落ちこぼれ少女の災難10
「………………」
日の光の柔らかく温かな熱を頬に受け、ピチ、ピチチ…という心地よい小鳥のさえずりを聞き、
「………ん……」
ころんと身動ぎしてから、そっとその瞳を開くシア。
その瞳に真っ先に飛び込んで来たのは、深く刻まれた眉間のシワ。
「…………ふふっ」
思わず、苦笑が溢れる。
試験の途中で気を失ったことと自分が今ベッドに寝ていたこと、そして眼前にスティリドが(シワを刻みながら)寝ているという状況から、どうやらあのまま誰かが家まで送ってくれたらしい、と検討をつけその身をゆっくりと起こすシア。
「!」
と、途端に手を引く感触にそちらへと振り返ると、しっかりと。自分の右手がスティリドの手に握られていた。
「…………、ん……?」
その振動で微睡みから覚めつつあるスティリドが身動ぎ、そっとその眼を開く。
「あ、えぇと………お、おはようございます、伯父上……」
取り合えず、苦笑しつつ挨拶してみるシア。
「…………あぁ、はい…………」
それにスティリドはぼんやりした顔で呟き、目をぱちぱちと瞬いて──
「っ!シアリートっ!?」
「は、はいぃ!?」
勢い良く覚醒したかと思いきや声を上げ、それにシアが驚いている間に、
「………っ……」
「!」
ぎゅっと。
力強く、抱きしめられていた。
「あ、あのっ、伯父上……?」
「……っ、よ……よかった……。あのまま、目を……覚まさないのかと……」
あわあわしているシアに、ポツリと呟くように告げるスティリド。
次いではぁーと安堵のため息が漏れ、抱きしめていた手の力が緩む。
「……心配、かけてごめんなさい、伯父上……」
それにボソッと呟いて、シアもおずおずと手を伸ばし、きゅっとスティリドの身体を抱きしめ返す。
「!……いいんです。貴女がこうして無事なら……。おかえりなさい、シアリート」
シアの意外な行動に驚きつつ苦笑し、スティリドは柔らかに囁いて、そっとシアの頭を撫でる。
「…………ただいま」
それに恥ずかしそうにしながら言葉を告げ、シアはふわりとはにかんだ。
……*……*……*……
休日中のことは取り合えず追求されなかったものの、
・連絡をすること
・出掛ける際は行き先を告げること
・話せる時がきたら全て話すこと
という三つの条件を出されてしまって、どうしたものかと悩みたいところではあるのだが、
「………………………」
シアの目の前には、更なる障害が立ちはだかっていた。
共に朝食を終え、先に学院に行くスティリドを見送ってから予備の制服に着替え、自分も学校に行こうと戸締りをして出掛けようとした矢先のこと。
「…………おはよう?シアリート」
にっこり。
向けられている笑顔とは裏腹に、形の良い唇から発せられたその低い声音に、びくりと身体を震わせる。
(うわっ……!なんか、ものすっごく怒ってるっっ!!)
声音からそう察し、くるりと後ろを振り返ってそれが確信に変わるやいなや、
「……お、おはようっ、デュクレイ!そ、それじゃ、私急ぐからっ」
早々に挨拶を済ませ、その場から直ぐ様立ち去ろうと試みるシアだったが、
「…………僕から、逃げられると思ってるの?」
とん、と。あっさり片手で進路を塞がれてしまう。
(うっ……。そりゃ、正攻法じゃムリだろうけど……。大体、なんで怒ってるの?)
「……………………」
カラミスのその問いに何事か言おうとしてみるシアだが、正直怒っているカラミスには関わりたくないので、ちらりとカラミスを見やっただけで、反対側から通り過ぎようとするが、
「……言いたいことがあるならちゃんと言いなよ、シアリート」
「っ!」
またしてもあっさりともう片方の手で遮られ、ずいっと進み出てきたカラミスとは反対にシアは後退り、玄関扉に背中を押し留められる。
退路は、もはやない。
蒼紺の瞳に宿る鋭い光が、容赦なくシアを貫く。
「………っ、そこを退いて、デュクレイ。学校に、遅れるっ………!」
その瞳を見返し続けることなどシアに出来るはずもなく、視線を外し呟く。
「……そんなことが、言いたかったんじゃないだろう?」
「!」
言いながらカラミスはシアの小さな顎を掬い上げ、無理矢理目線を合わせさせる。
真っ直ぐな、深い蒼の瞳。 その瞳に見つめられると、後ろめたさが込み上げてきて一刻も早くここから、逃げ出してしまいたくなってしまう。
いつからそうなってしまったのか、自分でももう思い出せない。
(……昔は、こんなじゃなかったんだけど……。──私が、させてるんだよね……)
「…………ごめん、なさい………」
不意に、唇から言葉が溢れる。
「……どうして謝る?──自分が怒られるようなことした、って自覚あるの?」
意外そうな顔をして訊ねてくるカラミスに、
(しまった、咄嗟に出ちゃったっ……!でも、これってやっぱりステイと同じ、かな……?そうだよね絶対)
「そ、それくらいわかるよっ!──私が、何も言わずに外泊なんかしたから、怒ってるんでしょう?」
なんとかカラミスが怒っている要因を見つけ出し、ぼそりと呟くシア。
「へぇ。さすがに、それくらいはわかるんだ」
変わらず怒りを含んだ笑顔でカラミスは告げ、
「……最も、僕はそれだけに腹を立ててるワケじゃないけど……」
シアには聞こえないように呟いて、
「でもっ、それにはワケがあって」
珍しく、自分から話を続けようとしているシアの言葉を遮り、告げる。
「……ねぇ、シアリート。君は、なんでそんなに無防備なの?行き先も告げず、連絡もせず──、僕や伯父さん……リド兄が、どれだけ君を心配するか、考えたことはないの?それに──」
一旦ここで言葉を切ると、カラミスは扉に押し当てている方の手をぐっと握り締める。
「公員に、抱き抱えられて帰って来たって?──本当に、君はどこまで……」
押し殺した声で告げられたカラミスの言葉、特に「公員」という言葉に、シアは驚き、ひとり戦慄した。
そんなことをするのは、あの人しかいまい。
(なっ!?なんですかそれはっ!?何してんですかアルド様ああぁっ!?)
戦慄した、というよりは怒りに打ち震えたといった方がいいかもしれない。
「……自分の立場、ちゃんとわかってる?」
「っ!」
再び紡がれたカラミスの言葉に、はっと我に返る。
あまりに近くにカラミスの端正な顔があって、びっくりするシアだが、なんとかそのことだけは弁明しようと声を上げようとし──…
無情に止められる。
「──この細い首に首輪をかけて、鎖で繋いで……鳥籠にでも閉じ込めておこうか──」
「……っぁ……」
カラミスの長い指が、シアの細い首筋を滑らかに滑っていく。
「っ!?」
その感触にぞくりと身体を震わせ、シアは両の瞳をぎゅっと閉じる。
(な、何をっ……なんでこんな──!?)
カラミスの行動の意図がわからなくて、困惑する。
「……ごめん、冗談」
するとそんなシアの耳に、いつもの、穏やかなカラミスの声が落とされ、すっと首筋から指が離れる。
「へ?」
それに大きな瞳をしばたいてぽかんとし、間抜けな声を上げるシア。
「あははっ!なんて顔してるのシアリート」
そんなシアを見やり、頬を綻ばせ、カラミスが肩を震わせて笑い声を上げる。
「あははははっ!あーもう、嘘だよ、ウソ。そんなこと、僕がするワケないだろ?」
目尻に浮かんだ涙を払いながら、苦笑混じりに告げる。
もう完全に、いつものカラミスだ。
先程までのことがまるで、夢か幻のよう。
「……う、そ……だったんだ……?」
(……そ、それにしては、随分おっかなかった気がするけど……)
呆然としつつ自分でも、口に出してぽつりと呟いてみる。
「……〜〜〜〜っっ!」
途端に、恥ずかしさとからかわれたことに対する怒りがじわじわと込み上げてきて、シアは頬を紅潮させて叫ぶ。
「ひどいよっ!こんな悪戯──…。ほんとに、怖かったんだからっ!」
と、シアが懸命に抗議するが、
「あはははは!ごめっ、ごめんって」
シアが怒っている姿すら可笑しいのか、カラミスは苦笑を浮かべたままで、取り合ってくれもしない。
(〜〜〜〜っ!!人の気も知らないで〜〜っっ!)
恨めしそうにシアがカラミスを睨むが、笑いが止まる気配はなく。
「もう知らないんだからっ!」
頬を紅潮させたまま、眼前のカラミスに体当りするかの勢いで側をすり抜け、脱兎の如く走り去っていくシア。
「シアリート、まっ──」
「ばかぁ〜〜〜〜っ!!」
今だ笑いを含む声で呼び止めようとするカラミスに、捨て台詞を残して。
……*……*……*……
「あらあら。小鳥さんには逃げられてしまいましたのね」
シアが走り去ってから程なくして。
学院長の邸の側の茂みから、笑い声を上げながら進み出てくる少女がひとり。
「──君か、エレミア」
声のした方に振り返り、苦笑するカラミス。
「いつからいたの?全然、気づかなかったよ」
「あら、ご冗談を。本当に、今来た所なんですわよ?」
肩を竦めて告げるカラミスに、にこりと微笑んで告げるエレミア。
「……出来れば、手荒なことはしたくないんだけれど……」
はぁ、ため息と共に呟かれたカラミスのその言葉に、
「……難儀な方ですわね、カラミス(あなた)も。縛りたくないくせに、その手から離れるのは許せないだなんて」
肩を竦めてみせるエレミア。
「それはお互い様だろ、エレミア?君だって彼女と仲良くなりたいくせに、彼女の前じゃ素直になれないじゃないか」
それに苦笑で返すカラミス。
「………………」
「………………」
互いを静かに見返し合い、
「ふふっ」
「あはは」
くすりと苦笑する。
「さて、と。そろそろ行かないと本当に遅刻するな」
「あらあら本当。首席と次席が、揃って遅刻するわけにはいきませんわね」
カラミスの声に手元の時計を見やり、学院の方に走り出そうとするエレミア。
その後ろ姿に、
「──エレミア。ちょっと、付き合わないか?」
カラミスは悪戯っぽく、含みを帯びた声で告げるのだった。