ダイエットガール
私は酷く後悔していた。あぁ。やっぱり来なきゃ良かった。朝早く起きてしまったせいだ。なにが早起きは三文の得なのだ。そのせいでこんな所まで歩いて来てしまったんだ。 時間はまだ早朝の五時だというのに私は偉く不機嫌になっていた。
―私はダイエットをもう五年も続けている。いわばダイエットのプロだ。ダイエットの知識なら沢山ある。毒出し脂肪燃焼スープが効く!「食べれば食べるほどやせられる」そんな夢のようなダイエット法が、脂肪燃焼スープダイエットです!リコピンと食物繊維のパワー!トマト寒天ダイエット!無理をしないからリバウンドもしない!たまねぎダイエット!たまねぎ・鮭・きのこは、コレステロールを下げて血栓予防が期待できる食べ合わせ!たまねぎと鮭のビタミン……春菊のカロテンを無駄なく取り入れる一品です!ハムの飽和脂肪酸と、サーモンとオリーブ油の不飽和脂肪酸が……。
はい。私、田辺麗華二十六歳は見てもらうとわかるようにデブです。百五十センチに八十四キロの愛されワガママボディです。ダイエット博士の私がいい事教えてあげましょう。ずばり、ダイエットは動かないと痩せません。第一お腹を一杯にしながら痩せようとするのが間違いなのです。体の脂肪は一回付いたら一生の付き合いが基本です。それを削ぐ訳なので、ちょっとやそっとじゃ痩せません。知ってました―。
―そして、朝の早起きからトチ狂って間違って知らない所を適当に歩いて付いちゃった場所がここハイキングコースの入り口。家から三十分も歩いて来ちゃった……。こんなに歩いたの始めてかもしれない。いや、そんなはずはさすがにないけど。今までなるべく動かないダイエットでなんとか痩せようと頑張って来たが、それは無理なんだと悟るのに五年もかかった。いや、一つのダイエットを五年間きちんと続けていればきっと痩せていたのだろうけど……。
「はぁ……」
ため息は今年一番大きいものが出た。でもあとその残りの今年で痩せるんだ。そしてずっと憧れの雄二さんにアタックする。痩せてアタック。雄二さんはデブが嫌いだと聞いているし。頑張れる乙女なら頑張れるんだろうけど、私は楽に痩せる為に、長年そっちの方にカロリーを消費してたみたい。
すでに三十分歩いて疲れてるけど、ハイキングコースの案内板を見ると、展望台まで二十五分と書いてある。二十五分ならなんとか……というかもうここまで来たら行くしかない。それにファミリー向けと書いてある。イコール簡単て事でしょ?意地を見せるのよ私。今すぐ帰りたいけど!私は自分に言い聞かせこの山を登る事にした。
ハイキングコースを見上げるといきなり階段でスタートしている。曲がりくねりながら続くその急な階段は立ち並ぶ木々で隠れており奥が良く見えない。それに早朝過ぎてまだ薄暗い。少し怖いが、案内板のファミリーはにこやかな顔をしている。その顔を信じて私は不機嫌なまま階段を上り始めた。今日このハイキングコースを歩くのは私が一番最初なのだろう。階段を上っていく十段に一段位でくもの巣が次々と顔にくっついてくるのがわかった。しかし、そんなことより階段が辛い。こんなに長い階段日本に存在してるの?良く作ったわね。ご苦労様。と、私の不機嫌はどんどん階段と共に積みあがっていった。
そして、やっとのことで階段を上り終えると鳥居があり、そこから山道になっている。 私は時計を見た。上り始めて八分しか経っていない。引き返そうか迷ったけど、ここまで登ってそれは出来ない。それに案内板には二十五分で展望台と書いてあった。あと十七分踏ん張ればいいのだ。そう思うと嫌々ながらも足は前に進んでいった。
山道に入って私はさらに後悔した。ズルズルの土道に虫がバチバチ飛んでくる。それに山道の登りがかなり辛い。普通の坂道とはわけが違う。こんなトコ子供に歩かせる親は頭が変なんじゃないのか、そうも思ったが久しぶりに「自然」に触れた私は、昔の痩せていた幼い頃の自分を思い出していた―。
小さい頃は良く走って、男子に混じって泥だらけになり、草や花を抜いてはそれを編み王冠を作ってお姫様ごっこもした。生理も始まった頃からだんだん外で遊ぶ事もなくなり、中学から高校となると外に行く理由は買い物かデートだけになった。それでも十代の若い時はすぐに痩せれた。二十才越えて一気に太り、簡単に痩せなくなった私は気付いたら綺麗だった十代の頃の倍の体重になっていた。そこから五年間、醜くなった私は完全に自信を失っていた。それなのに楽な方にばかり目をやって、現実からずっと逃げていた。
もうさすがに二十五分は歩いたろうかと思った所で時計に目をやると、登り初めてから二十分経過していた。あと五分だ。でも、体は完全に疲れてるのが足が悲鳴をあげているので感じた。明日筋肉痛なのは確定であろう。そうこう考えているうちにハイキングコースの道案内の前に立っていた。木の作りで矢印を型をしいてる看板には展望台まであと0.25kと書いてある。頭も疲れすぎてて、これは上になのか横にという意味なのかと意味不明な思考になりながらも目標まであと少しであることは間違いない。そう思ってなんとか気力を振り絞り登っていった。
そしてついに展望台までやってきた。この小さい山の展望台だけあってやはり作りはチープな物だった。振り向くと木々の隙間から町並みの景色が見える。これに登らないと、せっかく来た意味の半分も無いと感じた私は、展望台の階段を一段一段上り始めた。展望台は風に揺れている。これは高所恐怖症じゃなくても腰が引ける作りになっている。内心では私の体重でいきなり倒れたりしないだろうなと思いながらも、なるべく靴だけをみながら素数を数え、そして展望台のてっぺんについた。
顔を上げると、そこにはいつもの自分が住んでる町が見えた。こんなに歩いて来たんだ。それが第一印象であった。私はもう疲れきってその場で座りこんでしまった。天気も良くは無い。それどころか曇りでせっかくの景色も決して綺麗とは言えない。体の火照りが覚めるまでそこに私は十分程座っていた。そして、そのたった十分でみるみる景色は変わっていった。快晴ではないのは確かだが、厚く覆われている雲がだんだんと金色に輝き変わって行くのが見えた。その映画のような金色の景色に私は心を打たれていた。さらに現れた雲の隙間からの眩しい光。それは私の体の疲れを吹き飛ばしてくれたような不思議な感覚であった。今まで山登りを趣味とする人の思考回路がわからなかった私は、頭を殴られたように考えがひっくり返った。
「綺麗……」
自然と声が出ていた。天気が良くなくてもこんなに綺麗で神々しいのだ。快晴ならどれほど物なのか。鳥の鳴く声に、草木が共にぶつかり合う音。そして街のとは質の違う風。景色だけではなく、自然は全て私に何かを語りかけて来た。山に登る人の気持ちが少しだけわかったような気がした。そして、この景色はそこに来た人しか見れないのだ。登山はダイエットと同じ、いや世の中の全ての出来事と同じであることに気付いた。目指し歩き続ける事でしか行けない場所に行く。それは遠い場所で、ゴールは何処にあるかも、どんなに厳しい道かもわからない。さらに着いた場所はこの曇りの様に百点ではないのかもしれない。でも続ければ、確実に一歩ずつ頂上に近づけるのだ。勢いで着てしまったが場所だが、ここで私は色んな物を貰った気がした。
自然に涙まで流していた私の心はすっかり変わっていた。
帰りの道は、思ったより何十倍も軽く帰れた。体は確実に疲れているのはわかるが、心が満足しているとこうも体が軽くなる事も始めて知った。登ってきた階段を下り、家までゆっくりと歩いた。家に着き時間を見るとまだ朝の七時であった。たった二時間半やそこらで、大事な物まで手にしてしまった私は、ハイキングコースについた時の不機嫌などすでに何処にも無く、むしろ感謝さえしていた。早起きは得なのも本当であったのだ。家で登ったハイキングコースを調べると、自分が行った道は頂上ではなく、さらに標高はたった二百五十Mの小さな山であることがわかった。
私についた麗華という名前。いつしか綺麗過ぎるこの名前も嫌気がさしていた。
だが、誓った。名前負けしないくらい綺麗になろうと。必ずなれる。その事をあの小さな山は教えてくれた。もう、逃げない。続けよう。くじけそうになったらまたこの山に登ろう。今度は晴れた日に。
自分を信じて、そしていつか頂上まで行こう。あの山にも私自身も。
もう私は歩き始めたのだから。