落ちこぼれ少女の災難1
「………いない、よね……?」
校門の影から首だけを出し、注意深く前後左右を探り見る少女が1人。
エルスティン学院指定の薄翠色のフード付きコートを羽織り、目深にフードを被っている為その表情は見えないが、裾下から見える頬は白く透き通っていてふっくらとし、小さな桃色の唇が愛らしい。
体格からからして女性のようだが、その体躯は随分と小柄なようだ。
「……大丈夫そう、かな」
きょろきょろと辺りを見渡し、大丈夫そうだと結論付けたその少女は、門の影から出ようと足を踏み出し──…
「あ〜ら、ごめんあそばせ!」
「きゃっ!?」
わざとらしい声と共に背後から衝撃を受け、盛大に小路にすっ転ぶ。
その拍子にフードが取れ、少女の顔があらわになる。
この魔法大国シェリティードでは珍しい、虹光色(光の加減で色が変わる彩髪)の長髪が風に流れる。
今は夕刻。シェナフィト海に沈みかけた夕陽が街を黄金色に染め上げていて、その光を弾いて揺れる少女の長髪も、黄金色に輝いている。
その黄金色の髪に見え隠れするように煌めくのは、クリムゾンの紅玉とアメジストの水晶をはめ込んだかのような、大きくつぶらなオッド・アイ。
夕陽の光を反射して、金色がかっても見える。
「っ!」
その瞳が睨んでいるようにでも見えたのか、少女を突き飛ばした者が怯んで一歩後ずさる。
が、当の少女は気づいていないようで、
「──いたぁ……」
転んだ時にぶつけたらしい鼻の頭をさすっている。
「!──まったく、万年最下位の方の考えることはわかりませんわぁ〜。こーんな所で転ぶだなんて。ねぇ?」
なんとか気を取り直したその者は、声高に、周りに聞こえるように続ける。
下校時刻ということもあり、校門前にはそれこそこの学園の全ての生徒がいると言っていいくらいの人数が行き交っていたが、発せられた声に引かれるように、一斉に視線を向ける。
主に、「万年最下位」と呼ばれた少女の方に。
蔑み、嘲笑、嫌悪、軽蔑──…
様々な感情が込められた視線を浴びせかけられる。
今となっては、日常茶飯事となっているが。
いつものことすぎて、気にも止めなくなるくらいに、それは少女にとっては日常だった。
色々な意味で、有名なのだ。
少女の意思とは関係なく、「万年最下位の少女」は。
エルスティン学院学長の姪だとか。
落ちこぼれだとか。
学院の面汚しだとか。
万年最下位のシアリート・ウィリスは学院の恥だとか。
その殆どが不名誉なものでしかないが。
だが、どれも真実であり仕方のないことなので、何も言い返すことはない。
(……またこの子か)
声の主にようやく気付いた少女、シアリート──シアは胸中でひとつため息をつく。
エレミア・ファスティード。
12歳でエルスティン学院に入学した時から、なにかと突っ掛かってくる子だった。
何故かこの5年間同じクラスで、何をするにも、何処へ行くにもなにかと文句を言ってくるのだ。
シアにしてみれば気にすることでもなかったので、特に何も言わなかったのだが、どうやらそれが気に食わなかったらしく、更に文句が増える、という無限ループを繰り返している。
(私に構う暇があるなら、もっと魔法を磨けばいいのに)
頭脳明晰、容姿端麗、ひいてはファッション界で名高いファスティード家息女である。
彼女の着ているものは(それこそ頭の先から足の先まで)必ず、巷の者達が真似をする程に、その影響力は大きい。
学院でも上級生下級生問わず人気者で、特に男性からの支持率が非常に高い。ある1名を除いては。
(──私とは違うんだから、きちんとモノにすれば成功するんだから、その為にこの時間を使うべきだよ。そうでしょう?こんなことに使ってるから、貴女も万年2位なんだよ、エレミア?)
胸中で呟きつつ、パタパタと埃を払って立ち上がるシア。
「っ!」
それにエレミアと呼ばれた少女がぐっと身体に力を込めるが、シアはそんなエレミアをちらりと一瞥しただけで、フードを被り直し、その場を去ろうと歩みを進める。
「また、何も言わずに逃げますの?少しは言い返してみたらどうです!?」
「あれ?こんなトコにいたんだ。探しちゃったよ」
その背にエレミアの怒声と、対照的なほんわかとした声が投げかけられたのは同時だった。
それまで事の成り行きを見やっていただけの野次馬たちの間に、一瞬にしてどよめきが走る。
「………………」
周囲の雰囲気から、誰が来たかを悟って、あからさまに嫌な顔をするシア。嫌々声のした方に顔を向けると、
「まぁたそんな顔をする。可愛い顔が台無しだよ?シアリート」
案の定、そこには想像した通りの人物がいた。
カラミス・デュクレイ。
万年首位を独走している、学院きっての秀才だ。
頭脳明晰なのもさることながら、運動神経も抜群で、端正な顔立ちをしており、エレミアと並んでも劣らない。
物腰は穏やかで礼儀正しく紳士的な為、こちらは女性陣に圧倒的人気がある。
「……何か用?デュクレイ」
ぽつり、呟くように発せられたシアの声に苦笑しつつ、カラミスは答える。
「ラミでいいって言ってるのに……。えぇと、学長が探してたよ?だから」
一緒に行こう──と言おうとしていたカラミスの言葉を遮って、
「そう。じゃ、私はこのまま帰るから。行くのなら1人で行って」
さくっと冷徹に切り捨てるシア。
「……シアリート。他ならぬ君が、学長に呼ばれているんだけどね?」
やれやれとため息をつきながら、それでもやんわりと告げるカラミス。
「……私は、応じる気はありません。そのお話は、もう終わった事ですから。デュクレイが学長室に行かれるのなら、伯父上に、そうお伝え頂いて結構です。──では」
カラミスの返答を聞くまでもないというように、踵を返し、その場を去ろうとするシア。だが、
「それはあんまりじゃありませんの!?」
その肩を掴んで引き止め、声を上げたのは今まで黙っていたエレミアだった。
「いくら学長の姪だからとは言え、この学院に在籍しているのだから、学長に呼ばれたのなら赴くのが礼儀でしょう!」
自慢の金髪を振り乱し、いつも知己的な光を宿している碧眼は、今は怒りの色を含んでいる。
「それに、まずお礼を言うべきではありませんの!?カラミスは貴女を、探してくれていましたのよ?」
ぐっと肩を掴む手に力が入り、無理矢理カラミスの方に身体を向けさせられるシア。
あまりの力強さにびっくりしていたシアだったが、
(……エレミアってラミのこと、嫌ってたんじゃなかったっけ?にしても、息女がこんな馬鹿力でいいの……?)
などと、全然違うことに頭を使っていたために、変な間が出来てしまう。
「……僕としても、無理強いする気はないんだよ?その気になれば君なんて、強制的につれて行くことが出来るんだから」
シアからの答えが無いことを黙秘の抵抗と取ったのか、その柔和な蒼紺の瞳を悲しげに揺らし、静かに諭すように告げるカラミス。
(……これは、何か言わないと帰してくれそうにないなぁ……)
無理強いする気はないと言いながら、きっちり保険をかけるカラミスに密かに舌打ちしてから、
「………えっと、その……さ、探してくれてありがと、デュクレイ。でも、あの、今日は……、つ、都合が悪くて……。だから、その、行けない旨を、伯父上に伝えてもらってもいい、かな……?」
顔を見られないように俯いて、ちゃんと謝っているように聞こえるよう、ぽつり、ぽつりと感謝と謝罪の意を告げるシア。
「──都合が悪いのなら仕方ないね。だけどそれ、まさかとは思うけれど……嘘じゃないよね?」
シアのその言葉にすんなりと諦めたかと思いきや、次いでにっこりと、とんでもないことを口走るカラミス。
(……段々、性格悪くなってきたんじゃないかなぁ、ラミってば。伯父上の影響かなぁ……。都合が悪いのは本当だけど、流石幼馴染みってだけはあるってことかぁ……)
「そんなワケないでしょ。都合が悪いのは本当だし、大体、なんで私がデュクレイに、嘘付かなくちゃいけないの?」
胸中で文句をいいつつ、なんとか平静さを装いながら、若干早口で告げるシア。
「まぁ、それもそうだね。じゃあ今日の所はこれで退散するけど……」
やれやれと肩を竦め、言いながら静かに歩み寄ってきたカラミスは、そっとシアの耳に唇を近付け、
「そういつまでも、逃げられると思うなよ?」
ぞくりとする程低い声音で、囁く。
勿論、その声はシアにしか聞こえておらず……
「悪かったね、エレミア。君の手を煩わせてしまって。また君の都合のいい時にでも、お礼をさせてもらうから。それじゃ、僕はこれで」
シアの耳から唇を離すと、何事もなかったかのように笑顔を向け、エレミアにそれだけを告げて、カラミスは颯爽と学院に戻っていくのだった。
(……皆は、知ってるのかな?たぶん、知らないんだろうなぁ……。ラミの、豹変した姿なんて)
その後ろ姿を見送りながら、シアだけが1人、そんなことを考えていた。
……*……*……*……
それからしばらくして野次馬も去り、エレミアからも解放されたシアはため息をひとつ付いてから、人がまばらになってきた校門前の小路に足を進めようとし……
「──今日のはまた、随分と険悪だったなぁ?毎度毎度ほんっと、よくやるよ。お前、友達は選んだ方がいいと思うぞ」
「っ!?」
すぐ側から聞こえてきた声に驚いて、出しかけた足を縺れさせる。
「きゃ………」
「!──っと」
そのまま転倒すると思いきや、さっと差し伸べられた力強い腕に、軽々と抱き上げられてしまう。
「なんか、お前の事助けてばっかな気がするなぁ」
「っ!ご、ごめんなさい。その、ありがとうございます。あの、もう大丈夫ですから」
にかっと笑いながら言ってくるその人に、恥ずかしくて早口でシアが礼を述べ、下ろしてもらえるよう頼もうとするが、
「ま、いいけど。んじゃ行くか」
「ひゃっ!?」
その前に軽々と肩に担ぎ上げられ、そのまま歩き出されてしまう。
こんな状態では目立つ以前に、行く先々で注目を集め、見せ物にされかねない。
それに何より、恥ずかしいし、動く度ぐらぐらと揺れて怖い。
「ちょ、ま、なっ……!はっ、恥ずかしいですからっ、お願いですアルド様、下ろしてくださ……」
「お前と俺とじゃリーチが違いすぎる。このまま行った方が断然早い」
自らアルドと呼んだその人物の頭にしがみ付きながら、なんとか声を上げてシアが懸命に抗議するが、さらりと正論で返されてしまう。
「それに、今俺はただのアルなんだから、様なんてつけんじゃねーよ。バレちまうだろ」
「っ!す、すみません、アルドさ………アル」
「よし!」
慌てて謝り、言い直したシアに気を良くしたのか、にっこりとするアルド。
そのまま暫し歩みを進めるが、
「──って、よし、じゃなくて!下ろしてくださいっ!」
結局なにも解決していないことに気付いてシアが声を上げるが、当の本人はというと、とても自然に、
「──しっかし、やっぱ身体がちみっこいと、発育も遅れるのかね〜?17歳で、この真っ平らはないだろ。──揉んでやろうか?」
とんでもないことを口走った。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
(どっちも気にしてるのにぃ〜〜〜っっ!)
それに羞恥と怒りで頬を赤らめ、シアは躊躇することなく、全ての現況となった男に怒れる鉄拳をお見舞いしたのだった。
黄金色の街中に、軽快な撲殺音が響き渡る──……
これが、シアリート・ウィリス17歳(身長子供丈、胸ペタンコ)の、2つの日常である。