その時の、こと5
「――その日は、なかなか別荘から抜け出すことが出来なくて、その子の所に行くことが出来たのは、夕方になってからでしたわ」
前日に、お昼を食べ終わったら遊ぼうねと言っていたから、こんなに遅くなってしまってさぞかし怒っているんだろうな、と私は思っていたんですけれど。
その子は、私が息を切らせて走ってきたのを見て、なにして遊ぶ? といつものようににっこり笑って言ったのですわ。
「……どうして、怒らないんですの? 私、約束の時間に物凄く遅れて来ましたのに」
勿論私はそう訊きました。そうしたらその子は、待つのは慣れてるし、息を切らせてまで走ってきてくれたんだから、それで十分。と、笑ったのです。
そんな風に思ってくれた友達は今まで一人もいませんでしたから、私驚きましたしとっても、とても嬉しかったのですが……
虹の彩りをその身に受けし者(美しいもの)は、その精神まで美しのか、となんだか私、途端に恥ずかしくなってしまって。
ミーアという偽名を名乗っていることも、髪を染め、そばかすをつけて変装しているということも。
゛そのまま″でいるその子と、あまりにも私はかけ離れていて、釣り合っていないんじゃないかと――
偽名も変装も、自身の身を守る為のものでその時の私には仕方のないことだったんですけれど、遅れて来たことへの負い目と嘘をついていることの罪悪感から、その時は、いつもなら考えもしないそんなことを考えてしまって。
「――ごめんなさいっ!」
一言叫んで私は、その子の呼び止める声に耳も貸さず、その場から逃げ出したのですわ。
ですがそれはとても、とても愚かな行為でした……
いつもならもう帰宅している時間帯でしたし、空は厚い雲に覆われていたために周囲はかなり薄暗い状態で……
毎日通っていた森が、随分薄気味悪く見えましたわ。
闇雲に走り回ってしまったせいで、自分が今何処にいるのか、わからなくなってしまいましたし……
夜は野犬や魔物が出ると言われていましたから、それに気付いて、背筋が凍り付いたのを覚えています。
そんな時でしたわ。
私の後ろの茂みから、ガサッという音がしたのです。
私もう、恐怖でどうしたらいいのかわからなくなってしまって。
振り替えってそのまま、座り込んでしまいましたの。
当時まだ四才でしたから、それも仕方なかったんですけれど。
一応、護身用のアクセサリは身に付けていましたから野犬ならまだ、追い払えたかもしれませんし、魔物だったとしても、運が良ければ気付かれなかったかもしれませんわ。
でも――、茂みの中から現れたのは、もっと厄介なもの達でした。
「――おんやぁ? こんな所におじょ〜ちゃん一人で、どうしたんだい?」
そう言って、ニタニタ笑いながらゆっくり私に近付いてくるその男達は、生やしっぱなしの髭に薄汚れた格好と、明らかに野盗だと一目でわかる出で立ちでした。
今と違って、国と国との争いも、魔物や魔族との争いも頻繁にあった時代でしたから、争いのせいで野盗にならざるを得なかった人達が沢山いたことも、知識として知っていましたし、理解はしていましたけれど。
まさか自分が、こんな所で遭遇するなんて思ってもいませんでしたから、どうしたらいいのかわからなくて。
あまりの恐怖と暗闇のせいで、その時はアクセサリの起動呪文すら、思い出すことも出来ませんでしたわ。
このまま捕えられて、人身売買の業者に売られるんだろうな、とかもっと最悪なことに身元がバレて、親に多額の身代金を要求させられるのかしら、と色々なことが頭の中をぐるぐると駆け巡っていて。
身をすくませてそんなことを考えている私の肩に、三人いる男達の内の一人の手がかけられたその時、私の頭を過ったのは、親でも友達でもなく、あの子のことで。
「――ちゃんと本当のことを、言っておけばよかったですわ……」
ぼんやり、そんなことを呟いた私の耳に。
『守護』
と起動呪文が聞こえた時にはもう、ぎゃあっ!? と声を上げて私の肩を掴んでいた男は、物凄い勢いで後ろの木まで吹き飛ばされていて。
「なっ、なんだっ!? 何が起こった!?」
驚く残り二人の男同様、私も驚いて目をしばたいていると、私がいるすぐ側の茂みを分けて出てきたのは、あの子でした。
「………………」
無言で男達を見据えているあの子が、若干怒っているのが近くにいた私にはわかりましたが、出てきたのがまだ子供だと見ると、男達は驚いていた顔を人の悪い笑みに変えて、
「――飛んで火に入るなんとやらってな。悪いな、嬢ちゃん達。恨むなら、神様を恨むんだな」
ニヤニヤ笑いながらそう言って、あの子にもその汚ならしい手を伸ばしたのです。
私はなんとか、あの子だけでも助けようと思いましたが、身体は震えるだけで言うことを聞いてくれず、かち合わない唇からは声も出ず、ただただそれを、見ているだけしか出来なくて。
ですが、男の手はあの子の身体に、その指先すら触れることもなく。
気付いた時には、最初に飛ばされた男の隣に、並べるように吹き飛ばされていて。
「なっ! なななんだお前っ!? そんなガキのくせに、まっ、魔法使いなのかっ!?」
あまりのことに、狼狽え気味に最後の男がそう言っていたのを、私よく覚えています。
まだ四才の子供が、まさか魔法を使えるだなんて、誰も思いませんでしょう?
魔法は使う種類に関わらず、少なからず使用者に負担を与えるものですから、小さい内から習わせる等ということはその当時なかったでしょうし、幼すぎると魔力制御が不安定で危険だ等の理由から、仮に習わせるとしても正規なら十二歳、早くても十歳からだったと記憶していましたから、私だって驚きましたもの。
「……このまま手を引くなら、もう攻撃しないよ。そこの二人を連れて、帰って」
驚いたままの私達の耳に、あの子の、四才児とは思えない静かな声が響きましたわ。
私はまだ動くことが出来ませんでしたが、その声にはっとした男は、吹き飛ばされた二人の男をちらりと見やり、
「……こっ、ここまでされて、黙ってはいそうですかと帰れるかぁっ!!」
仲間をやられたことに怒りが込み上げたのか、その男は懐からナイフを取り出し、あの子に向かって行ったのです。
あの子が危ない! そう思ったら私、知らぬ間に走り出していて、あの子の前に、飛び出していたのです。
でもそれは、大きな間違いでした。
向かって来た男が振り切ったナイフの切っ先で私は頬を切り裂かれ、その時飛び散った血に、あの子の怒りの感情が膨れ上がったのを感じた瞬間、突如赤に変じた森の景色と襲ってきた熱気にやられて、私はそこで気を失ってしまいましたの。
それから丸二日寝込んだ私は、こっぴどく怒られた後に両親から聞かされた話が信じられなくて、寝着のまま外に飛び出したのですけれど……
変わり果てた森の景色に、言葉をなくしてしまいましたわ。
もう殆ど片付けられていましたけれど、美しい森と森とをまるで分断するかのように、焼け焦げた木々が散乱する道が一本、そこに出来上がっていたのですわ……
その光景を見て、あの時の赤色と熱気は、炎によるものだったのだと今更ながらに気付き、意識が完全に無くなる瞬間に見た、あの子の髪と瞳が鮮やかな緋色だったのを思い出して。
私はそのまま、慌ててあの子のいる別荘へと走りましたが、その場所にあの子の姿はなく。それ以前に、そこに誰かがいたという痕跡すらもう、ありはしませんでした。
鍵のかけられたノブに手を置いたまま、もう会うことはないんだろうな、としょんぼり下を向いた私の目に飛び込んで来たのは、床とドアの隙間に挟まれた、あの子からの手紙でした。
それも゛ミーア″にではなく、゛エレミア″に宛てられた。
その手紙には、ごめんね。と一言だけしか綴られていませんでしたけれど、その時の私には、エレミア(私自身)を知っていてくれたことと、最後に添えられていたあの子の名前に、もうそれだけで、十分でした。
そうして私は、またあの子に――いえ、シアリートに会ってお礼を言うために、同じ道を目指していればいつかまた出会えるだろうと、その時考えてもいなかった魔法使いになるための道を、進み始めることになったのです。
です、が……
まさかシアリートが、あんなことになっていただなんて!
半ば、私を助けてくれたシアリートに憧れて、私は魔法使いへの道を進み始めたというのに、まさか、そのシアリートが……
魔法もろくに使えない、落ちこぼれになっているだなんて、思いもしていなかったんですの。
私のことも、どうやら覚えていないようですし……
容姿はあの時のままでしたけど、随分と性格も変わってしまっていて。
なぜか、学院長が養父ということになってましたし。
この二つについては、ご両親が亡くなったと、こっそり教えて頂きましたから、そうなったのも仕方ないのかも、と理解はしましたけれど。
ですが、納得出来ないものは出来ないのです。
私はちゃんとこの目で、見たのですから。
シアリートが確かに、魔法を使っていたその場面を。
ですから私、もう、なにがなんだか訳がわからなくなってしまって。
その時の、私の気持ち、わかります?
怒ったらいいのか、悲しんだらいいのかわからない、なんとも言えないこの気持ちをどうしたらいいのかと、途方にくれてしまって。
随分悩みましたけど、悩んでいるなんて私の性に合いませんでしたので、もう一回、お友達になればいいのですわ、と思い直したのですけれど。
「……どうやって接したらいいのか、わからなくなったのです……」
ぽつりとそう呟いて、エレミアは長いため息を吐いた。




