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上海出雲

1937年 8月14日 AM6:40 中華民国 広徳基地



『出撃準備を開始しろ!!』


中華民国の広徳航空基地には、中国国民党軍の十九機のノースロップ・ガンマ2E爆撃機が並べられ、今まさに出撃準備を行っていた。


ついに中華民国政府から上海の黄浦江に停泊している日本軍の装甲巡洋艦「出雲」軽巡洋艦「川内」を含む第三艦隊を空襲するために出撃命令が下されたのだ。


その中で中国国民党空軍所属の呂格(字:評陳)は後部機銃手の後共と共に飛行服を装備してガンマ2Eの一機に乗り込み、コクピットのパーキングブレーキを解除した。プロペラは既に回転を始めており、エンジンカウルから白煙が吹き出ている。


「二百五十キロ爆弾装着完了!!異常ありません!!」

「それでは、幸運を祈ります!!」


整備士がそういって敬礼をする。呂格もそれに答えると、スロットルレバーを少し押し込んだ。


「ようし、後共!!出撃するぞ!!」

「了解です!!・・・にしても凄い数の味方ですね。日本軍なんて二百五十キロ爆弾の雨を降らせればこっぱみじんですよ」


後部機銃手の後共が意気揚々とそう言ってくる。ただっ広い大地のど真ん中にある広徳飛行場では既にタキシングを始めており、先頭の機体は離陸体制に入っている。


「そうだといいが・・・我々は練度が低いからな。何機帰ってこれるか・・・」

「離着陸くらいなら楽勝じゃないんですか?」

「離陸はまだしも着陸は難しいぞ。スロットルの操作をまずると舌噛むしな。俺でも初めて飛行機触ってから百時間しか空を飛んでないんだ。やはり着陸が一番面倒だよ」

「そんなもんなんですね・・・」


朝焼けの陽光が彼らの飛行機を照りつけており、主翼が幻想的に輝く。実にのどかな雰囲気だ。


二百五十キロ爆弾を二発装備したガンマ2Eはとても重く、機動性と速度が著しく低下してしまう。日本軍の九六式戦闘機などと出くわしたら赤兎馬が半里を走り終えるくらいの時間で全滅してしまう可能性も捨てきれない。昨日の戦闘開始に際して日本軍が渡洋爆撃を開始したとの情報があり、戦闘機隊はそれに備えて待機中だ。


「離陸を開始するぞ。後続はついてきてるか?」

「付いてきてます。一機途中で外れました。エンジンオイルがぼたぼたと垂れています。エンジントラブルかなんかでしょうか」

「この機体は大丈夫なんだろうな・・・」


呂格は少し不安げになる。やがて先頭の機体が離陸滑走を開始し、それに続いて次々と二百五十キロ爆弾を搭載したガンマ2Eが滑走を経て空に浮き上がっていく。呂格はスロットルレバーを限界まで押し込むと、機体が振動しながら速度を上げていき、ふわりと浮いたかと思うとみるみる地面が離れる。呂格の機体も無事に離陸できたのだった。


「後共、これから数時間飛ぶぞ。景色が綺麗で気持ちいいからって寝るなよ」

「大丈夫ですよ。本持ってきてますから」


後共がそういって後ろから本を見せてくる。小説家である魯迅の作品集「吶喊(とっかん)」のようだ。呂格はゴーグルを付けると一気にキャノピーを閉めた。


「この機体に描いてある北斗星君の絵は機長が描かれたのですか?」


後共がガンマ2Eに描かれたノーズ・アートについて聞いてくる。呂格のガンマ2Eには北斗七星を人の姿に置き換えた「北斗星君」の絵が左側に描かれていた。


「ああ、この絵は俺が描いたよ。北斗星君だ」

「この絵にはどういった意味がこめられているのでしょう?」

「あれだ、昔の神話でな・・・寿命が十九歳までしかないといわれていたある少年が困り果てていたんだ。そしたらある人に『鹿の干し肉と酒を持って北斗星君と南斗星君の所にいき、寿命を書いた紙を見せて寿命を伸ばしてもらうといい。だが、一言もしゃべるな』と言われ、それでその少年は鹿の干し肉と酒を持って、碁を打っている北斗星君と南斗星君のところに行ったらしい」


「そして、その少年は何もしゃべらないまま北斗星君と南斗星君に干し肉と酒を渡し、十九とかかれた紙を見せた。すると北斗星君が持っていた巻物に紙にかかれた十九をひっくり返してと言うことで九十一と書き、お陰で少年の寿命は九十一歳に伸びたんだそうだ」

「へええ・・・そんな事が」

「だから、俺達もそれにあやかれたら、という事で描いたんだ。といっても時間が無くて南斗星君は描けなかったが・・・」



挿絵(By みてみん)



朝焼けの地平線には雲が連なっており、その姿は山脈にもみえる。上海がある方向は雲がかかっていそうだ。「北斗星君」は彼らを生かしてくれるだろうか。









1937年 8月14日 AM9:45 上海フランス租界 ル・ファンデンホテル




「もう銃声はなれっこだ・・・」

「案外眠れないものなんだな・・・」


ル・ファンデンホテルの内部ではクマができたアレンツとソトモクが窓の前の椅子に座っている。銃声や砲撃音が夜通しなり響き、彼らは結局満足に眠る事ができなかった。


上海には熱い雲がかかり、空は白に染まっている。今でも散発的に銃声が響いているが、夜中の比ではない。

一番激しい銃声が轟いたのは夜の九時と夜中の二時辺りだろう。ロビーの従業員に聞いてみたところ、どうやら日本軍の上陸部隊と中国軍の大部隊が二回ほど鉢合わせして戦闘にもつれこんだようで、ちょうどその時刻は九時と二時であった。


「いつになったら上海から出られるんだ・・・」

「さあな。俺たちも独身とはいえ家は恋しい・・・というより、俺達がいなくて会社は大丈夫なのか?」


アレンツはつい溜め息をつく。彼らの所属する会社のことについてだ。彼らは上海租界にいるアレンツ達がいる会社の商品の買い手との話も終え、今日にも帰れる予定であったのだが、戦闘が開始されたためにホテルから出たとしても命の危険に曝されるかもしれない。


ホテルからの外出禁止令は解除されたが、武装した憲兵達は相変わらずロビーに立っており、行き交う人々の行動に目を通していた。

確かに人通りは少なくなっているが、やはりフランス租界の中は安全だという意識からか多数の人が普段と変わらず街を歩いている。



「日本の艦隊も結構ピリピリしているそうだが・・・ん?何か音が聞こえるな。重低音だ」

「飛行機の音だろうな・・・昨日も中華の飛行機が低空飛行していたが・・・何かしなければいいんだがな」













「後共、上海上空だ。ひどい雲だな」

「やっとですね!!待ち焦がれましたよ・・・」


厚い雲がかかっている上海上空には十機の中華民国空軍所属のガンマ2Eが悠々と飛行している。十八機いたが、八機がエンジントラブルで引き返してしまった。先日にも数機のカーチス・ホークIIIが日本艦隊上空を低空飛行したが、日本艦隊からの攻撃はなかった。だが、今回からは全力で撃ち上げてくるかもしれない。何せ彼らに爆弾を投下して巡洋艦「出雲」を撃沈又は損害を与えるのが呂格たちの主目標なのだ。


「出雲」の名前の由来は日本の出雲という地名の由来であり、雲がわきでてくる情景からだという。それと何らかの関係があるのだろうか、上海も厚い雲で覆われている。隊長機が既に「出雲」以下の日本艦隊への攻撃命令を出しているが、今爆弾を投下しても民間施設への損害を与えてしまうだけだろう。


「高度を低くするぞ。出雲を探す」

「了解です。雲で見えないのは怖いですね」


そういって呂格は操縦かんを前に押し倒し、高度に細心の注意を払いながら出雲を捜索することにした。


雲に入り込むと、機体全周が白い雲に包まれて方向感覚が消し飛ばされる。高度計だけが彼らの頼りだ。時々西洋風の高層建築が雲をつき抜けて姿を表す。すると、多数の車や人がひしめきあう上海の黄浦江沿岸の大通りが眼下に広がり、建物にぶつかりそうになって機体を引き上げる。すると、大通りの姿は雲に消え、一瞬にして見失ってしまった。


「機長、今のが大通りならば出雲はここのすぐ近くにいると推定できますよ」

「ああ。租界近くでは黄浦江しか艦を停める場所は無いからな。味方機の姿は見えるか?」

「三機我々に追従してきます」


すると、四時の方向で爆発音が轟き、ちらりと山吹色の爆発光が雲の中から煌めいた。二手に別れた部隊の片方が日本海軍陸戦隊本部への爆撃を開始したのだろう。


しばらく雲の中を捜索していると、雲の隙間から四本の煙突が目に入った。艦形識別表を見たところ、日本海軍の軽巡洋艦「川内」だろう。呂格はしめた、と思い、機を百八十度反転させた。


「川内」がいるのならば最優先目標の装甲巡洋艦「出雲」は必ずそばにいる。呂格はそう踏んだ。


黄浦江の上を通りすぎると案の定、黄浦江に日本海軍第三艦隊の姿が見えた。全体的に太く、マストが高いのが「出雲」、細長くて煙突が四本あるのが「川内」だ。


「目標確認、爆弾投下用意」

「爆弾投下用意よし!!」


呂格はそういってダイブ・ブレーキを降ろし、さっきの地点に向けての緩降下に入った。


低速度で「出雲」を確認しようとしたが、再び雲がかかってしまった。だがやり直しは出来ない。


「よし、投下しろ!!」

「投下!!」


仕方がないので勘で出雲のいる地点に向けて二百五十キロ爆弾を二発とも投下した。機体がふわりと軽くなる。後続の何機かの機体も同じく爆弾を投下したようだ。爆発音が轟く。


「後共!!爆撃効果を確認してくれ!!」

「駄目です!!見えません!!」


爆弾が目標に命中したか否かは厚い雲のため見えない。「出雲」に宿る神が雲を生み出して我々を妨害したのか。呂格はそんな想像までしてしまった。



日本海軍の第三艦隊を見ることが出来るように低空を飛行するが、如何せん雲が濃すぎる。すると、爆発音が何回もとどろき、黒い煙がぽつぽつと現れた。


「畜生、見えんな」

「連中、高射砲をうちはじめました。破片に注意してください」


ふと、雲の切れ間から四本煙突の軍艦が姿をあらわす。「川内」だ。その「川内」すぐ前方に「出雲」を確認した途端、一斉に高射砲が発射され、辺りが爆発に包まれた。


「見えました!!一発倉庫に命中しています!!『出雲』は・・・があっ!!」


共に艦載機関銃も発射され、何機かの機体に弾丸が命中する。すると、呂格のガンマ2Eにも火線が伸び、その機関銃の弾雲は後共をキャノピーごと粉砕した。



挿絵(By みてみん)



「こ、後共!?どうした!!」


後共の血と肉片がキャノピーの破片と共に落ちていくのが見えた。呂格は「出雲」の姿を捉える。あれほど投下された爆弾はタグボートを何隻か吹き飛ばし、沿岸の燃料タンクを破壊して火災を発生させたのみで「出雲」に一発も当たることはなく、「出雲」は完全に無傷であったのだった。


「駄目だったか・・・」


呂格は項垂れてゴーグルを外す。よく見ると後共の血が前にまで飛び散っている。後共は日本軍の機関銃弾に首から上を吹き飛ばされていたが、呂格は皮肉にも「出雲」と同じく無傷であった。



何機かの味方機を引き連れた隊長機が上海市街の上空でばたばたと翼を振っている。集合命令だろう。呂格は機体を上昇させて編隊に加わり、帰路につくことにした。




しばらくのあいだ雲の上を飛行し、隊長機に付いていくと、広大な大地に佇む一つの野戦滑走路が姿を表した。



「ここは広徳基地じゃないな・・・新造の基地か?」


なぜだろうと呂格は首をかしげる。広徳基地よりも上海に近い。とりあえず味方に着いていき着陸することにした。


滑走路の中心軸にぴったりと機体を合わせて降下する。隊長機が着陸し、それを皮切りに次々と味方機が滑走路に着陸していく。途中で一機のガンマ2Eが着陸に失敗し、爆発炎上してしまったようだ。


呂格もなんとか着陸に成功し、がたがたと機体を振動させながらエアブレーキを全開にして機体速度を落とし、機体を滑走させる。


呂格は血のついたキャノピーを開く。出撃した十九機のガンマ2Eのうちここまで無事に来れたのは九機だけであった。

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