ベッドの中で誓いをたてる
前話の続きですね。
夜中にふ・・と目が覚めた。まだ寝起きのやや霞みがかった視界で窓のほうを見ると、カーテン越しに街灯の明かりがボンヤリと透けている。
壁に掛けられた時計の針は3時18分。外で新聞配達員のバイクのエンジン音が聞こえた。
なにか夢を見ていた気がする。ホッコリと満たされた気持ちで目覚めたところを察するに、きっと夢見が良かったのだろう。覚醒と同時に内容がどこかへ消えてしまって全く覚えていないが。
寝返りを打とうとして少し体をひねると、隣から甘えを含んだ小さな鼻声が聞こえる。途端それが誰のものなのかを思い出し、一層胸の奥が暖かくなった。
ゆっくりと体勢を変え彼女の小さな体を抱きこむように引き寄せる。もうすぐ4月とはいえ今でも朝と夜はそれなりに冷えるから、上掛けからはみ出していた細い肩はヒンヤリと冷えてしまっていた。
彼女は疲れきっているようで目が覚める気配は無い。が、正面に現れたぬくもりに気がついたらしく、無意識に俺の胸元へすりすりと擦り寄ってきた。
~~~っ・・・可愛いっ!!!
力いっぱい抱きしめたくなるが、グッと耐える。わざわざ遠い距離を来てくれたうえに昨日は引越しの手伝いで頑張ってくれた愛しい人。しかも昨夜はムリをさせてしまった自覚があるから、少しでも長くゆっくりと休ませてあげたい。
薄暗い部屋の中で、白い月のように緩やかな曲線を描く柔らかな頬が呼吸に合わせて微かに揺れる。我慢しきれずに人差し指の先でちょっとだけつつくと、眉根を寄せてううん・・と声を漏らした。
相性がよかったのか、逸美は坂下や芝と初対面とは思えないほどすぐに打ち解けて、ずっと前からの友人同士みたいに楽しそうに笑いあっていた。
俺は目の前の白く浮かび上がっている額に口づけをし、もう一度眠りにつくために昨日のことを思い出しながら目蓋を閉じた。
「あ、いっつみん。そこの雑巾とってもらえる?」
「これですか?結構汚れてるから今洗ってきますね」
「ありがとー・・あっ!ね、ね、見て見てこの抽斗!佐藤さんってこーんなパンツ穿いてんのね~。ボクサー。うふふ・・イメージそのまんまだわぁ」
「! わわわっ。友梨子さん、広げちゃダメですよ~!」
わざわざ手伝いに来てもらった(坂下と芝は半ばムリヤリ押し掛けだ)ケド、転勤先に送る荷物が元々少ないうえに、少し前から徐々に荷造りしていたために、引越しの手伝いはこれといって無かった。ならば『立つ鳥、跡を濁さず』って言うでしょ?と坂下が掃除を提案し、4人で大掃除が始まった・・・のだが、
ベッドの下の衣装ケースを引っ張り出し、女性二人はキャッキャとはしゃぎながら片付け(?)している。
微笑ましい光景だが、手伝いと称して俺の下着をあさるのは正直なところやめて欲しい。・・おい!聞いてるのか、坂下!
逸美を駅まで迎えに行き、二人っきりの時間を少しでも長引かせようとゆっくりペースで歩いて帰った。すると、ちょうど到着したらしい坂下と芝がアパートの前でコチラに手を振っていた。
そのまま外で互いに自己紹介をし始めたので俺は先に階段を上がり、鍵を開けててドアを解放し、3人が上がって来るのを待っていた。
5分ほどしてやっと階段を登ってきたが、女性二人はいつの間にか『いっつみん』『友梨子さん』と呼び合うようになっていた。
作業3割:お喋り7割の割合で、決して効率はよくないながらも、坂下や芝と楽しそうに掃除している恋人の様子にまあいいかと思い、決めた場所を片付けていく。
「芝。本棚にハタキを掛けてくれ。あ、ちゃんと上からだぞ。・・て、おい!なにマンガ読み始めてるんだよ!」
堂々と壁に背中をもたれて巻続きのコミックを開いている芝の手からそれを取り上げる。何のために来たかわかっているのか?と叱っていると、クスクスと女性陣の笑う声が聞こえてきた。
「ホンット、芝クンてお約束なキャラよねぇ」
予想通りの行動だとのたまう坂下に、それなら連れてくるなと文句を言う。
「あら、ダメよぅ。男の引越しに女が一人で手伝いにきたら、いっつみんが心配しちゃうじゃない。『このキレイな女性は洋祐さんのなんなの?!キィーッ!』・・ってカンジで」
「・・・・・・お前、自分でキレイって」
「だって本当のことだもの~」
「そうッすね。オレも坂下さんは美人の部類だと思ッすよ!」
ハタキを放り出してやや興奮気味に同意している。さゆみもそう言っていたと続けると、増長した坂下が「でっしょ~!」と更に調子に乗ってきた。
ちなみに"さゆみ"というのは芝の恋人で、まだ(現在3月だから)入社1年目、もうすぐ2年目の女性社員だが、たぶん近々会社を辞めることになるだろう。寿退社で。
「でも美人も大変なのよ。ご面相がちょっと残念な方々にはやっかまれて陰口を叩かれるし、脂ぎったオッサンの無遠慮な視線はウザイし。痴漢に遭遇する率も高いのよね。ホント、キレイってめんどくさいわ~」
こうもハッキリ言い切れられると二の句が継げない。呆れて額を押さえ、嘆息する。
このコント染みた遣り取りに逸美は驚いているんじゃないかと思い、二人に気付かれないようにコソッと彼女の隣に寄ると、騒がしくてゴメンと謝る。
だが逸美は首を横に振り、とても楽しそうに満面の笑みを見せた。
「ふふふ。洋祐さんの職場、すっごく楽しそう」
「・・・楽しい楽しくないで言ったら、そうだな。楽しいかった。なんてったってウチの社で一番賑やかなメンツが同じ課に揃ってたから」
不思議なもので、いつもはウンザリしていたこの騒がしさも、今日で聞き納めと考えればちょっと寂しく感じる。
「暫くお別れで寂しい?」
ちょうどそう思っていたことを当てられ、僅かに目を見開いた。
彼女は自身の読みが外れていないことを確信した、ちょっとイタズラめいた笑みを見せている。
「顔に書いてあった?」
「あった」
自分の頬を撫でてどの辺に?と訊けば、細い指先を俺の鼻先に近づけて、この辺りだと笑う。どうせなら実際に触れて指し示して欲しかったから自分から顔を近づけてみると、彼女は慌てて手を引っ込めた。
その様子がちょっとだけ面白くなくて、つい意地悪をしたくなる。
「・・・俺に触りたくない?」
「え?!ううんッ、違うの。触りたくないんじゃなくて、あたし今さっきまで雑巾で拭き掃除してたから・・っ」
手が汚れているんだと、困った顔で必死に説明する逸美が可愛くてたまらない。男が好きなコをいじめてしまうのは、きっとこんなカワイイ顔を見たいからなんだろう。
もっともっと困らせてみたくなった俺は、汚れていると言われたその手を取るとギュッと握り締め、彼女の耳朶に触れるかどうかのすれすれの位置まで顔を寄せ、静かに囁いた。
「じゃあ、キレイに洗った後でならいっぱい触ってくれるのかな?」
「!」
逸美が直截な表現に弱いことを知っている。案の定彼女の顔は見る見るうちに真っ赤に染まり、あぅあぅと返事に迷った挙句、とうとう涙目で「バカ・・ッ」と呟いた。
ダメだ・・・!可愛すぎる!!!
今すぐにでも抱きしめてしまいたいのを、なんとかギリギリで抑えることに成功。射抜かれてメロメロの内側を隠し、余裕のある男のフリをした。
「ちょっと~、あたしたちがいることを忘れてるのかしらぁ?も~・・目の前でいちゃつかないで頂戴。あたしまでダーリンに会いたくなっちゃうでしょ!」
いつから見ていたのか、坂下が呆れた口調でクレームをつけてくる。
せっかく甘々な雰囲気を味わっていたのに、なんて無粋な!邪魔されたことにムカついた俺は、たった今我慢したことも忘れ、見せ付けるように逸美の肩を抱いた。
「遠慮なく帰っていいぞ。きっと田神さんもお前が来るのを待ってるはずだ。芝のところは・・・わからんけどな」
「そんな、佐藤さん~・・」と、情け無い声で訴えている芝は放置だ。
「んもう!佐藤さんたら意地悪ね。ちょっといっつみん。こんな性格の悪いカレシで本当にいいの?!」
俺の腕の中で恥ずかしそうに俯いてモジモジと雑巾の端を揉み解している逸美に、坂下が考え直すように忠告を始めた。
「男は中身よ!2軍落ちの外見を性格でカバーはできるけど、性格アウトのイケメンなんて詐欺師かゲイだと相場が決まってるんだから(※注 偏見です)。だまされちゃダメよ?若い頃イケメンだ何ていってもあと50年もしたら能面だか平面だかわからなくなるんだし、所詮皮一枚のことなんだからね!」
「坂下っ、おま・・」
「あのっ、でもっ・・洋祐さんて、その・・見た目がカッコイイだけじゃなくて・・性格もすごく優しいですからっ。えと・・それに多分、お爺さんになった彼もステキそう・・かな?」
余計なことを言うなと諌めようとしたのと同時に、俺の文句をさえぎるようにアゴの下から甘く呟くような彼女のフォロー。
それを聞いた俺は思わず感動し、坂下は一瞬きょとんと目を丸くしていたが、ジワジワと口角が持ち上がり、人の悪そうないやらしい笑みを浮かべ「へ~~~?」と一人頷いていた。
その後、予想通り散々からかわれた。おまけに手伝いの駄賃にと夕飯に寿司の出前をねだられ、更にはコンビニで芝が買い込んできた缶ビール代まで請求された。しかも最後には、
「あたしも泊まっていこうかな~」
いっつみんが心配だしぃ~?などとふざけたことを言い出したため、とうとうキレた俺は食事が終わった直後に二人を追い出しにかかった。
まぁ、本気で居座るつもりじゃなかったらしく、坂下はハイハイと二つ返事で腰を上げると、芝にも「帰るわよ~」と声を掛け玄関に向かう。
玄関先まで見送りにでた俺を振り返り、坂下はにやりと笑って顔を近づけてきた。
『可愛がりすぎて壊すんじゃないわよ』
と、俺にだけ聞こえるように耳元で忠告してきた。
職場で俺はクールだとか冷めているなどのイメージを持たれているらしいが、結構早い段階で俺の本質を見抜いていた節のある同期は、逸美と二人っきりになった俺が暴走しないか、本気で心配になったらしい。
・・・・・・坂下ゴメン。忠告は無駄に終わったよ。
仕方が無いんだ。自分でもどうにもならない。こんなにも誰かを愛するなんて、今までは想像もしていなかったから。
去年の8月、カプセルが・・彼女からの手紙が送られてきたあの日から、恋をするよう運命の歯車はずっと回り続けていた。
好きで好きで、好きすぎて離したくない。一度リミッターが解除されたら、もう彼女への想いを制御できる自信が無いし、抑えるつもりも無い。
俺の心中を知る由もなく、腕の中ですやすやと安らかな寝息を立てて眠る恋人に、聞こえていないと承知でそぅっと一言呟いた。
「俺に捕まったことを後悔しないで。ずっと・・」
キミを愛し続けると誓うから。