EP03:ガラミス・ヴォン・ビルシュタイン公爵
「これは……」
男は、コンパクトらしきものの片面に納められていた小さな、しかしとても精緻な絵に驚いた。
(写真……? なわけないか。それにしてもすごい絵だ。描かれているのはイシュタル先生と年配の男女……これはご両親か? あと背の高い青年、小学生高学年くらいの少年……全員エルフだよな。それともう一人……)
描かれている人物は一人を除いて全て濃緑の髪と、同じく濃緑の瞳――目の前の美しい医師と同じ――を持つエルフ。しかし、一人だけ。
輝く白銀の長い髪、真紅の瞳。そして、チョコレートのように黒い肌の少女。
「ダークエルフ……?」
そう、それはファンタジー作品でもお馴染みのダークエルフにしか見えなかった。
「いや、シュバルト・エルフィンだ。ダークエルフとは全然違うよ」
「え?」
イシュタルからの訂正が入り、男は自分が呟きを発していたのに気付いた。
「あ、すみません! あんまり綺麗な絵だったんで、つい見惚れてしまって……」
男は慌てて謝罪する。しかし、イシュタルは気にした素振りも無く微笑んだ。
「なに、構わないさ。それよりも、自分の顔を確認したらどうかな?」
「あ……! す、すみません!」
男はイシュタルの言葉に再び謝罪すると、大急ぎで小さな鏡を覗き込んだ。
「!?」
そして、辛うじて声を上げる事は堪えたが、先ほど絵を見た時とは比べ物にならない程驚愕してしまった。
(こ、これは……!?)
少し歪な、小さな鏡。さすがに前世界の様な完全平面かつ気泡が一つも無いようなものではないが、それなりにしっかりとした造りになっている。
そこに映った、男の顔……それは、イシュタルが言ったようにせいぜい12~3歳にしか見えない、まだあどけなささえ残した少年の顔だった。
しかも、男の少年時代とは似ても似つかぬ美少年である。
(これは……どう見ても俺じゃない。やはり、この世界の誰かの中に転移してしまったのか)
少し長めな黒い髪と、白に近いが明らかに黄が混じった肌こそ前世界の男と同様に見えるが、その目鼻立ちは彫りが深く、純日本人のそれでは無い。
瞳の色は右が漆黒、左が紺……というか、メタリックの様な艶を持つブルー。前世界で、ネタ交じりにとある自動車メーカーの特徴的な青色が『キモオタブルー』と呼ばれていたが、まさにあの蒼色だ。
そして、すらっとした高い鼻、小さいがカタチの良い唇、尖った顎。
十人に聞けば十人が好みの差は有れど『美しい』と答えるであろうその顔。
男は、鏡に映る己の顔を大きな驚きを持って見つめてしまった。
「どうした? 自分の顔に見惚れているのか? まあ、その美少年っぷりなら無理もないが」
男、いや少年がボーっと鏡に見入っていると、イシュタルからからかう様な言葉が飛んで来た。
「あ、いえ、その。そう言うわけでは……」
しかし、まさに言われた通り己の顔に見惚れていた少年は、真っ赤になりつつ鏡から瞳を引き剥がす。
「いや、からかってすまない。しかし、君のルックスは私から見ても大層魅力的だよ。チェイニーくんが熱を上げるのも解る」
「は?」
少年が驚きの声を上げると、イシュタルはくっくっく、と声を押し殺して笑った。
「ふむ、まあ気付いたばかりで混乱している君に察しろと言うのも無体な話だな。君が昏睡状態だった時から彼女の熱の入れようはかなりの物だったぞ。後できちんと礼を言ってやってくれ」
「あ、はい……」
咄嗟にそう答えたが、残念ながらチェイニーは少年の好みではなかった。
もちろん、エルフであるチェイニーはかなりの美形で、ルックスはイシュタルに決して劣るものではない。しかし、少年の好みから決定的に外れている部分が有ったのだ。
(あまりにも、大平原過ぎる……)
真面目な顔でそう考える少年の視線は、イシュタルの躰の一部を凝視している。
「……そこまでガッツリ見られると、却ってて清々しささえ感じるものだな。そんなにコレが好きなのか」
「ハッ!?」
少年の視線から隠そうとするのではなく、むしろその部分を強調するように両手を交差させて抱え上げたイシュタルの言葉に、少年は我に返る。
「い、いえ! 大好きです!」
そして、思わず本音がダダ漏れた。
「……正直者は嫌いではないし、君に見られるのが嫌という訳でもないが……そういう事は、周囲をよく確認してから言った方が良いと思うぞ。とりあえず、ノーマ・リフレクションはまた後にしよう」
「え?」
後半、ノーマ・リフレクションの件を小声で話したイシュタルの視線は少年ではなく、その背後に向かっている。
「……」
背後から感じる灼熱の波動に気付いた少年が、恐る恐る振り返ると――
「エッチなのはダメって、私さっき言わなかったかな? かな?」
背後からゴゴゴと炎を吹きあげるエフェクトを少年の瞳に焼き付けつつ、少年の荷物を両手に抱えたチェイニーが立っていた。
「ひい!?」
そのあまりに迫力に、少年はズザ、とベッドの上を後ずさる。
「おっと」
ぼよん
と、背中に柔らかく、かつ適度な弾力を持つチョモランマ級の存在を確かに感じた。
「突然動くと危ないぞ?」
すっと少年の背後から、肩越し廻されるイシュタルの腕。
「あ、すみません!」
少年はイシュタルに後ろから抱きすくめられるような態勢となり、慌てて謝罪した。
(おお、良い匂い……そしてこの凶悪かつ最高の感触はたまりません!!)
未だ押し付けられたままのチョモランマ級の官能的な感触と、イシュタルの体臭だろうか、香水などとは全く違う自然の花の蜜の様な甘やかな匂いに、少年の一部が存在を主張し始めてしまった。
「先生! なにやってるんですかぁっ!!」
チェイニーから、ドラゴンをも圧倒しかねないような殺気がイシュタルに向かって迸る。
「なに、患者の心情を知るためのインフォームド・コンセントは大事だからね。患者が頑是ない少年であれば尚更だ。その一環としてのスキンシップに、何の問題も有るまい」
だが、イシュタルはその激烈な殺気をのらりと交わしてくらりと混ぜっ返した。
「ぐぬぬ……」
イシュタルのアレな言葉に、背中に押し付けられた圧倒的なチョモ感に酔い痴れる少年ですら
(いや、その理屈はおかしい)
と心中にてツッコミを行ったのだが、なぜかチェイニーはむぐ、となって押し黙る。
ちなみにチョモ感とは、チョモランマ級爆乳の感触、の略である。どうでも良いが。
「……そろそろ、良いかね?」
その時、病室の外から威厳のある、だが少々困惑した風情の声が掛かった。
「あ、すみません! 患者さんの調子は良さそうなので、どうぞお入りください!」
すると、チェイニーが殺気を霧散させ、慌ててその声に応える。
「そうか、ではお邪魔するよ」
そして、声の主がドアを開け、病室へと入って来た。
(うお……でっけえ! っていうか、めちゃくちゃ強そうだ)
その人物を見て、少年は驚いた。おそらくはビルシュタイン公爵本人であろうが、威風堂々とした人物であったのだ。
背丈は180センチを優に超えているだろう。がっしりとした体格で、無駄な贅肉は一切着いて無さそうだ。肌は白く、白人種であることが解る。が、耳は尖っておらず、エルフではなく通常の人間と思われた。
金髪、よりは艶が少ない蜂蜜色の頭髪はオールバックに決められており、鋭い鷹の様な瞳はスカイブルーに光っている。
がっしりとした鷲鼻、引き締まった唇。だらしなく肥え太った貴族様ではなく、明らかに武闘派かつ実力派の強力な貴族。
(これは……予想外だったな)
そう、少年が予想していたのは、でっぷりとした金満貴族だったからだ。
「これはこれはビルシュタイン卿、ようこそいらっしゃいました」
と、イシュタルが少年から離れて立ち上がり、貴族に向かって優雅に一礼する。
「うむ、イシュタルくんか。役目ご苦労」
ビルシュタイン公は鷹揚に頷きつつイシュタルを労うと、一瞬少年へと鋭い視線を向けた。
「で、彼の具合はどうかね?」
だがすぐに視線をイシュタルに戻し、ビルシュタインが質問する。
「はい、詳細は午後に検査を行ってからの判断となりますが、身体に異常は無さそうです」
「そうか、それは何よりだ」
イシュタルの返事に満足そうに頷くビルシュタイン公。
「しかし、どうやら記憶の一部を失っているようで、言動に少々混乱が見られます」
だが、続けられたイシュタルの言葉に、表情を険しくさせた。
「む、そうなのか? 回復の見込みは?」
「は、今のところは何とも。先ほども申し上げましたが、午後の検査の結果を待ってから治療計画を練ろうと考えています」
イシュタルの説明に、少年はあれ?と疑問を持った。
さっき、ノーマ・リフレクションを使って治療を試みると言っていたはずなのに、なぜそれを言わないのだろうか、と。
すると、少年の表情を読んだらしく、イシュタルが少年に向かってパチッとウインクして来る。
(なるほど、ノーマ・リフレクションの件は現時点ではビルシュタイン卿には内緒、か)
さすがに、この状況下でそれを見逃すほど少年も鈍くは無い。
少年はイシュタルにウインクを返すと、知らぬふりで視線を窓に向かって投げる。と、そこにはチェイニーが立っており、じとっとした上目遣いで少年を睨んでいた。
少年は内心ビクッとしたが、何食わぬ顔ですぐに視線を逸らす。
「……では、娘を助けた時の記憶も喪失しているのだね?」
「はい、言葉や思考に異常は見られませんが、過去の出来事や自分の名前や生い立ち、現在の住まいや状況などの記憶を喪失しているようです」
「ふむう……」
その間にも、イシュタルとビルシュタイン卿の話は進んでいる。イシュタルの過不足無い説明により、ビルシュタイン卿は現状をほぼ把握したようであった。
「とりあえず、私も彼と話したいが構わんかね?」
「はい、問題有りません。ただ、あまり強い言葉や責める様な言葉は……」
「解っておる。娘の恩人にそんな態度では接せんよ」
「は、失礼しました」
イシュタルは恭しく腰を折り謝罪した後、少年の方を向いた。
「少年、この方がビルシュタイン卿だ。話は出来るか?」
イシュタルに言われ、少年はベッドの上で姿勢を正す。
(さて、ここからが正念場だ。今までの感じだと、立場を嵩に着て偉そうに振舞う様な人では無さそうだが……とにかく礼を失しないように気を付けないと)
少年は気を引き締め、ビルシュタイン公爵の瞳を正面から見詰めて口を開いた。
「はい、大丈夫です。はじめまして、ビルシュタイン公爵閣下。自分は……申し訳ありませんが、記憶が無く名乗る事が出来ません」
「ふむ、構わんよ。どこか具合の悪い所は無いかね?」
「お気遣いありがとうございます。記憶以外は問題ないと思います」
「そうか。記憶の件に関しては、後程イシュタル医師と相談して治療を進めるようにしたまえ。君が完治するまでの医療費や生活費などは全て私が負担するから心配は要らん」
「え……でも」
「娘を救ってもらった父親の気持ちを無駄にせんで欲しいな。猛スピードで走る魔動車に跳ねられて、全くの無傷で済んだのは奇跡なのだからな」
「……はい、ありがとうございます。では遠慮なくお世話になります」
少年は公爵の好意を受けることにした。ノーマ・リフレクションの行使を含めイシュタルとはもっと突っ込んだ話をして置きたいし、現状で放り出されたら右も左も解らないまま途方に暮れるしかないのだから。
(それに、この肉体……)
そう、先ほど自分の顔を確認してから、現在の肉体各部を少しずつ動かしたりなどして観察・確認しているのだが。
(マッチョという訳ではないが、異常に引き締まっている。背丈は立ってみないと解らないが、座高と足の長さからすると160センチそこそこか。それに……手指や足の反応が、前の体からすると違和感を覚えるくらいに速い)
先ほど、怒れるチェイニーから身を引いてイシュタルのチョモランマ級に突き当たった時。
自分では、ほんの少し身を引いた程度の積もりだったのに、キングサイズ程も有る大きなベッドの端まであっという間に到達していた。
もう少し大きく移動する積もりで動いていたら、イシュタルを巻き添えに弾き飛ばした上でベッドから落下していたかもしれない。
「うむ、遠慮なく何でも言いたまえ。ああ、それと改めて言わせてもらおう。娘を救ってくれてありがとう」
と、ビルシュタイン公はそう言いざま、すっと頭を下げた。
「な!?」
「……」
それを見たチェイニーは堪えきれず驚愕の声を上げ、イシュタルも驚きに瞳を見開いている。
これほどの高位貴族が、何者とも解らぬ少年に頭を下げる事など普通有りえないからだ。
「公爵閣下、頭をお上げください」
少年も少なからず驚愕したが、それを表に表すのをなんとか堪える。そして、ビルシュタイン公へ静かに声を掛けた。
(こういう時の対応……これも前世界で予習して来たからな)
もちろん、予習と言うのはネットやラノベ、または童話や世界の歴史小説などを読み耽った成果では有る。だが。
「貴方様の感謝のお気持ち、確かに頂きました。僕にその時の記憶は有りませんが、恐らく咄嗟に出来る事をやっただけでしょうし、お嬢様がご無事であったならこれ以上の喜びはございません。不肖の身に過分なるお言葉を頂きまして、こちらこそ感謝いたします」
そう言って頭を下げ返した少年を見て、チェイニー、そしてビルシュタイン公が驚愕した。
イシュタルは何事か納得した様子で微笑んでいる。
「ふむ……その言動、相当高い教育を受けて来たようだな。こう言っては失礼かもしれんが、少々驚かされた」
ビルシュタインの独り言の様な呟きに、チェイニーがふんふんと頷く。
「これならば……いや、それは後で良いとして。では、君に娘からも直接礼を言わせよう。カレラ、入っておいで」
ビルシュタイン公が廊下へ向かってそう呼ぶと、一人の少女が二人のメイドを従えて静かに入室して来た。
お読み頂きましてありがとうございます。
次話投稿は、可能であれば明日の夜、無理ならば火曜夜になると思います。
どうぞよろしくお願い致します。