挨拶の日 逸美view
今日からG・Wの後半。5月初旬の空は清々しいまでに晴れ・・てもいなくて、うっすら曇りがちで絶好の行楽日和とはいえないけれど、でもあたしにとっては長期休暇や行楽なんてことよりも、もっと心待ちにしていることがある。
その待ち遠しい理由が今まさに到着する時刻に近づき、あたしは一人頬を染めながら、ソワソワと改札口を見つめていた。
【もうすぐ着くよ】
5分くらい前に届いた彼からのメール。向こうを出発する時間も新幹線の時間も、前もって教えられていたから大体何時頃に到着するって言うのはわかっていたけれど、かなりマメな性分の彼は乗り換えの度にわざわざメールを送ってくれた。
「洋祐さんに会える・・・」
そう、すごく久しぶりに彼に会える。
毎晩就寝前に電話で声を聞いてはいるけれど、やっぱり顔が見たい。だってあたしたちはまだ付き合い始めて3ヶ月にも満たない超ラブラブな時期だから。
最後に会ったのは3月の下旬。引越しの準備と理由付けて、半ば強引に押し掛けた時。一人暮らしが長い彼はすでにきちんと荷造りができていたから、あたしと同じく手伝いに来た彼の同僚の坂下さんたちと一緒にお掃除しただけだったけど、夜は二人っきりでそれなりにイチャイチャできた。
と言っても、午後はそれぞれ新幹線の予約時間があったから、お昼には二人そろってアパートを後にし、軽く食事をして、新幹線の発着駅で惜しみながら別れた。その際、
『毎日必ず電話するよ』
改札口の前でぎゅっと抱き寄せられ、耳元で低めの美声で囁かれたあたしは、夜の余韻もあってか腰が砕けるかと思った。
さすがに公衆の面前でキスされたりしなかったけれど、されても不思議じゃないくらいまで顔を寄せられ、身長差のせいでほぼ真上から瞳を覗き込まれると、ドキドキで心臓が止まりそうだった。
あれから1ヶ月とちょっと。今日は彼があたしの両親に挨拶に来てくれる。ほら、よくドラマなんかで見る、「お嬢さんを僕にください」ってアレね。
仕事に忙殺されてる上、遠くて大変だからいいよと言ったあたしの言葉を退け、彼はどうしてもG・Wには行くと言って譲らなかった。
しかもいつの間にかウチのお父さんお母さんと仲良くなっちゃってるし。
・・・そんな訳でこうして到着時間を目前に、あたしは駅前で彼の姿が現れるのを待っていた。
「あ・・・」
着メロが鳴る。表示にはもちろん彼の名前。急いで出ると、機嫌の良さがわかる、彼の明るい声が聞こえてきた。
『今、駅に到着したよ』
電車を降りたばかりらしく、彼の周囲はガヤガヤと騒がしい。ホームのアナウンスも聞こえてくるから、大体どこにいるのかがわかる。
あたしは駅前のどこで待っているかを伝えると、彼はOKと返事を残して通話を切った。
わくわくドキドキが最高潮に跳ね上がる。
ゾロゾロと改札口を流れ出てきた群集を目を凝らして見つめ、意味がなくとも爪先立ちして背の高いシルエットを探した。
「! いた・・・」
紺色のスーツ姿に小振りのボストンバッグと菓子店のロゴ入り紙袋を提げた、やや疲労の見えるアンニュイな雰囲気の彼を見つけた。
彼は改札を抜けた途端に周囲を見回し、すぐにあたしに気がついた。
それまでの無表情が、一気に蕩けそうな微笑に変わる。
「うわぁ・・」
その笑みを向けられたあたしはもちろん、彼の近くにいた数人の若い女性がポッと頬を染める。正直すっごい威力だ!
「待たせた?」
目の前に立った彼は、ポーっとのぼせた様に顔を赤らめたあたしのぽっぺを突付くと、さらさらと髪を梳いてその一房に口付けた。
「よっ、洋祐さん!」
本人より先に周囲の誰かが息を呑んだ。
一瞬で我に返ったあたしは跳ねるように後ろに下がると、唇が触れたあたりの髪を押さえ、あうあうと声にならない叫びで抗議した。
久しぶりに会った彼は相変わらずメロメロ甘々で、前回別れる間際にギリギリされなかったキスも、暫く会えなかった時間が彼の衝動を抑える箍を緩めてしまっていたらしい。
それでも髪に留めてくれただけよかった・・・・・・・・・よね?
「も~~~! 洋祐さんってホントは日本人じゃないんじゃないのっ?」
熱くなった顔をパタパタと手で煽ぎながら、隣を歩く彼を斜めに見上げた。
家までそんなに遠くはないからと、二人並んでゆっくりと歩く。彼の住んでいた街と違って、恥ずかしいくらい田舎の風景だけど、大好きなヒトがこの景色を一緒に見てくれてると思うと、見慣れた場所もちょっとだけ違って見えるから不思議。
二人分の足音を聞きつつ、確か彼のアパートに行ったときも、こうして話しながら並んで歩いたのを思い出していた。
「ごめん。逸美の顔を見た途端、どうしても我慢ができなかったんだ」
ちっとも悪びれた様子のない笑顔を睨んでみたが、「ん?」と覗き込まれてはいつまでも不機嫌を装ってはいられない。
あたしはふぅ・・とため息をつくと、への字に曲げていた口元に笑みを浮かべ、改めて彼に笑いかけた。
「もういいよ。・・それに、遠いのにわざわざ来てくれてアリガト。なんかね、お父さんたちも洋祐さんに会えるって、メチャクチャ楽しみにしてるの」
「ああ。実はご両親・・・お義父さんと約束したものがあるんだ」
手にしていた荷物をわずかに持ち上げてみせる。ボストンバッグはともかくとして、大き目の紙袋の中身は何だろう?
「約束?」
首を傾げてたずねると、彼はクスリと笑って頷いた。
「そう。まぁ、約束と言うよりはリクエストかな? ・・地酒。以前ご友人に頂いた物が美味しかったから、手土産を考えているなら、是非それを買ってきてほしいって頼まれてね」
えええーっ?! 何その図々しいお願いは!!
疲れている洋祐さんがわ・ざ・わ・ざ来てくれるっていうのに、そんな無茶苦茶なことを頼んでるなんて予想もしなかった。
もうっ! お父さんたら~っ!!
「ゴ、ゴメンねっ! そんなこと頼んだなんて聞かされてなかったの。うちに着いたら一番に怒っとくから!」
慌てて謝ったけれど、彼はううんと首を振って怒らないようにと言った。
「きっと気遣ってくれたんだと思うんだ。俺が必要以上に緊張しないように。電話口で挨拶が遅れたことを謝罪したときも、覚悟を決めるための猶予をもらったと思ってるから気にするなと言ってくださったし。お義母さんもとても明るくて楽しい方みたいだ。・・・いいご両親だね」
大好きな人に両親をほめられて感動で胸が震えた。なのに唇を割ってこぼれたつぶやきは、
「洋祐さんでも・・緊張するの?」
無意識にしてしまった問いに、彼は苦笑した。
「もちろん。これから生涯を共にする女性に一片の不安もなく嫁いで来てもらいたいのなら、まずはご両親に結婚を快く認めてもらわなきゃならないからね。気に入ってもらえなかったらどうしようかって、心配なんだ」
はいぃ? なにその無駄な心配は!
「えっ! まさか! 気に入らないなんて絶対にないわ! だって洋祐さんって優しいしカッコいいしステキだし、それにこッ・・・・・・」
「? こ?」
「・・・」
「逸美?」
ウッカリ勢いづいて、ものスゴ~~~く恥ずかしいことを口走りそうになった。
急にパタッと口を閉ざしたあたしを、彼は不思議顔で見ている。
「なんでもない」
首を横に振って、あたしはサカサカと早足で先に出る。一歩分ほど斜め後ろを彼がついてきているけれど、さっき自分で思ったちょっと恥ずかしい考えのせいで、後ろを振り返れない。
あたしったらなに考えてるのっ! ちょっとどころかかなり自意識過剰だわ!
お父さんに文句なんて言えないくらいの図々しいセリフを言いそうになり、さすがに思い上がりすぎだと赤面する。
「逸美ー? どうしたんだ?」
訊かれたって答えられない。
生まれてこの方22年、ごく普通なあたしに超・超・超イケメンな恋人ができちゃったからって、浮かれるにもほどがあるもの!
「おーい、いつ・・」
「なんでもないのッ。それより早く行こ!」
くるんと振り返るとあたしを呼び続ける洋祐さんの手をぎゅっと掴み、今度は手を繋いだまま歩調を速めた。
触れ合う手のひらに彼の体温を感じて嬉しくなる。でもそれと同時に、さっき言いそうになったあたし的恥ずかしいセリフは、彼のせいなんだとちょっぴり憎く思っちゃう。
言わずに止めたセリフを反芻し、ドスドスと歩きながら一人で内心うろたえまくった。
"洋祐さんって優しいしカッコいいしステキだし、それに・・・それに、こんなにもあたしを愛しているんだもの!"
言えない! それが事実だと確信してるけど、でも自分の口で言うのは恥ずかしすぎる! ッて言うか、事実だとか確信だとか、あたしどれだけ自信満々なのよ?! いや~ッ! 愛されてる自信や自覚なんて感情にこれまであまり縁がなかったから、ものすっごい抵抗あるわッ!
グルグルと考えれば考えるほど、どんどんドツボに嵌っていく。脳みそがフル回転しすぎてオーバーヒート状態。今にもブラックアウトしちゃいそう!
「逸美?」
だから再度呼びかけられたときには、もう些か涙目で、
「よーすけさ~ん・・・お願い~、あんまりあたしを愛しすぎないでぇ・・」
今世紀最大の、即・墓穴inしちゃいたい赤面セリフを吐いてシマイマシタ。
すぐに気がついたけれど、後の祭り。あたしは一気に顔を赤く染めそのままその場に固まった。
なのに石化したあたしに対して彼のほうは全然普通。一瞬だけきょとんと目を見開いたけれど、直後とても楽しそうに声を上げて笑い出し、そっとあたしの肩を抱き寄せ耳元でたった一言。
「もう手遅れ」
「~~~ッ」
家ではお父さんたちが待っているのに、帰り着くまでにあたしは平常を取り戻せるのかしら?
ありがとうございました。