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バー『てっぽうみず』

作者: 久本誠一

データが1度空のかなたに飛んで行ったため大幅にプロット変更し、ハードボイルド&やたら長い話からがらりと変わって短くなっての結果がこれです。共通点は舞台が酒場なことのみ。酒場っていうシチュエーションが大好きなんだな僕、というのが改めて再確認できました。まだ未成年なのに。

「先輩ー、ちょっといいっすか?」

「あん?金返してくれんのか?」

「いやですねー、まだ月初めっすよ?給料日まで待ってくださいよー」

「なんで月初めに飲む金がないんだよお前は。んで?どーした急に。ここは奢ってやらんぞ」

「わかってますって。そんな俺だって金の亡者じゃないんすから金金言いませんよ」


 夜のとある町、少し奥まったところにある1件の飲み屋。看板娘や色っぽい女将とは今のところ一切無縁な(というのも彼の妻が病死して以降、今時珍しいことに彼に再婚しようという気が全くないからなのだが)、髭で口元が見えない常に眠そうな目をしたマスターが1人で切り盛りするバー、『てっぽうみず』。無口で不愛想なマスター、立地だってお世辞にはいいとも言えない、酒にしたって特筆するほどうまいものや珍しいものが出てくるわけでもない。

 なのに、この店には営業時間中客が絶えない。かくいう私も、この店にずっと入り浸る1人だ。いや、入り浸る、という表現はあまり正確ではないかもしれないが。だが、私のことはこの際関係ない。この距離でも話が聞こえてくる2人組はここの常連さんで、どこかの会社の先輩と後輩らしい。やいのやいのと軽快な会話を繰り広げるこのコンビの掛け合いは生で聞くと結構テンポ良く、もはや名物の1つとなっている。


「最近俺、嫁さんの誕生日だからってケーキ買ったんですよ、チョコレートの奴」

「なんだお前、そりゃ先輩も早く結婚すりゃいいじゃないですかー、とかいうイヤミか。やっぱ金返せこのやろ」

「だから違いますって。そしたら……」

「すみません。隣、少々よろしいでしょうか?」


 おや、また誰か来たらしい。入り口には、茶色いコートに黒いハンティングハットをかぶった暗い表情の男が1人。この人も常連さんで、なんでも売れない探偵をしているとのことだ。商売柄なのか、見知った顔に対しても常に敬語のストイックさは確かに彼の魅力だが、多分いまだに浮いた話がないのもその性格のせいだろう。邪推ではあるが。


「ああ、あんたか。おう、座ってくれや」

「どうもでーす」

「ええ、どうも。すみませんマスター、梅酒下さい。なにせ仕事中なもので、あまり強いのは飲めないんですよ」

「………」


 コクリ、と頷きカウンター下から丸々と大きな梅の実が入った容器を取り出して、明らかにミスマッチなグラスにとくとくと注ぐ。梅酒独特な匂いが当たりにふわ、と広がった。

 多分だけど、このバーの癖に庶民的なもの限定とはいえ頼んだらなんでも出てくるところも地味ながらに人気な一因だと私は思う。昔からこの人はずっとそうだった。


「んで、お前は何の話だっけか?嫁さんにケーキ買って、そしたら?」

「おや、奥さんの話ですか?微笑ましいですね。なにせ私のところに来る奥さんなんて、だいたいが浮気調査の依頼ですからすごく怖いんですよ」

「結婚だってそんなに楽じゃないですよ?食費だって結婚したらいきなり倍になりますし、独身時代の生活リズムだと確実に金がなくなります。俺みたいに」

「だからってお前は金欠すぎだろ」


 そのまま3人で話の内容が取り留めのない雑談にチェンジ。ふむ、どうやらチョコレートケーキを受け取った奥様に何があったのかはわからなさそうだ。少し残念だが、もうあの話に戻ることはないだろう。今は、最近のカップラーメンについて熱く語りあっている。トッピングに茹で卵を作る際の半熟具合はいかほどかとか、私にはよくわからないけれど。

 そのまま視線を、議論などどこ吹く風でひたすらグラスを磨くマスターの横顔に注ぐ。数十年前から老け顔だったせいでほとんど変化した様子もないその顔だが、こうしてじっと見つめているとさすがに小じわや白髪が見えてくる。そんな私の視線に何かを感じたのか、ふと手を止めて私がいる方面に目を向けた。

 おっと、気づかれたかな。かすかな期待とともにそんなことを思うが、しかし彼はいつも通り、結局は気のせいだと割り切ってまたすぐにグラスを磨く作業に戻ってしまった。


「ろーしらんれすかー、ますたー?」


 そんな一瞬の動きすらも見逃さずに、というか彼の場合酔いつぶれてたまたま目を開けたら偶然彼が見えただけだろうが、とにかく別の場所で突っ伏して半分寝ていたいかにもこの春入社した新入社員、といったかんじのまだ幼い顔立ちの男性が彼に声をかける。何も、と言いたげに首を横に振るが、そんなことで納得する酔っ払いではない。彼は大学生のころからこの店に通うようになった常連で、ここの店の中でもまだまだ経歴が浅いのだ。


「そんなこと言って~、いまなにかみつけたれしょー?」

「………」


 相変わらず無口なマスター。そういう部分も、私は好きだけど。とはいえさすがに当の本人が何も言ってないのにこんなことを言いだすこの酔いっぷりには閉口したのか、水を一杯注いで無言で差し出した。


「あー、こりゃろーも。んぐっ、んぐっ、んぐっ……プハーッ!ふぅ、すこしスッキリした」


 あれだけ酔っていても水だけで復活できるだなんて、若い子のパワーはすごいなあ。感心しながら見ていると、探偵が思い出したかのようにポン、と手を打った。


「ああ、これはいけない。本来私、ここには調査に来たんでした。せっかくですから皆さんにもお聞きしますが、このあたりで黒猫を見ませんでしたか?情報通りなら、赤いリボンが少し欠けた右耳を隠すようについているはずなのですが」

「黒猫、ねぇ。先輩、この辺で見ませんでした?」

「なんで俺に聞くんだよ。お前、今日は俺と一緒に外回りばっかだったじゃねえか」

「ですよねー。そっちの新入り君は?黒猫」

「へ?あー、そういや昨日、それっぽいの見ましたよ。なんか泥だらけでしたけど、多分赤いリボンだったと思います」

「本当ですか!?」


 どうやら探偵、今回は無事仕事を終えられそう。報酬が入ったらそれで奢らせてもらいますよ、と言い、詳しい場所だけ聞いて梅酒の代金をカウンターに置くと大慌てでコートを羽織って出て行った。


「先輩、よかったですねあの人」

「だからなんで俺に振るんだよお前は。だけどまあ、そうだな。………じゃ、俺たちもこれでおいとまするか。マスター、ごっそさん」

「美味しかったでーす」

「………」


 相変わらず、1度頷いただけで一言も喋らないマスターに対してもさすがに常連は慣れたもの、特に驚く様子もなく出て行った。あーあ、ケーキ貰った奥さんの話、ちょっと聞きたかったのに。

 いつの間にか店内に取り残されたかたちになってしまった新入り君も、さっきの水と会話でどうにか歩ける程度には意識がはっきりしてきたようだ。まだ若干ふらつきながら立ち上がると、ポケットから財布を取り出して自分のグラスのすぐ横に札と何枚かの硬貨を置いた。


「う~、飲みすぎたぁ……お代、そこ置いときますねー」


 そして、今度こそ店内にはマスター……そして、それを見ている私だけになった。もう何年、こんな毎日を続けてきただろうか?もうよく覚えていない。多分、彼も詳しくはわからないだろう。いや、それとも何年どころか正確な日数まで覚えているかもしれない。どちらでもありうる。

 いずれにせよ、マスターは表情をピクリとも動かさずにグラスを拭き続ける。そして私はその顔をただ見つめ続ける。だが、その時間も長くは続かなかった。


「すいやせん、今やってますかい?へへへ、ちょっといい仕事が見つかりましてね、金があるんですよ今日は。1000円ありやすから、これで飲めるなかでいっとういい酒くだせいよ」


 彼もまたここの常連、といってもいいのだろうか。より正確に言うと、この付近を縄張りとしているいわゆる浮浪者である。日雇いのバイト、主に土方で食いつなぐ生活ではあるがそれなりに自分の人生に対して矜持というものを持っており、毎回ここに来るのはちゃんと金がある時だけ、それも今回のように入店時に有り金を正直に言ってそれで限界まで飲み、それ以上のものが出てきたら逆さに振っても1円たりとも落ちてこない、というタイプである。

 だけど私は知っている。マスター、今入れている酒と小料理はメニュー表の値段に換算するとだいたい1300円ぶんはあるよ?甘いんだから、まったく。


「おお、こりゃうまそうながんもどきだ。すいやせんねえ、わしみたいなもんをいつも店に入れてくれて」

「………」


 そうは言うが、別に彼の身なり自体はそれほど悪くない。確かに多少よれてはいるものの、生活状況を考えると驚くほど清潔だ。どこで洗っているのか臭いだってしてこないし、髭も見づらくない程度には剃ってある。それゆえここの常連にも受け入れられ、土方さんなどと呼ばれて親しまれている。それより私が気になるのは、今さらりとマスターが出したがんもどきだ。ここは居酒屋でも小料理屋でもなくバーなんだけど。


「ほれ、お前にもひとかけやるよ。おーよしよし、かわいそうになぁ」

「……?」

「ああ、こいつバイトの帰りに見つけたんでさあ。腹減って震えてたから見てらんなくて、つい拾ってきちまったい。きょうびこんなきれいな毛の野良猫おらんだろうし、また飼い主も見つけてやらんとなあ」


 なにやらがんもをすぐ口に運ばず小さくちぎり、それを自分のジャンバーの内側に持っていく。その裾からにー、と小さな鳴き声が聞こえた。直後、ぴょっこりと顔を出す黒猫。実に都合のいい話ではあるが、その右耳には案の定赤いリボンが結わえられていた。


「………」


 その猫を見て若干眉をひそめるマスター。いや、眉をひそめるというのは正確な表現じゃない。この顔は、人生面白いこともあるもんだ、とか思ってる顔だ。長年見てる私が言うのだから間違いない。

 だが久しぶりの酒にもう酔ってきたのか、惜しいことに目の前の彼はその視線に気づかない。もっとも表情に乏しいマスターのことだ、どんな顔したってよっぽど見つめてない限り変化なんてわかりゃしないのだが。


「一応聞くけどマスターさんよう、この猫ちゃんどこの子か知らねえかい?どうもこういう高級そうなのはわしとは縁がなくて」


 マスターが本当に答える気があったのかは定かではない。このマスターときたら本当に昔っから会話が少なく、必要最低限のことすら喋らないのが日常茶飯事なんだから。年に1度も会話をしなかった年があるとか、そもそもあまりに口を開かないせいで声帯が退化してるから喋りたくても喋れないんだとか失礼なことまでまことしやかにささやかれているぐらいだ。

 だが幸いなのかどうなのか、今回はマスターが口を開く必要はなかった。


「マスター、また失礼します。どうもこの店に帽子を置き忘れたようなので……おや、あなたは。今日は仕事があった日なんですね」

「へへっ、わしもまだまだ土方はできるってもんよ。そういや、あんた探偵の旦那なんだってな。ちょうどいいや、さっき道で貰ったティッシュやるから1つ頼まれてくれねえかい」

「えぇー……私今別の仕事中なんですけど。仕方ありませんね、知った顔でもありますし、とりあえず話ぐらいは聞きましょう。どうしたんです?」

「実は今日この子拾ったんですがね、探偵の旦那。ずいぶんと弱ってるみたいだし、飼い主を捜してくんねえかい?」


 にーにーと小さい手足をパタパタと動かして暴れる子猫をそっと抱きかかえるようにして持ち上げ、机の上に置く。急な環境の変化に少し不満げに唸るも、光を浴びてキラキラと反射するグラスを見てすぐに機嫌を直したらしく、興味津々といった様子で前足の先でつつき始める。


「そ、その子!?」

「どうしたい、そんな大声出して」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、確か写真がポケットに………あった!」


 ガサゴソとコートをまさぐり、随分よれよれになった1枚の写真を取り出す探偵さん。話は少しずれるが、この電子時代にいまだに探す対象の写真をプリントアウトして持ち歩いているのは完全に彼の趣味だ。趣味というより、いまいち時代の流れについていけていないのだろう。というか、この店の常連で時代の流れに乗り遅れていないのがさっきまで飲んでいた後輩くんただ1人だけである。


「あん?」

「やっぱり!プレートちゃん、ですね?」


 自分の名前を呼ばれて少しだけ反応するそぶりを見せるものの、またすぐにグラスに興味を戻す黒猫改めプレートちゃん。プレート、確か黒のポルトガル語読みだったかな。とにかくその反応に満足したらしく、明るい顔になってそっとプレートちゃんの頭を撫でる探偵。


「すみません、私の仕事はこの子を連れて行けば終わるんですよ。プレートちゃんを見つけてくれたお礼に、ここはぜひ私に奢らせてください」

「お、おう。わしは別になんもしとりませんがね、くれるっちゅうなら断るわけにはいきませんわな」

「ええ、なにせ今回は依頼者が割とお金持ちなもので、前金だけで普段の礼金より高いぐらい頂いたんですよ。一応断りはしたんですが、おっしゃる通りくれるというものを断り続けるのも失礼ですしね。マスター、適当なところを1杯ずつ私たちにお願いします」 

「………」


 その後はしばらく静かながらも上機嫌そうにグラスを傾けていた2人だったが、やがてその中身も飲み進めるにつれ空になっていく。遊んでいたプレートちゃんもやがてお腹いっぱいになって眠くなったのか、テーブルの上で小さな体を丸めるようにしてかすかに寝息を立てて始めたころ、探偵がすっと席を立った。音もなくくちゃくちゃになった万札をカウンターの上に置き、プレートちゃんをそっと抱え上げて今度はちゃんとコートと帽子を身に着けて外に出ていく。

 土方さんはそれを微妙にさびしそうに見つめたのちに名残を断ち切るかのようにグラスに残った酒を一気に呷った。その姿は少しさびしそうに見えるけど、これで生きる望みを失うようなキャラじゃないのはよく知っている。また何事もなかったように私たちの前に出てきてくれるだろう。

 やがて夜も更け、『てっぽうみず』にも閉店の時は訪れる。客のいなくなったバーでマスターが1人片付けを終え、静かに1人座っていた。


「………俺は、駄目な夫だな。いつまで経ってもお前のことを忘れられない」


 ポツリ、と独白する。私はそれを聞きながら、胸が締め付けられるような思いでいた。私はこんなに近くにいるのに、あなたのことを見守り、この店を陰から支えることしかできないなんて。


「こんなこと言ったらお前は笑うんだろうけどな、いつまで私に構ってるんだって」


 そうだ。その通りだ。もう私のことはいいから早く、新しい、いい人を見つけてまた幸せな家庭を築いてほしい。

 だけど、私のその言葉は届かない。もう何年も前に同じことを病床で言った時も、この人ならどうせこうなるだろうと半ば諦めてはいたけれど。


「でもな、今日はなんとなく、お前がここにいるような気がしたんだよ。女々しいよな。笑っちまうよな。でも、俺はその時、内心すごく嬉しかったんだ。お前には悪いけど、まだまだ引きずっていくさ。さてと、それじゃあお休み」


 美術品など全くないシンプルな壁にかけられた、たった1つの小さな色あせた写真。若かりし頃の、まだ髭が黒かった頃のマスターとその奥さん、つまりまだ生きている頃の私が一緒になって写ったツーショット写真。それに対して優しい目でほんのわずかに笑いかけ、バーの電気を消した。

 まったく、この人はずるい。あんなこと私だけに言われたら、まだまだ成仏なんてできないじゃない。もっとあの人を見ていたい。隣にいたいなんて贅沢は言わない、もう私は生者ではないのだから。でも、もう少しだけ見守っていたい。

 …………今日も、この町に朝日が昇る。先輩と後輩が会社に行き、新入り君が仕事を教わり、探偵が新たな依頼を自らの事務所で聞き、浮浪者は新たな仕事を求めて工事現場へ赴き、マスターはまたこの店を開く。常連の客が来るのを待ちながら、静かにグラスを磨きつつ。そして私は、そんな日常を見守り続けるのだろう。私が見守っていられるうちは、いつまでも。

要望があれば最後の部分をちょこっといじってミステリーに変更します。

具体的にはここまでに出てきた人のうち誰かが死にます。

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[一言] 早速拝読させていただきました‼ ……確認ですが、久本さん私と同い年ですよね??バーに出入りしているかのような雰囲気……お酒呑めそう……お酒は二十歳になってから[格言] しびれる大人な雰囲…
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