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忍び寄る影16


「お、女の子にっ、むっ虫けしかけるなんて最低っ!! 円豚(ブタ)に踏まれて死んじゃえっ!」


 アルドが召喚した羽虫を速攻で片付け、きっ! と睨み付けてくる少女のその瞳は、光から抜け出して両目とも艶やかな黒色へと変わり、その長い髪も所々光を照り返して黄色い縁取りが染めているが、瞳同様艶のある黒色へと変じていた。

 外部と遮断され、闇色を濃くした結界内と同調するかのように。


「えー……円豚(アレ)は勘弁だなぁ。シャレにならん」


 それを特に気にすることなく、むしろ言われたことの方に反応してうへぇ、と嫌そうな顔をするアルド。


 円豚は世界中で広く食されているその名の通り丸い豚で、子豚の時のコロコロとした姿が非常に可愛らしいのだが、成熟すると大人五、六人分の大きさに加えて縦幅と横幅がかなりある為、その総重量はゆうに数トンを越える。

 そんな巨大な肉塊が草原にでんっと鎮座しているだけでもホラーだが、それが自分目掛けて転がってきた日には、即ジ・エンドを覚悟するしかない。


「……ま、いいわ。だけど今日はアナタに、用があったワケじゃなかったんだけどなぁ〜♪」


「俺は、お前に用があるんだけどな?」


 なんとか怒りを引っ込め、細い顎に手を添えてにっこりとする少女に、アルドが不敵にニヤリと笑う。


「ふぅん? そういえば、地下がどうとか言ってたわねん♪」


「お前、地下に来た影と同じ匂いがするからな。そうなんだろ?」


 小首を傾げて呟く少女に、明らかにカマカケなのだが自信満々の顔でアルドが訊ねる。こういう時は自信満々で対応するのが、彼なりの流儀なのである。

 それに、少女はあっさりと頷いた。


「別にバレても支障ないし、まいっか。でも、当初の予定とは随分変わっちゃったけどね〜♪ 私は初めから、アナタ狙いだったんだもの♪」


 くすくす、少女が笑う。


「お偉い方々みたいだったけど、簡単にのってくれて助かったわ〜。どうやら持ってたのはデマ、だったみたいだけど♪」


 頭の堅い人程騙すのは簡単よね、と少女は告げて、


「ホントはアナタの方が゛大魔導師″(ホンモノ)で、この前襲撃させられた方は偽者だった、と」


 ひたり、眼前のアルドをその黒き瞳に捉える。


「流れてる情報が、真実だけとは限らないってことさ」


 それに臆することなくその瞳を見返し、ニヤリとしたままアルドが告げる。


「ふふっ。まぁ、そうよね〜♪ 私たちが、虹光髪って呼ばれてるのと一緒でね」


 くすくす、本当に楽しそうに、少女は笑う。


「――それで? わざわざ戻ってきたのは一体なんの為なのかしら、大魔導師サマ? まさかこんな話をする為だけに、戻ってきたワケじゃないんでしょ?」


 言いながらキュッと少女の黒瞳が細められ、挑発的な視線が投げかけられる。


「あの子は逃がされちゃったし、さっきので熱も入ったから、別にヤリ合ってもいいんだけど〜♪」


「へぇ? ま、そっちがいいなら俺は別にいいけどな。女をいたぶる趣味はねぇが、元々俺指名だったんだろ?」


 挑発的な少女に対して、やれやれとアルドは肩を竦める。

 それに少女が喚いた。


「うわムカっ! それじゃあ私が、よわっちいみたいじゃないのよっ!」


 喚く少女にさらっと、なんてことない感じでアルド。


「――そんなつもりで言った訳じゃねぇよ? それに゛それなら″、俺の敵じゃねぇ」


「はあぁっ!? ほんっとナメてくれちゃってっ! 結界にすら気付かなかったくせにっ」


「――そんなの、たいした問題じゃねぇよ」


 ニヤリ、アルドが口角を引き上げて笑ったのと、ゴッ、という地響きじみた音と共に赤々と燃え盛る炎が出現したのは、同時だった。


 途端に、むせ返る程に荒れ狂った熱気が頬を叩き、渦巻く暴風が長い髪を巻き上げ、その()に燃え上がる炎が焼き付けさせられる。


 外からは町並みの風景にしか見えないが、内は夜の闇を溶かし込んだかのような黒い結界のその内部全体が、一瞬にして緋色に染め上げられる。


「っな――!?」


 炎の赤に染まった目を見開き、渇いて掠れた声を漏らす少女。


 こんな大出力の魔力量、虹光髪である自分が、出現する前に感知出来ない筈がないのに。


 大きな力を出現させる為には、それ以上に大きな魔力が必要になる。

 例えば、拳大の火球を出現させる為には、少なくともその倍の魔力が必要になるというように。

 それは魔力の濃度や量だったりするのだが、その使用者や周囲に少なからず何らかの影響を及ぼす。大きな力なら尚更、周囲に異変が生じる筈だ。


 微細なものであったとしても、その微かな動きや流れ等が。

 大きなものならその魔力に引きずられて、それこそ大地や空気が震えたりはするだろうし、力を行使する者の、魔力量の肥大する様が手に取るように見えた筈だ。


 それなのに。

 出現させられるその瞬間(とき)まで、その片鱗すら感知することが出来なかった。

 自分の、結界内だというのに。


 やり返された――っ!!


 ギリリ、少女は悔しげに唇を噛んだ。

 その事に至って、自身の魔力が意地汚く貪られ、急激に枯渇し続けているのを悟る。


 自分がこの場所に人知れず結界を構成したのと同じように、感知させる間もなく、眼前の炎を出現させてみせたのだ。

 ニヤリと不敵に笑っている、眼前のこの男は。


 予備動作も、それを引き起こす為の詠唱すら、することもなく。


 それもその筈で。

 少女の張った結界のおかげで、魔力は周囲に充分過ぎるくらいに満ち足りており、わざわざ新たに構成する必要などなく。

 構成されたその結界をちょこっとイジって、変換流用すればいいだけの話なのだから。

 一度、この結界を突き破った際に出来た結界の欠片が、アルドに味方したのだろう。

 結界を周囲に同化させていてくれたおかげで、少女本人に気付かれることなく、アルドは上手いことそれを変換、流用することが出来たのだった。


 少女のその表情を見やって、細められたアルドの瞳がキラリと光る。


「――どうやらナメてたのは、お前の方だったみたいだなぁ?」


 悪戯を成功させた子供のような顔で、ニヤリと告げる。


「あのおしゃべりも、この為だった、ってワケね」


 それに負けじと強気な笑みで応じる少女。


 しかし、認めないわけにはいなかった。乗せられたのは、どうやらこちらのようだった。


 赤々と燃え盛る炎は、今はまだ眼前の男を覆うようにして燃えているだけだが、少しでも事を起こせば、たちまちこちらに向かって躊躇いなくその舌を伸ばすだろう。

 然程大きな結界ではないにしろ、それ全体を赤に染め上げる程の炎を、魔力を喰われた今の状態でその身に受けたとなれば、いくら虹光髪である者といえどただでは済まない。


「あ〜あ。これなら、ちゃんと言うこと聞いとけばよかったなぁ〜」


 はぁ、とひとつ息を付いて肩を竦める。

 暫く前線から離れていたとはいえ、ここまで自分の感覚が鈍っているとは思ってもいなかった。

 カンの良さは、一族の中でも随一だと言われていたのに。

 まあそれも、今の状態ならば仕方のないことなのかもしれないが。


「んあ? なんだよ、降参してくれんの?」


 少女の呟きとその態度に、若干拍子抜けしたように聞き返すアルド。


「ん〜? 降参っていうか〜、流石にそれ打ち消すのは、骨が折れそうだしぃ」


 あははと苦笑する少女。


「で・も。やられっぱなしはイヤなのよねぇ〜♪」

 しかし、未だにその瞳は爛々と輝いていて。


「ああ? どっちなんだよ……」


 ころっと態度を変えた少女に、呆れ気味にアルドがぼやく。


 すると。


「――なにしてんの」


 パチンと指を鳴らした音が聞こえたと同時にそんな声が聞こえ、少女の結界も、アルドの炎も、たちまちに流れる風に溶けるようにして、消え去る。

 まるで初めからそこには、何もなかったかのように。


 それにより遮断効果もなくなり、もといた場所へ、エルスティン学院の門を少し行った先の、街道脇へと景色が戻り。


「っ!」

「なっ!?」


 突然の周囲の変化に驚き、目を見開く少女とアルド。

 いきなりのことすぎて、思考が追い付いていかない。

 注意を欠いていたわけではないが、こうもあっさり打ち消されてしまえる程、少女とアルドの魔法は、結界と炎は、軟弱ではない。

 仮にも人知れず街中に結界を張れる程の実力を持った者と、このシェリティード唯一の、大魔導師を冠している者なのだから。

 にも関わらず、新たなこの出現者はその指先一つで、結界と炎、両方を一度に無効化してみせたのだ。

 二人とも完全に、虚を突かれた状態だった。


 そんな二人の眼前に、一人の少年がふわりと、静かに舞い降りて来ていた。


 ――白。

 そう称するのが、一番に相応しい。


 まるで雪のように真っ白な髪。

 その肌も伏せられがちな瞳も、色を入れ忘れたかのように白く。

 細身の肢体。そこから伸びる腕も足も折れそうな程か細く、その胸が平らでなければ、少女だと誤認していたかもしれない。

 きっちり上までボタンが留められたシャツに、ゆったりしたズボン。唯一、それを吊っているサスペンダーだけが艶光りしている黒色で、履いているブーツでさえも、染みひとつない白だった。


 音もなく、石畳の上に降り立つ少年。


「………………」

「………………」


 神が地上に遣わした雪の化身のような少年のその容姿に、ぱちぱちと目をしばたくアルド。声を忘れたかのように、口はあんぐり開けたままで。

 一方少女の方はというと、驚きからはもう立ち直ってはいたが、あちゃ〜と苦笑いしながら片手で顔を押さえ、そのまま眼前の少年からそろ〜っと目線を逸らしている。


 各々の表情を特に気にすることもなく、姿勢を正すと、その少年が薄い唇を開いた。


「――こんばんわ。ウチの姉が、ご迷惑をおかけしたようで、どうもすみません」


 その声は、感情も抑揚も少なに淡々と並べられ。

 綺麗に腰を折って少年がお辞儀して初めて、アルドははっとし慌てて声を返した。


「あ、あぁいや、こちらこそ――……って、あ、姉ぇっ!?」


 が、そこから溢れた重大な事実に気付いて、再び驚いた顔で聞き返すアルド。今度はその指まで向けて。

 無論、姉と言われた少女の方に。


「な〜によぅ、その反応〜。しっつれ―しちゃう〜っ!」


 そんなアルドに、先程までの挑発的な態度はどこへやら、じっとりした視線を投げかけ、つんっと顔を背ける少女。

 その少女の態度と落ち着いた物腰の少年を見て、少女の方が姉だと思う者が果たして何人いることか。下手をしたら十人が十人中、少年の方が兄だと言い出しそうだった。


「気にしないでください。いつものことですから。――あぁ、そういえばまだ名乗っていませんでしたね。失礼しました」


 姉のそんな態度に苦笑してから、今気付いたとばかりにぽんっと手を打って、少年は続ける。


「見ての通りなので、察しはついているかと思いますが。僕は虹光髪――いえ、゛四季の者″の一族の内のアルビノ、外れのナシグです。こちらの姉はちゃんとした゛四季″の系統者、チェイリル。以後、お見知りおきを」


 それらはまったくの無機質に綴られた言葉で、ぺこりと下げられたお辞儀だけが嫌に優雅で、機械的な、時計仕掛けの人形(ドール)であるかのようだった。

 生きている感じが、まるでしない。


「……………………」


 それに、なんとも言えないイヤな感じを覚えて、アルドが苦虫を噛み潰したかのような顔で目線を逸らし、自分の頭を掻きながらあーとかうーとか唸るものの、もごもごとしたまま二の次を継げないでいると、


「――では、今日の所はこれで失礼させて頂きますね。姉に良く、言って聞かせませんといけないもので」


「あっ! ちょっとま――」


 少年、ナシグが苦笑混じりにそう告げ、少女、チェイリルの言葉が終わらない内に。


 現れた時と同じようにふわりと、その姿が霧散し、消える。


 後には、夜の闇をいっそう濃くした静かな町並みの風景が広がるのみ。


「……………………」


 暫し呆然と、二人がいた辺りを見やっていたアルドだったが、


「…………なんだったんだぁ?」


 黒の頭を掻きつつ、ぼやきながら空を仰ぐ。


 見上げた空は、結界に入る前にはあったはずの星々の瞬きは雲に隠れ、曇天の空からちらほらと冬を彩る白い雪が、ふわりふわりと舞い降りてきていた。





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