洋祐のある一日 (下)
嵐は突如やってきた。
「佐藤さん。ロビーにお客さんやそうです」
「? お客さん?」
下総さんに言われたとおり齷齪と仕事に勤しんでいた俺は、同課の新人・多田に来客だと告げられ、眉根を寄せた。
会議と外回りを午前中に済ませ、午後はデスクで詰められるところまで詰めきる予定でいたのに、アポも取らずに訊ねて来る人物にまったく予想がつかなかった。
「誰?」
「さあ? 受付が言うには女性だそうです」
女性? 更にわからなくなった。
せっかく波に乗って順調にこなしていたのに、水を差されて腹が立つ。しかしそのまま無視するわけにもいかず、仕方なしにすぐ行くと受付に伝えてもらい、俺はPCにロックを掛けて部屋を出た。
「お、そんな慌ててどこ行くんや?」
廊下に出た途端ぶつかりそうになった下総さんに、俺に正体不明の客が待っているらしいと教えると、言い方が悪かったのか、なぜか彼は面白がって一緒に来ると言い出した。
「オンナなんやろ? 身に覚えはないんか?」
弄んだオンナが乗り込んで来たのかもしれへんぞ! と、食堂での仕返しのつもりだろうか、キシシッとイヤラしく笑う。
「ありませんね。俺、カノジョ一筋なので」
「なんや! カノジョが居るんか?!」
せかせかと早歩きでエレベーターへと向かう。『下』のボタンを押して、箱が下りてくるまでの間も話は続く。
「おかしいですか?」
「いや。おかしくはない。おかしくはないが・・・ちょっと意外な気もするわ」
チン・・と到着の知らせを鳴らしてエレベーターのドアが開き、先に降りる者を通してから中に乗り込む。
すでに1Fのボタンは赤く光っており、俺たちは無遠慮にドアのまん前に立ち並んで、1階に着くのを無言で待った。
チン・・
ドアが開き、足を踏み出すのと同時に再び話し始める。
「カノジョが訪ねて来たッちゅうことはないんか?」
転勤してきてまだ3ヶ月にも満たない俺を、名指しで訪問してくる客など予想もつかない。それは下総さんも同じらしく、ならば知り合いがわざわざ会いに来たのではないかと言いたいらしい。
「逸美・・彼女が前もって連絡もせずに来ることはありえません。それに、受付で名乗りもせずに呼びつけるような知人が俺にいると思いますか?」
「う~ん・・だよな~」
隣で腕組みをして首をひねる彼を放っておいて、俺はカウンターの向こうで困り顔をしている受付嬢に声をかけた。
「訪問客って・・」
可愛らしいと評判の、ベージュ色の制服に身を包んだ美人が、ウシロウシロと小声でささやく。怪訝に思いつつも振り返ると、そこには水色のスーツを纏った20代半ばほどの髪の長い女性が、厳しい表情で腰に手を当てて立っていた。
「はじめまして。で、どちらが佐藤 洋祐さん?」
「はぁ?」
標準語だ。
突然の問いに、隣にいた下総さんと顔を見合わせる。俺たちは視線だけで「見覚えは?」「無い無い」と会話し、その後にやっと彼女と向き合った。
「佐藤はワタシですが。あなたは?」
身長は女性にしては高めだ。多分170弱といったところだろうか、スラリと細身でありながら出るところと締まるところがハッキリとした、メリハリのある体形だ。
そして顔立ちは文句なく美人。
「私は鈴木 妃奈子です。世良の伯母さまからお話は聞いてません?」
「セラノオバサマ?」
誰だ、それは? 『セーラー服のオバマ様』の略じゃないよな?
下総さんとまたもや見合わせるが、彼も首を横に振っている。
「申し訳ございませんが、『セラ』様からしてワタシには覚えがなく――――――」
「あああッ! やっぱりッ!」
途中まで言いかけた俺の声を遮り、彼女は妙齢の女性にあるまじき「か―――ッ! やってくれるわ、あのオバハンッ!」と、頭を抱えて叫びだした。
「おっかしいと思ったのよ! ヨウスケっつーたら麻美ちゃんがキャーキャー騒いでた相手とおんなじ名前なんだもん! やっぱりねー! そーよねー! そー来るんじゃないかって予感はあったのよねー!」
ポカンとしている男二人をほったらかしに、鈴木 妃奈子は一人納得し、見た目にそぐわないゲラゲラ笑いでロビーにいる全員の視線を集めている。
「あのー?」
今だ固まっている下総さんをそのままにして、俺は爆笑している彼女へ、遠慮がちに声をかけた。
「結局のところアナタはどなたですか?」
「あらやだ。まだわかりません?」
笑いすぎで滲んだ涙を拭きながら、妃奈子は不思議顔で覗き込んでくるの年上の男を見上げた。
「ヒント。貴方とは、遠~~~~~~~い親戚です。正直、血の繋がりはありません」
「・・・?」
「ヒント2。貴方と私の共通点は、佐藤 美穂と身内との縁談」
「あー・・・」
なんとなくわかってきた。
うっかりウンザリと項垂れると、彼女はクスクスと笑い、意味ありげなまなざしを向けてきた。
「気がつきました?」
「ああ、うん。『世良』。・・なるほど」
思い出した。兄貴が持ってきた見合い話の相手が確かそうだった。
「世良 麻美。イトコです。もちろん美穂ネェも」
言葉は少なくとも、この遣り取りでいろいろわかった。
いわゆるアレだ。妃奈子は二番手。
「G・Wの後ぐらいですか? 伯母さまから電話がかかってきて、見合いしなさいって言われたんです」
聞けば鈴木家は現在関西に住んでいるそうで、俺が近くに転勤したからと、佐藤の実家には何の了承もなしに縁談を持ちかけてきたらしい。
「美穂ネェに訊いてみたら全然知らないって言われたのに、伯母さまは見合いしろの一点張り。写真で見たら麻美ちゃんが夢中になるくらいイケメンだし? 釣り書きも文句なしなんだけど、身内に見合いを強制しなきゃ結婚できないなんて、どこかに欠点があるんじゃないかって疑うのが普通ですよね?」
そりゃそうだ。
兄貴に断ってもらって以来まったくその話が出なかったから、もう相手先は俺を諦めたんだと思っていた。が、甘かった!
逸美と知り合い恋人同士になってから、トントン拍子に関係が進んだ。結婚を前提に付き合いをはじめ、婚約指輪を贈り、ご両親への挨拶も済んでいる。けれどよくよく考えてみれば、実家にはまだ逸美を紹介していないし、そもそも恋人ができたこと自体報告していなかったかも・・・
今となると、少々浮かれすぎて、大事なことをすっ飛ばしていたようだ。
だけど、まさか見合いを仕組まれるなんて思いもしなかった。
疑問が一掃されたらしいスッキリ顔の妃奈子に反し、俺は頭を抱えた。
「お、おい! 佐藤ッ。俺! 俺!」
なにが言いたいのかはわからないが、ツンツンと脇腹を突っつかれ、今更ながら下総さんの存在を思い出した。
「そちらは?」
気を使ってくれたのだろう。妃奈子はわざとらしく彼を覗き込み、紹介するよう促した。
いつの間にやら完全復活した彼の方も、一般基準よりも格上だろう美人の妃奈子に興味があるようで、いい年してソワソワと落ち着かない。
「こちらは俺の上司で・・」
「企画室の窓辺の番人、下総と申しますッ」
張り切ってる。
「ご丁寧に。私は先ほども言いましたが、改めて。鈴木です。鈴木 妃奈子。洋祐さんとは一応親戚ということで」
ヨロシクお願いします。と微笑まれると、どうしたのか下総さんはボンッ!!と赤面した。
そのままポー・・と妃奈子に釘付けの彼は放っておき、俺たちは今後のこともあるからと互いにメアドとケー番を交換し合った。
「ホント、仕事中に押し掛けてゴメンナサイね。でも、ハッキリしてよかったわ」
「ああ、俺も。とりあえず義姉さんへは俺からも連絡しておくので、アナタ・・」
「妃奈子でいいわ」
「じゃあ、妃奈子。キミからも世良さんのほうへ言っておいてくれ」
「OK」
最後には敬語も取っ払って、古くからの友人のように気安く呼び合い、手を振って笑顔で別れた。
遠ざかってゆくスタイルの良い後姿を見送っていると、隣から深い溜息が聞こえてきた。
「どうしたんですか? さっきからおかしいですよ」
ボンヤリとエントランスのほうを眺めている下総さんに、仕事に戻ろうと促下がなかなか動き出さない。
もう一度呼び掛けて肩を押すと、漸くゆっくりと歩き出した。
「下総さん?」
心此処に在らずといった彼を引きずってエレベーターに乗り込み、課のある階で降りる。面倒くさいが、足元のおぼつかない彼を後ろから押しながら、やっと仕事場に帰ってきた。
「アレレ~? 下総チーフ、どうしたん?」
出入り口の近くにいたフクヨカ眼鏡女史・菅さんが、下総さんの様子がおかしいことに気付き、焦点が合っていない目の前でヒラヒラと手を振ってみている。
そんな時、予想だにしない彼の呟きが・・・
「好きや・・・ッ。―――佐藤ッ」
グルンと振り返った彼に両肩をつかまれた俺。
手を振っていることにも気付かれず、それどころか上司が漏らした独白に、一気にテンションが上がった菅さん。
「きゃああああああああああああああああああっ!!! チ、チーフが佐藤さんに告白したぁぁぁぁッ!」
パニック状態で走り出した菅さんに気が付かないのか、下総さんは見たことも無い真摯な面持ちで、まっすぐに俺を見つめた。
「佐藤、頼む! 彼女を・・妃奈子さんを紹介してくれや!」
あーはいはい、妃奈子に惚れたんですか。ええ、ええ、イイデスヨ。しかしその代わりといっては何ですが・・・
俺は課内を一瞥し、今現在、嵐の真っ只中のような騒ぎに嘆息する。
この騒ぎの収拾、キッチリつけてくれるんでしたら。
最早なにがなんだか。ただ一つ言えるのは、これまで以上に彼のゲイ説に信憑性が増したらしいコトだろう。
しかも相手が俺・・・
その後、俺は痛むコメカミをグリグリと揉みつつ、なぜか嬉しそうに纏わり付いてくる女性陣を無視し、ただ黙々と仕事をこなしていった。
モチロン残業になったことは、言うまでも無い。
ありがとうございます。
 




