ホットミルク
祖父が亡くなったと連絡があった私は、急いで実家に向かった。実家はここから八百キロもある青森県だ。
早朝の不吉な予感のした実家からの着信に、見事予想は的中し、その電話は父からの訃報の連絡であった。
会社に訃報の電話をし、新幹線まで急ぎへ乗り込む。
私を乗せた新幹線の三時間は、すっかり上京して都会人となった私の脳内にふるさとの思い出を蘇らせてくれた。
いつかは来ると覚悟していたが、いざとなると実感が沸かない。
新幹線は新青森駅に到着し、私は実家へとタクシーで向かった。
実家に帰ってきたのも久々であったが、驚いた事は祖父が眠る棺のことよりも祖母の痴呆が重症化していた事である。
祖母は棺の小窓を何度も空けては、祖父の綺麗に化粧され冷たくなった顔を何度もぺちぺちと叩き、涙を流し、祖父に延々と話しかけていたのだ。
そんな祖母を私の姉が、化粧が取れるから辞めなさい。と叱る。
だが、私は、この長年ずっとずっと一緒だった祖父がこの後焼かれ、骨になる前に目一杯触らせてあげたかった。
そんな祖母は、私が上京する時から多少痴呆のケはあったが祖父が亡くなる寸前まで付きっ切りで介護をしていた。だが祖父が亡くなった途端、痴呆が悪化したという。
祖母は葬式も喪中の間も何度も亡くなった祖父が帰ってこないと泣き、亡くなった事を思い出してはまた泣き、それを日に何度も繰り返すのだ。そして、なぜ私に何も言わずに逝ったのかと何度も何度も言っていた。
「おじいちゃんが、亡くなる最後までおばあちゃんが面倒見てたんだよ」
俺も家族も、何度も言い聞かせるが、それも理解できず、ただ居なくなった祖父を追いかけるように何度も、亡くなった事を忘れ、そして思い出し、毎日泣いていた。
もう、俺はそれを見ていられなかった。少しでも和らげてあげたかった。
昼も夜中も、関係なく子供のように泣く祖母。
あんなにしっかりと家計簿をつけて、俺の親以上に私に色々教えてくれ育ててくれた、元気だった祖母と、今ずっと泣き続ける祖母。
あまりの違いに、どうすればいいのかわからなかった。
夜になると眠れない祖母。
俺は祖父の葬儀等も一段落し、自身も祖父の悲しみで沢山泣いたが、祖母が本当に可哀想で苦しかった。
葬式に使う祖父の写真を探している時に出てきた私の幼い頃の写真を眺めて、そして思い出した。
祖母は夜に泣き虫で眠れない私を見ると、よくホットミルクを作ってくれたのだ。
それは牛乳をレンジで温め、砂糖を少し入れる。簡単に出来るが、とても美味しい。チンをすると上に膜が張るのだが、幼い頃の俺はそれが嫌いで、祖母は膜だけ食べてくれた。私はそのホットミルクが大好きでわざと眠れないフリをした事もあったが、今思えばそんなのはとうに見破って祖母は必ずホットミルクを絶妙な砂糖の加減で作ってくれるのだ。
そして俺がその味に安心すると、必ず眠れる。それを祖母は知っていたのだ。
私は夜に泣きやまない祖母にホットミルクを作ってあげた。
そしてそれを飲んだ祖母は、スッと眠りについたのだ。
少しでも祖母が安心するなら俺は毎日作ってやりたい。泣き虫だった俺を、優しく叱り、話を聞いてくれた祖母。朝の散歩中、野良犬に襲われそうになった時、石を持って俺を守ってくれた祖母。自転車の練習に付き合ってくれた祖母。人の陰口を叩く人になるんじゃないと教えてくれた祖母。
今の俺にできる事。都会に置いてある色んな地位や、そんなもの比べるに値しないのだ。
ここに残って、いつかは人間だから死んじゃうけど、それまで毎日安心して眠れるように。
今度は俺がホットミルク作ってあげるよ。