木星兄と四姉妹
僕は、最近買ったふかふか布団の中で夢を見ていた。憧れの天王星さんの夢だ。神秘的なエメラルドの髪を風に流しながら、僕を手招きする天王星さん。僕は、夢中になって彼女の元へ駆け寄ろうとする。でも、どんなに足を速く動かしてもいっこうに距離は縮まない。
恐ろしい夢だけど、天王星さんの夢を見るときは、いつもそうだ。
きっと僕は、天王星さんに見合う男じゃないんだ。
……ん? 何だか耳元が騒がしい……。
「木星兄ちゃん、朝だよーっ」
「早く起きろっ!」
耳元で聞こえる二種類の声。どこかで聞いたことがある声だが、僕の脳はその声を認識したくないと叫んでいる。
「もうっ、起きろと言われたら一回で起きなさいよ!」
勢いよく布団を剥がされ、僕の体はフローリングにごろんと押し出される。寝間着越しに伝わってきたひんやりとした感触に、僕は思わずくしゃみをした。
「馬鹿、何をするんだよ! 寒いじゃないか!」
「だって、起きないんだもの」
「今日は日曜日だぞ? 眠いんだからゆっくり寝させてくれよ」
「何言ってるのよ。イオが作ってくれた朝ご飯、まさか食べたくないとでも言うの?」
引っぺがした布団を掴んだままの彼女の言うとおり、キッチンの方からは香ばしい焼いたベーコンの匂いが漂ってきている。
けど、分からないことが一つ。イオって誰だ……?
ふて腐れた声を聞きながら、僕はゆっくりと上半身を起こした。
僕の枕元に座る二人の女の子。一人はショートヘアで、もう一人はポニーテール。僕のお気に入りの布団を奪い取ったのは彼女だ。
こいつら何なんだ? そもそも、一人暮らししているはずの僕の家にどうして女の子がいるんだ?
「うわぁ、ひっどい寝ぼけ顔」
ポニーテールが、牛乳を拭いた雑巾を洗う時の目で僕を見てくる。すると、隣のショートの子がポニーテールを睨んだ。
「まぁ、ガニメデったら。ダメだよ、木星兄ちゃんのことをそんな風に言ったら」
「だって、本当のことだもん。エウロパもそう思うでしょ?」
ポニーテールはガニメデで、ショートヘアがエウロパ……? いかつい名前だな……。
眠気が取れない脳でぼんやりと考えていると、二人の背後から落ち着いた声が聞こえてきた。
「ガニメデ姉さん、エウロパ姉さん。目を覚まさせるには太陽の光を浴びさせるのが一番ですよ。早く窓を開けてください」
落ち着いた声の主は、眼鏡をかけたいかにも賢そうな女の子だった。ガニメデとエウロパは揃って手を叩いた。
「さっすがカリスト、頭が良い! では早速」
「ちょっ、待って、太陽の光だけは……」
カリストとかいう女の子のアドバイスを受け、ガニメデとエウロパの二人はカーテンを開けて勢いよく窓を開け放した。僕は大急ぎで毛布を引き寄せたが……
「イェーイ、グッモーニーィン! 今朝も太陽によるモーニングリサイタルが始まるぜぇぇーっ!」
……僕が毛布を被るよりも速く、太陽のやかましい光が僕の耳に届いてしまった。太陽の光を拒否している僕の耳にはお構いなしに、奴はモーニングコールと称して爆音を炸裂させている。その周りには太陽の取り巻きがいるが、彼らの歓声は奴のせいで全く聞こえない。あんな近くにいて、耳はいかれてしまわないんだろうか……?
「カリストは本当に天才だよね。私たちの分も耳栓を用意してくれるなんて」
「お、お前らいつの間に……」
三人が僕の隣で平然としていられたのは、耳栓のお陰だったのか。
「僕の分も用意しろよ、耳栓!」
「そんなことしたら、木星お兄さんのためにならないでしょう。自業自得ですよ」
「カリストの言うとおりよ。あんたがさっさと起きないでモジモジしてるからいけないのよ」
「ガニメデ、だからそういう強い言い方はしちゃダメだってば」
「うるさいわねぇ。そうやっていつも、エウロパは木星野郎の見方をするんだから!」
「別に良いじゃない! わたしは木星兄ちゃんが好きなんだもん!」
好きと言われて、嬉しくないのは何故だろう……。
エウロパとガニメデが激しく言い争っていると、寝室の扉から鈴のような声が聞こえてきた。
「エウロパ、ガニメデ、カリスト。木星お兄さんを起こしたら戻るようにって言ったでしょう?」
「イ、イオ」
寝室の入り口に立っていたのは、腰まであるロングヘアーの女の子。僕の物ではない、パステルブルーのエプロンを着けている。
「私たちは、新しい住居が決まるまでの間、木星お兄様のお家に住ませてもらう立場なのよ。お邪魔させていただく身として、木星お兄様に対しては礼儀正しく振る舞いなさい。特にガニメデ」
「はぁい」
さっきまで口うるさい小娘だったガニメデは、それが嘘だったかのようにしゅんとうなだれる。エウロパは心配そうに僕の顔を見上げ、カリストは開け放ったカーテンを静かに閉めた。
あぁ、そうだった。思い出した。思い出してしまった。
こいつら、僕の家に居候してるんだった……。
* * *
「分からないことが二つ」
イオの作った朝食を食べながら、僕は人差し指と中指を立てた。
「何故、君たちは僕の家に居候しているんだ? 僕よりもずっと金持ちの家に行けば良かったじゃないか」
「あら、覚えていないのですか?」
エプロンをしたまま席についているイオが、大きな目をぱちくりさせながら首を傾げる。
「行き先が無く、道端で困っていた私たちに手を差し伸べてくださったのは、あなたですよ」
「えええぇぇぇー!?」
そんなことした覚えてないし!
「いやだぁ、こいつ、私たちが勝手に家に上がり込んだと思っていたんだわ」
ガニメデは僕を睨むと、苛立たしげにベーコンをほおばった。
「本当に、僕が君たちを家に上がらせたのか?」
「はい。優しい言葉も掛けてくださって……どんなに嬉しかったことか」
イオが胸に手を置いて話す横で、エウロパも何度も深く頷く。
「お先真っ暗って感じだったもんね、わたしたち。木星兄ちゃんには、本当に感謝しているわ」
「はぁ、そりゃどうも」
身に覚えがないことを感謝されてもなぁ。こいつら、本当に僕に拾われたのかな?
次々と湧き出る新たな疑問は置いておいて、僕は気を取り直して二つ目の疑問を投げかけた。
「それで、君たちはどうして『お先真っ暗』状態になってしまったんだ?」
「……それなんですけど」
今度は、カリストが眼鏡を軽く押し上げながら口を開いた。
「私たち、木星兄さんの家に居候するまでの経緯を全く覚えていないんです」
「は?」
「生まれた時からつい先日までの記憶が、無いんです」
「はぁぁ?」
つ、つまりそれは、道端で困ることになった原因を知らないということか?
「記憶喪失だと思うんです」
再びイオが話し始めた。
「何かのショックで、四人そろって、記憶を失ったんだと思います。覚えているのは、私たち四人が姉妹であるということのみ。私が長女、エウロパが次女、ガニメデが三女、カリストが四女ということ……」
重く静まり返る室内。こういう沈んだ空気が苦手な僕は、雰囲気につられて思わず言ってしまった。
「気が済むまで、僕の家にいればいいよ」
うつむいていた四人が、一斉に顔を上げた。
「だから、そう落ち込むのはよそう。もっとこう、楽しくやろうよ」
「木星兄ちゃん大好き!」
「あっ、こら、エウロパ! いきなり木星お兄様に飛びついたら驚いちゃうでしょう!」
「良いじゃん、良いじゃん。どうせこいつ、女の子に『好き』って言われたことも抱きつかれたことも無いんだからさ」
「ガニメデ姉さん。そんなこと言ってると、木星お兄さんに追い出されてしまいますよ?」
「大丈夫よ。そんなことが出来るほど、こいつの心臓は大きくないから」
「…………」
居候が公認された途端に、四姉妹は僕の家が自分たちの家であるかのように振る舞い始めた。
この先、どうなるんだろう。『お先真っ暗』なのは僕の方だ。