その時の、こと4
『シアリートが目覚めない?』
昨夜のことが気になっていたというのもあるが、昨日の今日で、ついついシアを迎えに来てしまったカラミスとエレミアは、学院長であるスティリドにそう告げられ、驚きに目をしばたいて、聞き返した。
そのまま連れ立ってシアの私室へと赴くと、確かにシアはまだその目を閉じたまま、静かに寝台に横たわっていた。
呼吸は正常。その顔色もいつもとなんら変わりなく、揺り起こせば今にも、その愛らしい大きな瞳をぱっちりと開きそうだった。
だが、眼前に広がるこの部屋の惨状が、それを否応なく否定させる。
部屋の中は、使用済みのアクセサリや魔鉱石、薬草等が足の踏み場もないくらいに散乱し、眠り続けるシアの頭上では、今尚術解除の魔方陣が展開し続けている状態だった。
「……本当に、ネムリ草の薬を被っただけなんだろうね?」
シアの頭上で光輝いていた魔方陣が効力を無くし、徐々に消えていくのを見つめながら呟くようにスティリドが告げ。
「………………」
「………………」
昨夜シアを邸に送り届けた際スティリドに、最近眠れなくて困っている、と言っていた寮母さんに渡す筈だったネムリ草の薬を、誤ってシアに被せてしまったと説明していたカラミスとエレミアは、しまったという顔をして互いに顔を見合わすが、二人に何か言えよう筈もない。
昨夜のことは、騎士団長様に口止め……もとい忘れろ、と釘を刺されているのだから。
「……すみません。僕達からは、何も……」
ポツリと呟かれたカラミスの言葉にスティリドがはぁ、と息を吐き、それと同時に戸口傍からひとつ声がかけられた。
「……旦那様、お時間が」
「もうそんな時間か。……わかった、今行くよ」
戸口に控える侍従長に声を返し、渡された上着に袖を通しながら、
「……どうしても出席しないといけない会議があってね。――あぁ、そうだ。休暇届けは出しておくから、二人共このまま、シアリートについててやってくれるかい?」
スティリドは苦笑混じりにそう告げる。
「はい」
「わかりましたわ」
二人の答えに頷き、名残惜しそうに眠るシアの頬に手を添えてから、スティリドは踵を返すと侍従長に促され、そっとその部屋を後にした。
残されたカラミスとエレミアは、問いただされなかったことに取り合えず安堵のため息を漏らし、散乱している物をある程度片してスペースを確保すると、シアを挟むようにして左右に椅子を運んで腰を下ろす。
「……まさか、一日で覚めない程、強いなんてね。……お陰で、いい感じに肝が冷えたよ……」
「まったくですわ。随分と、いらぬ汗をかかされたものです。……後で取り立てくらい出来ませんと、割に合いませんわね」
くすり、苦笑いを浮かべてから、どちらともなく眠るシアへと視線を落とす。
「……本当にただ、眠っているだけなんですわね……」
陽色に染まっている前髪が目にかからぬよう、そっと払ってあげながらエレミア。
「……でも、なんだかおかしくない? 団長様が初めからそのつもりだったのなら、あの時、僕達に口止めしたりなんてしなかっただろうし……」
顎に手を添えて考え込むカラミスに、頬に手を添え、エレミアも思考を巡らせる。
「……まぁ、そうですわね。一般にというなら単に、術がかかりすぎてしまった、とも考えられますけれど……」
「……防御特化しすぎてるシアリートに、それは考えられないしね。そもそも、なんで術をかけることが出来たのかな? リング、ちゃんと付けてたよね?」
はて、と首を傾げるカラミスに、呆れたようにため息を吐いてエレミア。
「念をシアリートだけでなく、私達にまで聞こえる程、飛ばしてくるような方ですわよ? 防護解除なんてそれこそ、指先ひとつでやりそうですわ。それに、シアリートはあのコートにくるまれていましたし、コート(それ)が結界の役割を果たしたと考えれば、可能なのではないかしら」
机の上にきちんと畳まれた状態で置かれているコートをちらりと見やり、ただのコートではなさそうですもの、と呟いて太ももの上に肘を乗せ、頬杖をつくエレミア。
エレミアのその答えになるほど、と頷くカラミス。
「……本当、良く見てるよねエレミアって。――ま、リド兄がこれだけ試して無理だったんだから、僕達に何か出来る訳でもないし。大人しく、眠り姫が目覚めるのを待つとしようか」
苦笑してそう返すカラミスにエレミアも笑みを返して、
「……出来れば学院長が帰って来るまでに、起きて頂けるといいんですけれど。事情を説明してもらわないといけませんもの」
眠るシアを見つめ、呟くのだった。
シアが自然と目覚めるのを待ちながら、各々明日の授業の予習、もしくは読書等をしながら時間を潰していたのだが。
夕刻に差しかかり、夕陽によって黄金色に変わったシアの髪を、愛おしそうに見つめているエレミアに気付いて、カラミスは読んでいた本を閉じ、ふと声をかけた。
「……そういえば、エレミアはなんで、シアリートと友達になりたいの?」
「なっ!? か、カラミス? 貴方、いきなりなにを」
「いやその、ただ……聞いてみたことなかったな、と思って」
いきなりの問いに、持っていたペンを取り落として狼狽えるエレミアに苦笑しつつ、さらりと続ける。
「それに、エレミアには他にも沢山、友達がいるじゃないか。――僕が言うのもなんだけど、こんな……全然懐かない、手負いの猫みたいな子、わざわざ友達にしようとしなくたって」
「ふふっ」
懐かない手負いの猫、の所で堪えきれずにエレミアがくすくすと笑い出し。
「た、確かに、それはそうかもしれませんけど……。それならカラミス、貴方はどうしてなんですの?」
笑い過ぎて、目尻に溜まった涙を払いながらそう訊ねてくるエレミアに、苦笑混じりに告げる。
「僕は、ほら。……幼馴染みだからね」
カラミスのその答えに、さらりと言い返すエレミア。
「あら。それなら私だって一応、幼馴染みなんですけれど?」
「えっ!?」
これには、流石のカラミスも驚いた。
一体どういうことなのかとその目をしばたいていると、くすっと笑って悪戯っぽく口元に一本立てた指を当て、エレミアが続ける。
「……栗色の髪の、そばかすの女の子の話、カラミスは聞いたことあるのかしら?」
「栗色の髪の、そばかすの子……って、まさか!?」
驚いた顔のまま呟いて、こちらを見やってくるカラミスに、
「――そう。カラミスの思っている通りその子は、変装した私ですわ」
にっこり笑顔で告げる。
両親が共働きで、どちらかといえば実家より親戚であるスティリドの邸に預けられていることが多かったカラミスは、どういう経緯かは知らないが、同じくスティリドに預けられていたシアリートが、長期休暇が始まる頃に帰ってくる両親に、どこかに連れられて行っているのを知っている。
最もその時のカラミスは、旅先から帰ってきたシアリートが、舌足らずに語って聞かせてくれる話の方に興味があったのだが。
その旅話にある時から、栗色の髪のそばかすの女の子が出てくるようになり、段々とその女の子の話が増えていっていたのを、勿論カラミスは覚えていた。
だからこそ、驚いたのだ。
まさか、そんな所に接点があったとは思ってもみなかったのだ。
「……あの話の子が、まさかエレミアだったなんてね……」
「ふふっ。驚きました?」
「うん。本当にびっくりしたよ。……でも、だったらなんで……」
にっこりしているエレミアに、訝しげにカラミスが呟く。
カラミスが言い淀んだ言葉を敏感に察して、エレミアは苦笑つつその視線をシアへと落とすと、
「……でも私本当は、彼女のお友達になりに行ったのではなく、初めは、抗議しに行くつもりだったんですのよ?」
その時のことを思い出したのか、くすっと笑いながら、エレミアは言った。
「……あれは、三才くらいの頃からだったかしら? 行く先々で、その場所で一番見晴らしの良い別荘が必ず、貸出中になってましたのよ」
「……へ? で、でもエレミアの所なら、家持ちで別荘くらい、沢山あるでしょ?」
エレミアの話に、ぽかんとした顔で聞き返すカラミス。
飽くなきファッションへの探究のため、大きな都市街は勿論のこと果ては少数民族の村にまで、ファスティード家持ちの別荘があるという噂が立つ程、数多くの別荘を持っているというのに、わざわざお金を払ってまで違う別荘に泊まることはない、と思ってのことだったのだが。
「……ええ。確かにそこら中にありますけれど、そういうことではなく。よろしくて? 旅行というのは、何処かを借りて泊まる、というのがいいのですわ」
「……は、はぁ。そうなんだ」
ちちち、と立てた指を振って力説してくるエレミアに、苦笑いを浮かべるカラミス。余計な口は挟むまい、と心に誓う。
「一番見晴らしの良い所に、泊まれるなんて素敵でしょう? それなのに一年くらいずっと、行く先々でその別荘は貸出中ばかりで。その時の私が、どれだけ悔しかったことか。――ですから私、ある時抗議しに行ったのですわ」
あれは森の先にある、小高い丘の上に建てられた、美しい白亜の別荘でのことでした……と、エレミアは静かに語り出す。
「その日、タッチの差でまたしても二番手に甘んじることになってしまった私は、怒りもそのままに、別荘の現主である者の所に一人、抗議にいったのです」
当時の私はまだ四才でしたが、森を挟んだ斜め向かいの別荘を借りていたため、子供の足でもすぐたどり着くことが出来ましたわ、と続ける。
それならそう変わらないじゃないか、とカラミスは思ったが、勿論口には出さず、こくりと頷いて先を促す。
「ですが、何度呼び鈴を鳴らして声をかけても、誰かが出てくる様子はなく。試しにノブを回してみましたが、がっちり鍵がかけられていて。まさか留守だとは思っていなかったので、若干拍子抜けして、もう帰ろうかと後ろを振り返った、その時でしたわ」
何かご用? と今まさに後ろの森から出てきた女の人に、声をかけられたんですけれど……。
私びっくりしてしまって、すぐ声を返すことが出来なかったんですの。
まさか、あんなことが起こるなんて、思ってなかったんですもの、とエレミアは苦笑する。
「森から出てきたのは、簡素な服を着た若い男女と、その二人に手を引かれている、私と同い年くらいの年の女の子で。それ事態は特に、驚くことでもなかったんですけれど。目の前で起こったそのことを、どうしたらいいのかわからなくて」
だってそうでしょう? と苦笑混じりにエレミアが続ける。
「……まさか、森の葉の影を落として確かに濃緑だった髪と瞳の色が、青空の下に出て、空色に移り変わるなんて、誰も思わないでしょう?」
「……まぁ、そうだね。知識があったとしても、いきなり見せられたら、驚くよね、アレは」
自分にも覚えがあるのか、同じく苦笑して答えるカラミス。
「……暫く私、その森の妖精にでも、会ったのかと思ってましたもの」
でも、そんな衝撃的な出会いでしたけれど、人目を避けるためには街から少し離れている別荘はうってつけですわね、と子供ながらに納得して、それからは少しずつ、仲良くなりましたのよ、とエレミアは笑う。
「暫くは、行く先々で示し合わせたかのように出会えるその子と、秘密の友達のように、親に隠れて遊んだりしていたんですけれど……ある時、事件が起こったんですの」
窓の外、沈みゆく夕陽を見つめながらエレミアは、太ももの上に置いていた両の手を握り締め、静かにそう、呟いた。




