殻の檻6
「今のって……」
「しゅ……守護龍の……?」
門を潜って少し踏み入った先で轟いた、大地を揺るがす程の咆哮。
それに顔を見合わせ、はは……と頬を引きつらせるカラミスとエレミア。
子フェイドラの羽化期に差しかかる今の時期は、親龍であるフェイニッシュスノードラゴンの警戒心が通常時の三割増しだ。
大魔導師様と騎士団長様がいるとはいえ、嫌な予感が瞬時に脳内を駆け巡る。
シアリートに、何かあったんじゃないか、と。
一度浮上したその思いは、すぐに消える訳ではないが。
不安な思いをなんとか押し込めて、ごくりと唾を飲み込んでから頷き合い。
「――行こうっ」
「ええ!」
カラミスとエレミアは走り出した。
仮の場所を――、龍が守るシェリティリアの花が咲き誇る、頂の群生地を目指して。
「ははっこりゃあ良い! 守護龍サマとご対面〜ってか」
威圧感を半端なく放っている守護龍、フェイニッシュスノードラゴンを見上げ、ニヤリとして飄々と呟くアルド。
それはまるで、プレッシャー等微塵も感じていないかのようで。
そのまま、さくさくと歩みを進めていく。
「……っ! 無礼を、どうか御許し下さい、守護龍よ。けして……決して、貴殿方に害意を加える等と言う事は」
アルドの行動に若干肝を冷やしながらも、片膝を折って頭を垂れ、なんとか言葉を紡ぐシェダ。
その身体は震えてこそいなかったが、握られた拳と頬をつたう汗に、未だ向けられ続けているプレッシャーを、堪え忍んでいるのが見て取れた。
自分が出ていった所で、何かが、変わるとは思えない。
しかし、今の現状をなんとかしなければ、先に進めないのはわかっていて。
アルドが何を考えているのかはわからないが、ここに荒事を起こしに来たという訳でもない。
「……っ……!」
シアは身体に力を入れると、アルドの歩みを止めるべく、その前へと回り込んだ。
「っと」
すると案外素直に、アルドはその歩みを止め。
シアは身体を震わせながらも、守護龍を見上げ、なんとか口を開く。
「……なさい……ごめん、なさいっ……! いきなり、来て。……ここしか、思い付かなかったから……っ。でも、争いに来た訳じゃないの! だからっ……」
噛み締めていないと零れそうになる涙を堪え、必死に守護龍に訴えるシア。
「どうか、怒りをおさめて、ください。ただ……お願いをしに、来ただけなの」
揺れる赤と紫の瞳が、透青色の双眼を見つめる。
『………………』
じっ……とシアをサファイアの双眼で見据え、ふぅと守護龍がため息を付いたかと思うと、ビシビシ感じていたプレッシャーが、ふっと周囲に霧散する。
『……いつも時期になると勝手に、゛一人″で来ておっただろう。それが今日は珍しく、連れがいたのでついつい、な』
「……っは」
プレッシャーが霧散した事にほっとして、かくんと膝を折り、その場にへたり込むシア。
それ程に、投げられていた威圧感は、半端ないモノだった。
プレッシャーだけで、死ねるんじゃないかと思えるくらいには。
敏感に、感じ取ってしまった自分が悪いんだろうけれど。
向けられていたプレッシャーは、自分へのモノではなく、アルドとシェダへのモノだったのだから。
プレッシャーから解放されて、荒い呼吸を整えている途中で、頭上から含みあるアルドの声。
「゛いつも″ってどーゆー事だ、コラ。ただの学生が、やすやすと入れる所じゃねぇぞ?」
「! っ、あ……ああのそのっ、それはっ……!」
その言葉にワタワタと慌てるシアを見やり、目元を細めて守護龍が口を開く。
『我が入れてやっていた。元より、この結界は我のモノだからな。其奴には゛調整″が必要だったのでな』
「……ちょ、調整……って……」
シアが人知れず守護龍の元に来ていた事には勿論驚いたが、守護龍の口から出たまさかの言葉に、先の驚きを宿したまま、呟くように告げるシェダ。
話が全く、見えてこない。
「…………」
訝しげに眉を寄せ、暫し考え込んでいたシェダだったがふと、シアの側に立っているアルドに視線を向けると。
その表情はいつもの、飄々としたもので。
何を考えているのかはここからではわからないが、いつもの如く、何かに勘づいてはいそうである。
口角が少し、上がっている。
(……ここは素直に、聞き役に徹するとしますか。……正直、アルドが守護龍にけしかけそうで怖いんですが、ね……)
それを見てやれやれと一つ息を吐き、これから起こる事を一字一句逃さぬよう、立ち上がって静かに、眼前を見据えるシェダ。
すると、一瞬だけ守護龍の透青色の瞳がシェダを捉え、またシア達へと視線を戻し、その口を開く。
『其奴は色々と面倒でな。其処な主も、であろう?』
「! まぁな」
ふっと笑ったかのように告げられた守護龍の言葉に、一瞬だけ黒の瞳を見開き、次いでニヤリとした表情で答えるアルド。
それをただ静かに見つめ、未だへたり込んだままのシアへと守護龍は問う。
『ふ、いい眼をする。――して、此度は何用だ、゛鍵にして禁忌の子供″よ。此度参ったのは調整の為、ではないのだろう?』
「っ!」
禁忌の所でビクリと身体を震わせ、きっ! 守護龍を睨み付けるシア。
「……その名前で……、呼ばないでっ!」
叫ぶように告げるが、守護龍は特に意に介したふうでもなく、
『名など、真名でなければ特に意味はない。我にとっても、そなたにとっても――、な』
ニヤリとして告げて、先を促す。
『そんな事より、そなた、我に頼みがあるのだろう? 早うせい。我も、そう暇ではないのでな』
「〜〜〜〜っっ!!」
しれっとした守護龍のその態度に、むむ〜っと頬を膨らませて守護龍を睨むシアだか、先程同様まったく意に介しておらず、ふぁ〜と欠伸までして見せている。
それを、アルドとシェダは微苦笑を浮かべて見つめるのみ。
「……うぅ。……はあぁ……」
暫くすると、いい加減諦めたらしいシアが守護龍を睨むのを止め、肩を竦めてため息を付き。
ため息を付いたと同時に俯いてしまった顔を、そのまま上げる事なく暫し留め。
(……龍にお願いしてしまったら、もう本当に、゛戻れない″。それは、゛彼女″の本意じゃない)
自身の思いを確認する為、思考する。
(……でもじゃあ、゛私″のこの思いは……? そんなモノ、望んでは……求めては、いけないけれど。そんな資格、私にはないもの……)
ぎゅう、と拳を握り締める。
(……今なら、まだ、戻れる。……でも、だけど。――私には、もう――……。それは、きっと出来ない。なかった事にして、今まで通り、過ごすなんて事――。……あぁ、でも……)
考えれば考える程、意思が揺らぎ、鈍る。
足が竦む。
温かな手を、離したくない、と思う。
出来る事ならこのままで、と願ってしまう。
そんな資格、ありはしないのに。
どうせ、拒絶するだけなのに。
そのくせ――、求めてやまない。
誰よりも。
「……っ……」
雫が、溢れる。
紅玉と紫の瞳をつやりと濡らし、ひとつ、ふたつ。
双方の瞳から、ポロリ、ポロリと雫が溢れる。
本来なら譲れない――
譲れはしない、二つの思いがせめぎ合って、胸が締め付けられて苦しい。
離れたいと願っているのに、離れなきゃいけないのに、その手を離したくないだなんて。
なんて贅沢で我が儘なの。
伸ばした手は空を切って。
望んでも叶わないのに。
゛私″は――、……でしかないのに。
「……ぅ……」
あまりにも惨めで滑稽で――、苦笑いが浮かんでしまう。
頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。
こんな状態で晒すなんて、とてもじゃないけど出来そうにない。
しかし。
「!」
俯いたままのシアの頭に、ぽふりと優しく掌が置かれる。
温かい、大きな手。
最近は、それがまるで当たり前であるかのように、傍にある、ぬくもり。
「……あー、悪い。俺は、ほんと悪い男だよ。お前が……、泣く(それ)程までの事を、解っててさせようってんだから」
ほんとにごめんな、というアルドのその顔が、苦笑混じりに微笑んでいるのが、見なくてもシア(自分)には分かってしまった。
ふるふる、首を振るシアの頭をよしよしと撫で、優しく、アルドは続ける。
「いいぜ、俺の事恨んでも。お前に恨みとはいえ想われてるなら、それこそ本望だよ。……お前が言えるようになるまで、どれだけでも、幾らでも、待っててやるから。……だから。だから泣くなよ」
「……ふっ……ぅえ……っ」
その声は、どこまでも優しくて。優しすぎて、余計、涙が止まらなくなってしまう。
「泣くなって。……大丈夫だ。ちゃんと最後まで、゛お前″を見ててやるから。俺がついてんだから、何も、恐がる事ねぇんだよ」
そう言って、ぐしゃり、頭を撫でる手に力がこもる。
話す事も、見せる事も、正直、まだ怖い。
だけど。
貰った言葉は、どこまでも温かくて。
それだけで――進めそうな、気がした。
゛見ててくれる″というその信頼を、裏切る事になったとしても――……
ごしごしと目を擦り、涙を拭う。
「……ごめん、なさい……。えっと、その……あり、がと」
ポソリと、頭から手を離したアルドに呟いて、一歩、シアは前に出る。
『……決まったか?』
それに暇ではないと言いながら、待っていてくれた守護龍が此方を向いて問う。
「……暇じゃないのに、ごめんね」
『まったくだ。だから早うせい』
「……ふふっ、ごめん」
謝りながら、シアは柔らかにはにかむ。
その表情は――、悲しげで、心を痛めているように守護龍には見えたが、アルドとシェダには、その時のシアの表情はわからなかった。
『…………』
じっと此方を見つめる龍を、シアも穏やかに見つめ返し。
息を吸い込み、一言告げる。
「……この場所を一時、借り受けたいの」
『何故に?』
「……貴方の言ったように、今からやるのは調整じゃ、ない……。゛見せる為″だから」
それだけで何の事かわかったのか、守護龍の透青の瞳が細められる。
『ほぅ。ここ以外だと゛何が起こるかわからない″から、ここに来たのだと言うのだな』
コクリ、その問いに神妙な顔で頷くシア。
『成程な。しかし……ここの結界とて、万能ではないのだかな。……だが、ここより安全に事を進めるに適した場所も、そうある訳でもない故、貸し与えるは良しとするが。もし、我等や宝に害が及んだおり――、そなたはその責をなんとする?』
きゅうぅ、見極めるように、守護龍の瞳が更に細まる。
その瞳を懸命に見返し、静かに口を開くシア。
「永遠に。貴方様に仕えると誓いましょう」
「お、おいっ!?」
「なっ!?」
これには、流石の二人も驚かざるを得ない。
龍に仕えるという事がどういう事か。
少なからず術をたしなむ者なら、知らない筈がない。
龍は、万年生きるという。
魔力を持つモノは、それ以上だとも言われている。
それだけでも既に、゛人の環″からは外れる事となる。
シアが言うように、永遠にというのなら――
もう二度と、この世に生まれて来る事は、ない。
龍が滅びでもしない限りは。
いや、もしも滅んだとしても、それだけの年月を生きてしまったら、人としては逸脱しているモノとなり、輪廻に還る事もままならず、塵と消えるのが運命だろう。
それ程の想いで、シアは今、ここに立っているのだ――……
その想いを、龍が汲んだかどうかはわからないが。
張られている結界の強度が段飛ばしで増幅され、群生しているシェリティリアとちらほらと生えているモノ、それに龍自身と卵たちに防護壁が施された所で、龍の口から声が届く。
『――早々に済ませ、立ち去ることだ』
それだけ言うと、守護龍は翼をたたみ、腰を落としてその場に座す。
それにありがとう、と呟いて、シアは後ろを振り返った。
アルドとシェダに、向き直るように。




