くちひげのうたひめ
1
昔ある村に、それはそれは美人で、菓子作りも上手く、何よりカナリヤのごとく美しい声で歌う娘がおりました。
昼間になると娘は村の広場へ行き、歌を歌う。その歌声が村のみんなの昼休憩の合図。
村人たちも広場に集まり、その歌を目の前で聴き、歌が終われば集まった村人たちに娘が菓子を配って金を受け取る。
そうして娘は日々の生活に必要なお金を稼いでおりました。
しかしそれでも、病気で動けない母を看病しながらでは、その日暮らしがやっとだったそうな。
娘の家族は母だけでしたが、二人はとても仲がよく
「やっぱり私が身売りでもしないと、お母さまに辛い思いをさせてしまうわ」
と娘がこぼすと
「バカを言うんじゃないよ。あんたの歌とりんごパイが無くなったら何を楽しみに生きればいいんだい」
と母は言いました。
貧乏な生活ではあるけれども、充分満足していたのです。
2
ある日娘が目を覚まし、顔を洗おうと水の入った桶を覗くと、びっくり仰天。
水に映った自分の顔の口元に、何やらふさふさした毛虫のようなものが乗っているではありませんか。
なんだこれはと顔を触ると、そのふさふさは自分の顔から生えているのです。
口の上、鼻の下に生えたそれをよくよく観察してみれば、それは口ひげ。
そう、どうしたことか、美しかった娘の顔に口ひげが生えてしまっているのです!
「こんなんじゃあ、みんなの前で歌えないわ」
ナイフを使って、顔を切らないようにそっと口ひげを切り落とそうとしました。
しかし、切っても切っても伸びてきて、口元をおおい隠すように生えてくる。
どうしようかと悩みましたが、娘はお金を稼がないといけないので、昼になるといつもどおり広場へ歌いに行きました。
初めはみんな笑って済ませてくれましたが、次の日、また次の日と、少しずつ集まる人の数が減っていきました。
どうしてだろう。やはりこの口ひげのせいだろうか。ひげの生えた醜い顔を見たくないのだろうか。
退屈しのぎに散歩をしていたとき、娘は村人が自分の話をしているのを聞いてしまいました。
「あの娘はきっと悪いまじない師に呪われたんだ。近付いたら自分たちも呪われてしまうに違いない」
娘は悲しくなりましたが、それでも毎日歌うのはやめません。
やめてしまえば母に辛い思いをさせてしまうのですから。
来る日も来る日も歌い続け、しかし集まる人は減っていき、日々の稼ぎも減っていき。
しまいには「めいわくだ。村から出て行け」と罵声を浴びせられる始末です。
自分の食べるものにすら困り始めたころ、ついに母の命は尽きてしまいました。
3
母が亡くなって数日後、いつものように広場へ向かった娘でしたが、おなかがすいて歌う気分にはなれません。
広場に来たのも、ぼろぼろの服を着て細い棒切れを持った、いかにも貧乏そうな少年がひとりだけ。
地面に座って空を眺めていると、少年が目をつぶったまま問いかけました。
「今日は歌わないのかい?」
その質問に娘は
「きっと誰もひげの生えた女の歌なんて聞きたくないんだわ」
と答えました。
少年は相変わらず目をつぶったまま。
この少年もこのひげの生えた醜い顔を見たくないに違いない、だからずっと目を閉じているんだろう。
娘はそう考えましたが
「僕は目が見えないんだ」
と少年は答えたのです。
娘と少年はしばらくその場でおしゃべりをしました。
娘は、家が貧乏なこと、つい最近たった一人の家族である母を亡くしたこと、ひげのせいで村のみんなから出て行けと言われること。
少年は、娘と同じくひとりぼっちであること、周りの人達からは嫌われていじめられていること、道ばたでものごいをして暮らしていること。
おたがいのことを話し合い、涙をながし、二人はすっかり打ち解けました。
そして、ふと少年が言ったのです。
「この村にいばしょが無いのなら、二人で旅でもしないかい?」
4
家と家具を売ったお金で、食べ物や旅に必要なものを買い、母が大切にしていた首飾りを首にかけて、二人は旅に出ました。
重い荷物を二人で背負い、少しばかりの食べ物を二人で分け合い、底冷えする夜が来れば身を寄せ合って眠り。
そうして食べ物がなくなるまで何日か道や森の中を歩き、やがて見知らぬ街につきました。
「この街でしばらく休んでいこう。お金も稼がなきゃいけないね。僕はものごいをしてお金を稼ぐことしか出来ないけど、君はまた歌える?」
娘はううんと唸ってのどの調子をたしかめ
「歌えそうだけれど、伸びたひげが少しじゃまだわ」
すると少年は、旅の間に伸びたひげを器用に二ふさの三つ編みにしてあげました。
「ありがとう、ずいぶん器用なのね。何だかナマズのひげみたいだけど、歌いやすくなったわ」
日が高くのぼったお昼どき、二人は街の真ん中に広場を見つけ、そこで歌うことに決めました。
娘が広場の真ん中に立ち歌い始める、すると街の人たちが何事かと物珍しい顔で集まりはじめ、歌が終わる頃には広場は見物客でいっぱいに。
見物料は沢山集まり、その日の歌は大成功。
二人は宿を借り、宿の厨房を使わせてもらって娘の得意なりんごパイを焼き、次の日も広場で歌って集まった人達にりんごパイを振る舞いました。
そんなふうに何日かつづけていると、二人はたちまち街人たちの話題になり、街で知らぬ者はいないほどに有名になりました。
一生この街で暮らすのもいいかも知れない、とも思いましたが、二人はまだ旅の途中なのです。
お金がたまったら次の街へ行こうと決めていたのです。
ついに街を出る日、別れの歌を歌いりんごパイを振舞うと、街の楽器売りが一つの弦楽器を差し出し言いました。
「旅芸人のお方、素晴らしい歌と菓子をどうもありがとう。この弦楽器は街のみんなからの贈り物です」
それを受け取り感謝の言葉を言い合って、二人はその街をあとにしました。
5
それからまた二人は旅を続け、西へ東へ、山を越え森を越え、雪の積もる寒い日も、太陽のぎらぎらと照りつける暑い日も。
歩き、歌い、お菓子を振る舞い、お金が貯まればまた歩き。
ものごいしかできなかった少年は、歌に合わせて弦を弾くのが仕事になり。
「ひげの歌ひめと盲目の弦弾き」といえば、国で知らない人はいない旅芸人。王様だって知っている。
ある人は、彼らが訪れた街は豊かになると噂する。
またある人は、歌ひめのお菓子を食べると幸せになれると噂する。
二人の旅は何年も、何十年も続きました。
いろんな街へ行き、いろんなものを見、いろんな人と会い、別れ。
充実した旅の中で二人は仲を深め、たがいに愛し合いました。
しかしそんな二人は二人のまま、歳をとり、今となってはおじいさんとおばあさん。
彼が弦を弾こうとすれば指が震え上手く弾けず、歌を歌うにも息をめいっぱい吸うことはできないので、昔のようにすばらしい歌を歌うことはもうできません。
旅の続くある日、少年だったおじいさんが言いました。
「ねえ、次の街でさいごにしようか。お金もだいぶん貯まったろう、家でも買って、一緒にのこりの人生を過ごさないかい」
歌ひめだったおばあさんは、おじいさんの言葉にうなずきました。
涙で口ひげを濡らしながら、ふかく、ゆっくりと。
6
さいごに二人がたどり着いたのは、星のよく見える街。
二人は貯めてきたお金で家を建てて、昼はおばあさんの焼いたお菓子を売り歩き、夜は家の窓から星をながめ、落ち着いた毎日を過ごしました。
街の人たちにも受け入れられ、何も不自由のない生活。おじいさんもおばあさんも幸せでした。
「やっぱり君には、笑った顔がよく似合う。まるでこの街の星空のようだ」
ふとおじいさんが言った言葉におばあさんは
「目が見えないのにおかしな事を言うのね」
と笑って答えました。
太陽の光がぽかぽかと暖かいある朝に、おじいさんは弦楽器をだいて、揺り椅子に座ったままうとうとと居眠りしました。
昼になり、おばあさんはおじいさんを起こそうとしましたが、おじいさんは起きません。
声をかけても揺さぶっても。
泣きながらおじいさんの名前を呼んでも、おじいさんは起きません。
弦に指をかけたまま、二度と目を覚ますことはありませんでした。
おじいさんのお葬式には街の人たちがたくさん集まり、おばあさんをなぐさめました。
いろんな人がなぐさめに声をかけに来ましたが、その中に見知らぬまじない師がおりました。
まじない師は薬の入った小さな瓶を差し出し
「少しの時間だけ若返ることのできる薬です」
とだけ言いました。
最初はいらないと突き返そうとしましたが、まじない師は引き下がりません。
「最後に、あの素晴らしい歌声をどうかもう一度お聴かせください。きっと盲目の彼も安らかに眠れるでしょう」
まじない師は、若かった頃の歌ひめを知っていたのです。
おばあさんは自分達の若かった頃を思い出し、おそるおそる小瓶を受け取って薬を飲み干しました。
7
薬を飲んで若返った歌ひめが広場に置かれた舞台に上がると、大勢の拍手で迎えられました。
ちょうど夕暮れどきのこと、夕焼け空を背にして歌い始めるひげの歌ひめ。
歌ひめが胸いっぱいに息を吸って歌ったのは、盲目の彼とともに旅した数十年の歌。
その歌と口ひげの生えた美しい顔に心をうばわれ、足を止める道行く人たち。
街人たちは、空高くまで響く歌声を聴きながら、酒を飲んだり、感動して涙を流したり。
やがて空には一番星が輝き、いつの間にやら雲一つない満天の星空が広がっておりました。
歌ひめは声の続く限り歌い続けました。
声が枯れて歌が終わる頃には夜が明けはじめ、薬も切れておばあさんに戻ってしまいました。
鳴り止まない拍手の中、朝日を浴びながら、ふらりと倒れるおばあさん。
そのまま満足したように、息を引き取ったのです。
おじいさんとおばあさんは一緒のお墓に入りました。
『ひげの歌ひめと盲目の弦弾き、ここに眠る』
こうして二人の旅は終わったのです。