殻の檻1
「……えぇっとぉ……?」
食堂のノブに手をかけ、知らずぼそりと呟いて戸口の側に立ったまま、このドアを開けてしまった事を激しく後悔するシア。
中には、今の時刻ならばもういない筈のスティリドの姿と、此方も食堂にはいない筈の、他四名の姿があった。
時刻は午前九時半を少し過ぎたところで、平日故に学校があり、一限目の授業は既に始まっている。
……だというのに、スティリドならびにカラミスとエレミアがまだ食堂にいるというのは、一体どういう事なのだろうか?
几帳面な三人が優雅に、食後のお茶を楽しんでいるその光景を見てシアは、今日は何かの記念日でお休みだったかな? と考えそうになるが、スティリドが学院長の証である翡翠と黄石色のローブをきっちり着込んでおり、カラミスとエレミアも学院指定の制服をちゃんと着ている事からどうやらそうではなさそうだ、と思い直し、スティリド、カラミス、エレミアが座っている左側から、右側へとその視線をそっと移す。
するとそこには、何故か。
カラミスとエレミア以上に、スティリドの邸の食堂には絶対にいない筈の、アルドとシェダの姿があった。
此方も優雅に、お茶を楽しんでいる。
「………………」
暫し思案し、シアはもう一度眼前に視線を走らせる。
……………………
どうやら五人共此方には、まだ気付いていないようだ。
(……どう、しよう……? 入るべき? ……でもこのまま、見なかったことにした方が……)
という考えに行き着き、静かに扉を閉めようとしたシアのその耳に。
「――僕達が気付いてないと、本気で思ってるの?」
「バレバレですわよ?」
「諦めて、さっさとこっち来いっての」
「私達から、逃げられると思ってるんですか?」
という四つの声が聞こえ、その声にびくっと身体を震わせてシアがそちらを仰ぎ見ると、ニッコリとした四つの笑顔と目が合って。
「っ!?」
(……いっ……、嫌な予感しか、しない……っ!)
その笑顔にただならぬモノを感じ、後退り引きつった笑みを浮かべて冷や汗をたらすシアに、更に一声。
「――座りなさい」
「っ!? はいぃっ!」
スティリドのその静かな声音に、上擦った声で即座に返事し、そのままシアは条件反射でいつもの、スティリドの目の前の自分の席へぎくしゃくと向かい、そこにストンと腰掛ける。
……座ったは、いいのだが。
その身体は小刻みに震えてびくびくとし、目を忙しなく瞬き大きな瞳を左右に泳がせていて、完全に、怒られる前のそれ状態のシアがそこに出来上がった。
(……な、ななななんでっ……!)
染み付いてしまっている習慣を恨めしく思いながらも、こうなってしまえばもうどうする事も出来ないシアは、膝の上に置いた手をぎゅっと握って極力、目を合わせないよう俯く事しか出来なかった。
「……別に、今から君を叱ろう、という訳ではないのだけどね」
シアのその態度に、スティリドが微苦笑を漏らす。
「――それとも何か、怒られるような事した、って自覚あるの?」
と、その横からカラミスがニヤリとした顔で問う。
「なっ……!」
それに心外だとばかりに声を上げようとしたシアだったが、思い当たる節がありすぎて、ぐっと喉を詰まらせ押し黙る。
しかし、その目だけはギッとカラミスを睨み付けていたのだが。
「……シアリート。それでは何かありますよ、と言っているようなモノですわよ?」
そこにエレミアから追い討ちをかけられ、
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
(……いっ、イジワル〜〜っっ!!)
羞恥で顔を真っ赤にし、ぷるぷる身体を震わせて、しかし何か言えよう筈もないシアは、やっぱり俯く事しか出来なかった。
(……うぅ〜〜。な、なんで朝からこんなメに〜〜っ!)
恥ずかしさでもうどうしたらいいかわからず、ぎゅう、とその目を閉じるシア。
「――ぶはっ! あははははっ! あ〜もぅ、腹イテー。お、お前ら、あんまイジメてやるなって……くくっ」
と、シアの隣に座っているアルドが、堪らずといった感じで笑い出し、
「……一目で勢力図がわかりますね〜。皆さん、実に見事な連携プレイです」
感心したようにシェダが続ける。
「〜〜っっ! わっ、笑わないでくださいよっ! というか、なんで二人ともここにいるんですかっ!? それに伯父上達も! 学校、もう始まってますよ!?」
それにとうとう、耐えきれなくなったシアが頬を染めたまま抗議と疑問を一度にぶつけるが、なんてことないって感じで笑いを引っ込めたアルドが、ニヤリとしたままに答える。
「シア(お前)、待ってたんだけどな?」
「は?」
アルドの言わんとしていることがわからず、小首を傾げるシアに、シェダが苦笑しつつ補足する。
「今の状況を説明するなら、ですけどね。ここに来た目的は別ですよ。……一昨日の事を、説明しないといけないようでしたので」
「あ……」
シェダのその言葉に、合点がいったような顔で呟くシア。
それならば今、食堂にこの五人が揃っているのも頷ける。
しかし。
(……でもそれって、やっぱりそうって事で……)
思考を巡らせてたらりと冷や汗を流し、しかしここは先に言ってしまおうと決意してシアは、顔を上げてその口を開いた。
「……えぇと……。話し合いの席に遅刻してきて、ごめんなさい……?」
言いながら、ペコリと頭を下げる。
一昨日の事の説明というのだから、その当事者が足りなければ話し合いなど始まる筈もなく。
今日、そんな事があるとは一言も聞いていなかったが、待たせてしまった事は事実だとシアは素直に謝罪する。
「別に、お前が謝る必要ねぇよ。いきなり来たの、俺だしな〜」
その頭にポンっと手を置いてアルドがそう告げ、
「色々あったし、起きてくるまで待とうと思って、起こしに行かなかったの僕達だしね」
ごめんね、と言ってカラミスが苦笑する。
それにあはは…と苦笑するシア。
「――取り合えず、シアリートは何か食べなさい。そのままで構わないから」
と、思い出したようにそう言って、予め用意されていたらしい軽食が盛られた平皿を差し出してくるスティリドに、礼を言ってシアはそれを受け取り。
「さて、これで全員揃った訳だけれど。――此方から始めていいのかな?」
新たに紅茶を淹れたカップが全員に行き渡った所で、スティリドがそう切り出す。
それにニヤリとした顔でアルドが頷く。
「もとより、俺は答える方だと思って来たんだしな。こっちからの質問は、終わってからでも問題ないさ」
アルドの言葉に頷いて、スティリドが静かに話始める。
「昨夜、この子達にある程度事情は聞いたんだけれどね。どうしても、引っ掛かる所があってね」
(っ!?)
にこりとしたまま、アルドを見つめて語るスティリドの声には、若干、怒気が含まれているように感じてシアは、口に運んだスコーンを喉に詰まらせそうになる。
(……なっ、なんで微妙に怒ってるの〜〜っ!?)
なんとかそれを紅茶で流し込んで、シアはハラハラとした顔でスティリドを見やる。
それは目の前に座っていなければ分からないくらいの微細なもので、はた目から見ればその笑顔はいつもと変わりなく、アルドもいつも通り飄々としているし、カラミス達に至っては、気付いてもいないようだった。
(……な、何も……ないといいんだけど……)
ドキドキしながらスティリドを見つめ、シアが次なる言葉を待っていると。
「――それは゛嘘がバレた″って事も含めて、か?」
不敵に笑ったまま、アルドがとんでもない事を口にする。
「っ!」
「なっ!?」
「えぇっ!?」
「ちょ、アルドっ!?」
それにスティリドとアルド以外の面々が驚きに目を見開き声を上げて、そのまま両者を凝視する。
「………………」
しかしシアだけは、そのなんとも言えない嫌な予感と胸騒ぎに、すぐ目を逸らし俯いてしまう。
そんな中暫しの沈黙が訪れ、ふぅ、とスティリドが息を吐き出し、告げる。
「……アルドが何を企んでいるのかは、わからないけれどね。今は取り合えず、それは後回しでもいいかな? 此方からが先、で構わないのだろう?」
「――っと。そーだったそーだった! 悪りぃ。つい、な」
やれやれと肩を竦めるスティリドに、へらへらと笑ってアルドが答え、次の展開に息を詰めていた他三名が、安堵により小さくその息を吐き出す。
シアはというと、一人俯いたままその小さな手をぎゅっと握り込んでいた。
その様子を目端に捉え、気付かないフリをしたまま、アルドがスティリドを促す。
「で? 引っ掛かってるトコってのは?」
「――何故、シアリートを眠らせなければならなかったのか、という事だよ」
それににっこりとして答え、話を続けるスティリド。
「アルド、君が゛遊んだ相手″というのがただの刺客の類なら、瞬時に無力化する事なんて、君なら瞬きより簡単だろう? シアをわざわざ眠らせる、なんて事をするまでもなく。そうだね?」
「まぁ、な。そこはほら、俺様だから」
そう訊ねてきたスティリドに、さらりとアルドは答え。スティリドはそれに苦笑を返し続ける。
「だろうね。ならば、何故眠らせなければならなかったのか? という疑問が残る。これは、私の推測だけれど――」
そこで一端言葉を切り、スティリドはその灰眼に剣呑な光を煌めかせ、アルドをひたと見据えて告げた。
「一昨日来た者は……アルド、君を狙って来た刺客、ではなかったんだろう? 標的はシアリート、だったんじゃないのかな?」
「っ!」
「まさか……」
「そんなっ!?」
スティリドのその言葉に、シアは弾かれたようにその頭を上げ、その事実にカラミスとエレミアが口々に声を上げる。
(……っ……バレ、たっ……!! どうしよう……っ! どう、したら……)
驚愕した表情のままスティリドを見上げ、シアは混乱する頭で必死に言い訳を考えようとするが、言い当てられてしまった事に動揺しすぎていて、上手く考えがまとまらない。
自分が、訊かれている訳じゃない。スティリドはアルドに、そう訊いているのだから。それは分かっている。
しかし眠りに至る(それ)まで、の事を聞かれたら――
言わざるをえなくなるのは、明白だった。
それがシアにとってどんなに、言い難い事であったとしても。
スティリドは推測だと言ってはいるが、なんの確証も無しに、そんな事を言うような人ではない。
わかった上で、訊いてきている――……
゛今まで″はただ、訊かないでいてくれてただけだ。
話せる時が来たら話すという約束を、守っていてくれてただけで。
アルドとの事も、それ以前の事も。
これまでだって何度も聞く機会はあったし、スティリドにはそれを、聞く権利がある。
眠り続けるシアを探し出してくれたのはスティリドで、その時、殆んど片されてはいただろうが、゛あの現場″を、一度くらいはその目でじかに見ているだろうから。
でなければ、探し出せる筈がないのだから。
その時のシアは、色々なモノに、護り隠されていたのだから。
(……言わなきゃいけない時期が……、早まった、ってだけ……。言わずにいられるなら、その方がよかったけど……)
そんな事を考え、くすりとシアは苦笑する。
今までだって散々、訊かれない優しさに甘えて来たというのに、言わなきゃいけない局面に来ても尚、言わないでいられる事を、望んでしまっている。
(……自分には、その優しさを返せないのに……それを、受ける資格すらないのに……。与えられる好意だけを甘受し続けてるなんて、ムシが良すぎるよね……)
考えている内に俯いていて、膝に置かれた自身の手を、シアはじっと見つめる。
この手で掴もうとしたモノは、初めから、滑り落ちるようにして指の間をすり抜け、零れ落ちてしまうのだから、それならもう、いっそのこと――……
そんなどうしようもない事を、ぐるぐると考えてしまっているシアの耳に、宣告のように。
その答えは落とされた。
「――そうだ。リド(お前)の、言う通りだよ。……なら、お前はどうする?」
憎たらしいまでに飄々とした、不敵な笑みを含んだその声が。




