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EP02:消えた記憶

「イシュタル先生、検査部に話を通して来ました!」

「ああ、ありがとう」


 男が記憶喪失のフリをして数分、チェイニーがパタパタと足音を立てつつ戻って来た。

 そして、呆然と固まったフリをする男を見て少し驚いたように声を掛ける。


「どうしたんですか? またイシュタル先生にセクハラして怒られたんですか?」

「俺をなんだと思ってるんですかね!」


 あまりと言えばあまりなチェイニーの言葉に、男は思わず激高した。


「えー、だって……」


 しかしチェイニー少しも怯まず、ジト目で男を見詰めながら嫌そうに唇を歪める。


「どうやら、彼は記憶を失っているようだ。どこまで失っているかは、これから調べる必要が有るが」


 男とチェイニーのやり取りの間も、イシュタルは少し上目遣いの鋭い視線を崩さずに男の様子を観察していた。


(うーむ、疑われている、か?)


 そんなイシュタルの様子に気付かない素振りをしながら、男はわざと大きくため息を吐く。


「えっ! そんな……大変じゃないですか! 自分が誰だか解らないとか、ここがどこだか解らないとかなんですか?」

「どうやらそのようだ。君、名前も思い出せないのだろう?」


 イシュタルの問いに、男は悲壮な表情を造りながら答える。


「はい……思い出せません」

「そうか……その治療に関しては後で相談するとして、とりあえず君がなぜここに、このファランクス王立王都病院に入院しているか、そこから説明しようか」

(王立病院! なるほど、ここは『王国』か)


 男は新しい情報を得て興奮する。が、もちろんそんな内心の動きはおくびにも出さない。


「ええ、お願いします」


 余計な事は言わず、説明を請う。どんな情報でも欲しい現状、イシュタルの申し出は有り難かった。


「うむ。君は魔動車に跳ねられそうになった、とある貴族の令嬢を助けて自分が跳ねられたのだ。そして、この病院に運び込まれたという訳だ」

「え……」


 イシュタルの簡潔かつ解りやすい説明を聞き、さすがに男も素で驚いてしまった。ここに運び込まれた原因については、転移前に男が取った行動とほぼ変わらなかったからだ、


(さすがに、前世界で助けたあの女子小学生が良いトコのお嬢様とは思えないがな……待てよ、何か聴きなれない単語があったぞ?)


 男が引っ掛かった言葉。それは言うまでも無く『魔動車』だ。

 語感からすると、恐らく前世界で言う『自動車』のようなものだろうか。


「あの、『まどうしゃ』ってなんですか?」


 男は一瞬迷ったが、素直に訪ねてみた。記憶喪失のフリをしている今ならば、この世界で常識的な事であるとしても教えてもらい易いだろうと判断したからだ。


「ふむ、魔動車が解らないか。まあ、実用化されたのは最近だし、馬車や力車に比べれば圧倒的に数も少ないからな。記憶喪失とは関係ないかもしれん」


 男の質問に対して、イシュタルはふむふむと頷きながら独り言を呟く。代わって、チェイニーが答えてくれた。


「魔動車っていうのは、その名の通り魔道で動く車の事ですよ。二年前くらいに王宮魔道士のブライアさんが発案して、最近実用化されたんです。魔動機って言う動力を積んでいて、馬車や力車よりもずっと速く走れるんですよ!」


 フンスフンスと鼻息荒く魔動車を語るチェイニーに、男はタジタジと押されながらも


「へぇ、凄いですね~」


 と感心する。だが、今の解説でこの世界に魔道……魔法らしきものが存在することが解ったので、有意義であった。


「まあ、そんなワケでだ。君は貴族のお嬢様を身を張って助け、この病院に運ばれたワケだ。こう言ってはなんだが、この病院はある程度以上の家格や財産所持者の専用病院だからな。失礼な物言いになってしまうが、君の身なりから考えれば普通縁の無い所では有る」


 イシュタルの淡々とした物言いには、不快さを感じさせるものは無い。男は彼女の言葉に頷きつつ、ここぞとばかりに質問を続ける。


「なるほど、きっとそうなんでしょうね。ところで、俺が元着ていた服や荷物は有りますか?」


 前世界でトラックに跳ねられる時、男は大容量の登山用ナップザックを背負っていた。

 その中には、ライターや各種充電池、充電器、ソーラー電源、スマホ、LEDライト、GPSナビゲーション、デジカメ、携帯食料、サバイバルキット、ビー玉、ノートや筆記具など、男が厳選した異世界で役に立ちそうなアイテムが詰まっている。

 ちなみにGPSナビは、もし異世界が未来の地球だったりなど、人工衛生が存在した場合を考慮してのものだ。


 また元の服装は、速乾透湿素材の高機能シャツとパンツにライダージャケット、ケプラー繊維の織り込まれた防刃・防弾ベストと同様素材のデニムパンツ、オーダーメイドの登山靴、指貫の牛革製グローブ、UVカットの度入りサングラスなどである。  

 現在着ているのは入院着のような木綿らしき素朴な素材のパジャマ的な服だが、これはきっと治療時に着替えさせられたのだろう。


(もし、前世界で着ていた物や荷物がそのままで、病院に運び込まれた時に調べられていたら……)


 ファンタジー的なこの世界では浮きまくりの怪しい奴だろう。恐らくこんなにのほほんと入院させてくれてはいまい。

 いや、それともこれから尋問が始まるのかもしれないが。


(さて、鬼が出るか蛇が出るか……?)


 男がまたしても内心で冷汗を掻いていると、イシュタルは素っ気なく答えた。


「ああ、君の私物は預かっているぞ。だが、荷物と言うほどのものは無かったな。小振りなダガーと回復薬が一袋、解毒剤一袋、あとは5000マークほどの現金だ。服は革の胸当てを除いて跳ね飛ばされた時にアチコチ破れたりほつれたりしてほぼボロ布になっているが……チェイニーくん、彼の服と荷物を持ってきてやってくれないか? それと、忘れていたがビルシュタイン卿に彼が目を覚ましたと連絡を入れてくれ」

「はい!」


 イシュタルに言われ、チェイニーが再び病室をパタパタと出て行く。


(ダガーと薬、それに現金……マークってのはこの世界の通貨だろうな。日本円だといくらくらいになるんだろう?)


 新しい情報を得て、男は考える。だが、またしても気になる言葉が織り込まれている事に気付き、イシュタルへ質問することにした。


「あの、ビルシュタイン卿というのはどなたですか?」


 これまでの流れで出て来た貴族的な名前なのだから、大体当たりは付いているのだが。


「うん、君が助けたご令嬢の御父上だ。ガラミス・ヴォン・ビルシュタイン公爵。この国の貴族のトップに君臨するお偉いさんだ。また、この病院の実質的な経営者でもある」

「……なるほど、そうですか」


 男は自分の予想が当たった事に小さな満足感を得る。そして、かなりの権力を持っていそうな公爵のご令嬢を救った事がチャンスとなるか、それとも逆なのか……

 どちらに転ぶかを慎重に見極めなければならない、と己を戒めた。


 普通に考えれば、大切な娘の命を助けられて喜ばない親はいないだろう。男がこんな大層な病院で治療を受けられている事を考慮すれば、人格も酷いわけではなさそうだ。

 だが、公爵などと言う超高級貴族の令嬢をどこの馬の骨とも解らない男が助けたとなると、そう簡単な話では無くなる可能性も有り得る。

 さらに言えば、もしかすると今回の件は事故ではなく、令嬢の命を狙った暗殺行為だったのかもしれない。

 そうなると、途轍もなく厄介な事態に巻き込まれ兼ねないのだ。


(だが、現時点ではでどうにも判断出来ないな……とにかく、ビルシュタイン公爵とやらのリアクションを待つしかない)


 男はそう判断し、現時点では静観すべしと結論付けた。

 

「さて、治療についてだが……記憶喪失という事であれば、検査の前にノーマ・リフレクションを試してみるべきかな」

「ノーマ・リフレクションですか?」


 と、突然飛び出した奇妙な単語に、男はオウム返ししてしまう。


「そうだ。高位治癒魔動のひとつで、特に脳関係の障害に高い効果を持つ。幸いにも私の得意魔動だから、君が希望するならすぐにでも行使してみるが」


「!?」


 イシュタルにサラッとそう言われ、男は大声を上げそうになるのを辛うじて堪えた。


(ヤバい! そんなもん使われたら、記憶喪失が嘘だとバレちまうんじゃ……)


 冷汗をダラダラと流して男は焦る。なんとか切り抜けねば詰んでしまうかもしれない。


「だがな、ノーマ・リフレクションを行使する時、一時的に私と君の意識や記憶が交ざり合う『シンクロ』と言う副作用が起こる可能性が有る。だから、もし君が不快に感じるのなら無理強いしようとは思わないが」


(た、助かったあ……)


 しかし、そう続けられたイシュタルの言葉に男は心底ほっとして脱力してしまった。とりあえず異世界最初の大ピンチは免れたようだ。


「そうですね……記憶を取り戻したいのは山々ですが、さすがにそれは抵抗が有りますね。イシュタル先生だって、俺なんかに記憶を覗かれるのは嫌でしょうし」


 美しいエルフ医師を見ながら、男は微笑む。


「いや、私は別に構わんぞ、慣れているしな。それに、君には個人的にも興味が湧いているのでね、出来れば私からノーマ・リフレクションを使わせてくれと頼みたいくらいだ」

「へ……?」


 だが、イシュタルの思わぬ言葉に男は間抜けな声を上げてしまう。男を見詰める濃緑の瞳には、少しだけ悪戯っぽい色が浮かんでいた。


「やだな、先生。からかわないで下さいよ」


 辛うじてそう言うと、男はハハハとワザとらしい乾いた笑い声を上げた。


「からかってなどいないさ。君こそ、その若さで中々腹芸が上手くて驚かされるよ」

「またまた~、若いだなんて、そんな褒めても何も出ませんよ」


 男は微笑を苦笑に変えてイシュタルに答える。男の実年齢はちょうど30歳。俗にいうアラサ―であるのだ。だが、それを聞いたイシュタルは瞳をすう、と細めニヤリと笑った。


「ほう……『若い』が褒め言葉に聞こえるとはね。いやいや、最近の若者の感覚は理解出来ないな。褒めるも何も、君はどう見ても12~3歳にしか見えないのだがね?」

「えっ!?」


 男は驚きのあまり、驚愕の叫びを上げてしまった。


(なんだって……!?)


 そう言えば、目を覚ましてからまだ自分の顔や姿を当然ながら見ていない。転生ではなく転移と判断し、それならば姿形は変わっていないもの、と思い込んでいたのだ。


「い、いやあ! 自分の年齢も思い出せなくて、なんとなく中年のオッサンの様な気がしてましたよ!」


 途轍もなく苦しい言い訳だが、これ以上上手いゴマカシは咄嗟に思いつかなかった。


(くっそ、迂闊だった……『転移の場合、自分の見た目の特徴や外見的年齢を可及的速やかに確認する』って、重要項目として設定してたのに!)


 後悔後の祭りと言うが、男はまさにその通りの心境だった。だが、なんとかこの失点を取り戻さねばならない。

 そう考え、男は慎重に言葉を選んで取り繕おうとする。。


「ふふ、そう焦らなくても良いさ。何か事情が有りそうなのは解っているよ。ただ、記憶喪失と言うのもまんざら嘘ではなさそうに見えるがね」

「え……」


 イシュタルの思わぬ言葉に、男は口にしかけていた言い訳をグッと呑み込む。


「もし私の言う事に心当たりが有るのなら、なおさらノーマ・リフレクションを受けてみないか? 別に何か準備が要るワケじゃない。君と私の二人だけで、この場でサッと試せるからね」

「……」


 濃緑の瞳に真摯な色を浮かべ、イシュタルが言う。男はその様子を見て、迷いを覚えてしまった。


(たしかに、俺は前世界での記憶はしっかりと持っているが、この世界での記憶は無い……もしこの肉体に元々の人格が有ったとすれば、その記憶がどこかに残っているかもしれない)


 男はそう考え、イシュタルへの返答を迷う。


(もし、俺が転移によりこの肉体を元の持ち主から奪ってしまったのだとしても、それは予測済みのケースだし割り切る積もりでいた。けれど、記憶を引き継ぐ事が出来れば、この世界で生きて行くためには都合が良いだろうな)


 男の考えはある意味ド外道では有るが、あらゆるケースを想定し、それでも異世界へ行く事を望んだ時点で本人にとっては織り込み済みなのであった。


「……イシュタル先生、もしノーマ・リフレクションで俺とシンクロが起こったとしても、俺の記憶や過去を他言しないと確約してくれますか?」

「ああ、約束しよう。ちなみに私の記憶や過去にシンクロしたとして、別に他言無用とは言わないから安心したまえ」

「え?」


 男の申し出をあっさりと承諾した上、どこか自暴自棄的な事を言うイシュタルに男は驚いた。


「さっきも言ったが、この病院は大貴族や大金持ち専用みたいなものでな、ここの禄を食む私の個人的自由など有って無いようなものだ。いわゆる籠の鳥ってやつなのさ、私はね」


 美しい顔に寂しげな、そしてどこか自虐的な笑みを浮かべて呟くイシュタル。男はそんな彼女の憂いを帯びた横顔に、ズキンと胸が痛むのを感じた。


「それは、どういう意味なんですか?」

「いや……なぜか君を見ていると、ついつい本音を吐露したくなってしまうな。つまらない事を言ってしまった。忘れてくれ」

「……解りました」


 男は、イシュタルに突っ込んだ話を聞いてみたいと強く思った。が、しつこく聞いてはいけない気がして、口を噤んだ。



「そうだ、治療をする前に自分の顔を見ておくといい。私の私物だが、これを使ってくれ」


 気を取り直したように明るい声でそう言うと、イシュタルは白衣のポケットから手の平サイズのコンパクトの様なものを取り出し男に渡す。


「これは……」

「それは私の……宝物だ。開くと片面が鏡になっている。小さくて悪いが、自分の顔を確認するくらいは問題ないだろう」

「ありがとうございます」


 男は礼を言ってから、パカリとコンパクトらしきものを開けてみた。すると、片面はイシュタルの言うとおり小さな鏡、もう片面には精緻な絵画――イシュタルと、家族らしき数人の男女が描かれた絵が納められていた。






 

 




 

お読み頂きましてありがとうございます。

次回更新は土曜日の予定です。

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