないが十二分に美しいメイドを侍らせ。
(プリンセス、だな)
少年の感想は、まさに正鵠を射ていたであろう。
この国の王女、と紹介されても全く違和感の無い完全無欠のプリンセスがそこにいた。
「カレラ」
「はい、お父様」
父親に促され、少女は伏していた瞳を少年に向ける。
「私は、ファランクス王国公爵ガラミス・ヴォン・ビルシュタインが三女、カレラ・シルヴァルゼ・ヴォン・ビルシュタインと申します。先日は危急の所をお助け頂きまして、誠にありがとうございました」
外見に違わず、美しい声で感謝を朗々と述べるカレラ。だが――
(感情がまるで籠ってない。まるで素人役者が台本を読み上げているようだ)
美しく、清楚な姫君。しかし、感情がほとんど見られない。
少年は、カレラから造りもののような、無機質な雰囲気を感じた。
(お人形さんみたいだ。悪い意味で、だが)
少年は『プリンセス』に付け加え、カレラから受ける印象を結論付けた。見るからに高貴、かつカリスマ的な雰囲気を纏っているとはいえ、感情の動きが見られず平坦さが目立つ。
この美しい少女は、恐らく殆どの者に対して心を開いていないのだろう。
もしかすると、父親にさえ……
だからと言って、黙ったままでいるわけにもいかない。
「いいえ、カレラ様。貴女の様なお美しい方が無事で何よりでした。ただ、僕は記憶を失ってしまい、自分の名を名乗る事さえ出来ません。どうぞご容赦下さい」
なので、少年はすらすらと当たり障りのない答えを返しておいた。
「いえ、お気になさらず。もしかして、記憶を失ったのは私を救った事故のせいでしょうか?」
「ええ、そう言う事になります。しかし、貴女が気に病む必要はございません。これもまた、何かの巡りあわせでしょうから」
「……」
少年の言葉に、ほんの少しだけだがカレラの瞼がピクリと震えた。
(お……完全なお人形さんってワケでもないのか……)
少年は注意深くカレラを観察する。だが、それ以後彼女が口を開くことも無く、精神の揺らぎなどは見られなかった。
(待てよ?)
少年は、ここではたと気づく。
(俺って、こんなに他人の様子を伺って心の動きを読んだり、場の空気とかを読めるヤツだったっけ?)
答えは断じて否である。それほどまで優れた観察力や洞察力が有れば、恐らく異世界転移など望まなかっただろうし、万が一望んだとしてもあんな荒唐無稽な手段を試そうとはしなかったはずだ。
(このことに気付いたのも含めて、この肉体の本来の持ち主の精神に引き摺られている、のか?)
少年は考える。だが、今すぐに答えなど出るはずは無い。
(ま、そんな事はとりあえず後回しだ。どっちにしても、俺がここに……異世界に来たのは、俺の望む生き方を実現する為なんだからな)
少年は思考の縁に佇むのを放棄して、現況分析に精神を引き戻す。
先ほどの会話終了から、カレラはもちろん誰一人として言葉を発しなくなっていた。
そのまま、しばし沈黙が場を支配した後。
「カレラ様からの感謝も頂きました。先ほども申しましたが、僕の様などこの誰とも解らぬ男の為に過分なお言葉を頂きまして、改めて感謝させて頂きます」
少年は、沈黙を破ってカレラとビルシュタイン卿に向かって一礼する。
「さて、そろそろお昼です。ビルシュタイン卿、彼もまだ気が付いたばかりですので、流動食を摂らせねばなりません。今後の事は午後の検査結果が出てから改めてご相談したいのですが」
すると、それに応えるようにしてイシュタルが助け船を出してくれた。
「うむ、そうだな。今日の所はこれで失礼するとしよう。カレラ、今日のところは帰ろうか。先に外へ出ていなさい」
「はい、お父様」
ビルシュタインに言われ、カレラは少年に向かって一礼すると静かに病室から退出して行く。
カレラに付き従う二人のメイドもビルシュタインに深々と一礼したのち、続いて出て行った。
「少年よ、あれの……娘の態度に気を悪くしないでくれたまえ。カレラは少し疲れているのだ」
「狙われることに対して、ですか」
少年は、ほとんど無意識にそう呟いてしまっていた。
カレラはビルシュタイン卿の三女と自己紹介していた。という事は当然、最低でも二人の姉がいる。また、公爵家という事を考えれば跡継ぎ確保の為に兄や弟、妹が何人か存在してもおかしくない。
さらに言えば、姉二人や他の兄弟と母親が同じとは限らない。
きっと、公爵家の跡目や政略的な婚約・婚姻など、厄介かつ面倒なことが山のように有るだろう。
そして、現在は感情をほとんど表に出さず人形の様な雰囲気を纏っているとはいえ、先ほど僅かな時間会話しただけでも溢れ出るカリスマ性は感じ取れた。
という事は、年下の弟妹はともかく、上の兄姉には疎まれているのではないだろうか? もちろん、ビルシュタイン公爵家の跡目を争う者として。
「……君は、恐ろしい少年だな。どうしてそう思った?」
「あ、不躾な事を申し上げました。申し訳ありません」
ビルシュタインが鋭い視線を少年に投げつつ、誰何する。
少年はあまりにも考えなしに発言してしまった事を後悔し、謝罪した。
「いや、構わん。で、私の問いに答えてくれないか? どうして、あれが狙われていると思ったのだ?」
「それは……」
ビルシュタインの瞳を見返し、少年は少々言い淀む。だが、観念したように先ほどの考えを吐露した。
「……と、予測したのです」
「ふむ……」
少年とビルシュタインが話している最中、イシュタルは非常に興味深そうに聞き入り、チェイニーは今にもビルシュタイン卿が怒りだしてしまうのではないか、とハラハラしつつ二人を見詰めていた。
「君の推測は、概ね正しい。私には二人の息子と、カレラを含め四人の娘がいる。そのうち、正妻が生んだのが長女、二男、カレラの三人。他は全て母が違う」
「はい……」
「そして、王や王子に最も覚えが目出度いのはカレラなのだ。このままであれば、近い将来カレラは第二王子の婚約者となるだろう。いや、第一王子に望まれる可能性も充分にある」
「……」
第一王子の妻。それはつまり、次期王妃という事だ。
「この場合、家の跡取りの座を保ったまま王妃となるのが我が国の習わしだ。つまり、カレラはファランクス王国王妃かつビルシュタイン公爵となる」
「となると、ご長男、かどうかは解りませんが……実質的にビルシュタイン家を切り盛りするお子様は、公爵の地位を得られないという事になるのですね」
「その通りだ。苦労と仕事、役目は多いが、財産的にはともかく地位はただのビルシュタイン公爵家預かりとなるのでな、これでは納得いかんのも仕方あるまい」
確かにそうだ。長男が取るか次男が取るか、それとも長女が取るかは知らないが、それでは貴族としての矜持は立たないし、プライドも傷付くだろう。
「カレラ様が王妃となられたとして、その後に公爵位を退かれる、もしくは譲られる事は不可能なのですか?」
「実質的に不可能だ。それが可能となるのはカレラが死亡、もしくは何らかの理由により三年以上行方不明になった時のみだ」
「では、最も良いのはカレラ様が第二王子殿下にお輿入れなさることでしょうか」
「それが、一概にそうとも言えんのだ。そうなった場合、カレラには出身であるビルシュタイン家と同じ公爵位が下賜され、その当主資格が与えられる。しかも同じ公爵家としての序列は、王家に属するカレラの方が上となる」
「それはビルシュタイン公爵家を継がれる方にとって、面白くは無いでしょうね」
「そうだ。せめて兄妹仲が良ければ、大した問題にはならないのだがな……」
ビルシュタインは、自嘲気味にそう言って窓へ視線を向けた。
その心中はいかばかりであろうか、少年には想像もつかないし、また解りたくは無かった。
そのまま会話が途切れ、またしても沈黙が場を支配する。これ以上事情を聞いても少年に出来る事は無いし、厄介なお家騒動に頭を突っ込みたくはないと考えて黙っていると、ビルシュタインが口を開いた。
「……詮無い事を話してしまった。とりあえず今は忘れてくれ」
「……はい」
今は、というのはが妙に引っ掛かるが、少年は敢えて反応せずに流した。
「それでは私もそろそろ失礼する。イシュタル君、治療経緯は随時報告してくれたまえ」
「はい、承りました」
ビルシュタインの言葉に、イシュタルが恭しく頭を下げる。
それを見て満足げに頷いたビルシュタインは、続いて少年に視線を投げた。
「少年よ、何か必要なものなど有れば遠慮なく彼女に言ってくれ。可及的速やかに手配しよう」
「はい、ありがとうございます」
そして少年の礼に頷くと、カツカツと足音を響かせつつ病室から出て行った。
「ふう……」
つい先ほど意識を戻してから、怒涛のように訪れたイベントに、さすがに疲れを感じた少年が大きく息を吐く。
「さて、では少し早いが食事にしようか。チェイニーくん、彼の荷物を置いて、流動食を取りに行ってくれないか? 給食部には準備を頼んである」
そんな少年の様子を見て苦笑したイシュタルがそう言う。
と、チェイニーはむすーと上目遣いでイシュタルを睨みつけ、ベッドの脇へ、抱き締めるように抱えていた服と荷物を置きながら。
「私がいない間に何するつもりなんですかぁ?」
不満タラタラと言った様子で、イシュタルに絡み始めた。
「何を言っているんだ、変な勘繰りをしないでくれ。さ、行った行った!」
しかし、呆れた様子のイシュタルに追い立てられ、渋々と病室から出て行く。
「エッチなのはダメですからね! ゼッタイ!!」
だが、出て行く寸前にそう我鳴り、バタン! と強めにドアを閉めて行った。
「やれやれ、困ったものだ」
それを見送ったイシュタルが。ため息を吐きながら苦笑する。
「先生、じゃあ今のうちにノーマ・リフレクションを……」
「まあ待ちたまえ。さすがに彼女が食事を持って帰ってくるまでに終わらせるのは厳しい。もしも『シンクロ』が起これば私も少なからず消耗するしな。まあ、午後の検査後、夕食前に行う事としよう」
少し焦るように言い掛けた少年を、優しく微笑みかけながらイシュタルが宥める。
「私も午前中にやる仕事が他に残っているのでね、一度戻らせてもらう。チェイニーくんのいう事を聞いてちゃんと食事を摂るように。また検査前に来るから」
「……はい、解りました」
「ん、良い子だ。それではな」
イシュタルはそう言って、片手を挙げて部屋を出て行く。
そして、病室には少年が独り、ポツンと残されたのだった。
お読み下さりありがとうございます。
次回更新は水曜日の予定です。
ところで皆さんは鉄血は好きですか?
今日は衝撃のあまり夕食が喉を通りませんでした。
ビスケット……安らかに眠ってくれ……