三題噺 「光」「氷山」「ゆがんだ遊び」
「この光の向こうには、何があるんだい?」
少年は、少女に向かって訊ねてみる。
「あなたの暗い未来が待っています」
少女は、少年の問いに静かに答える。
真っ暗で、真っ黒で、何も無い空間。周囲を見渡しても何も無い、目の前にある光の渦がなければ、目を閉じているのか開けているのかすら分からなくなるぐらい、不安に駆られてしまうぐらい、何も見えないそんな空間の中。
その中にあるのが、前述の光の渦と、いまだ背も低い一人の無邪気な少年と、背は高いけれど幼さを残した一人の静かな少女だった。
「暗い未来? こんなにも明るいのに?」
再び、少年が訊ねる。目を覚ました時、目の前に立っていてくれた、自分を静かに起こしてくれていていた少女に、分からないことを親に訊く子供のように。
「明るいのは、あなたがココにいて、向こうへと帰るから……ただそれだけよ。光の向こうは、残酷な暗い未来だけ」
淡々と、だけど辛そうに、少女もまた答える。この先に何があるのか、またココがどこなのか、理解している口調で。
そのことに、少年も気付いたのだろう。そういえば、と三度言葉を紡ぐ。
「キミはココが、どこだか知ってるの?」
「うん、知ってるよ。だけど、教えたらこの渦は消えちゃうからね。教えられない」
「それじゃ、キミが誰か教えてもらうことは出来る?」
「それもちょっと……でも、別にルール違反じゃないかな……?」
それは暗に、教えたくないという言葉。ルール違反ではないけれど、教えても大丈夫だけれど、教えてこないということは、そういうこと。ソレが理解できたから、少年もそれ以上の追求はしない。
代わりに、この目の前にある渦について、考えることにする。
……いや、そもそもどうして、自分の知らない、こんな真っ暗で真っ黒な場所に、いつの間にやら立っていたのかを、思い出そうとする。
「…………」
確か……そう、自分は学校にいた。まだ中学生で、おそらくは授業中で、けれども自分は授業に参加していなくて……何か、どこか暗い場所にいて――
「――ってことは……」
ここがその場所?
意識しないところで呟いてしまうほど、閃きにも似た感覚でそんなことを思うが、すぐさま違うと否定する。そもそも、自分がいた暗い場所は、こんなに広くはなかったはず。目の前の、輝いているけど眩しくない、不思議で不可解で大きな光の渦の明かりが届かないほど拾いこんなところみたいに、広くはなかった記憶がある。
だから違うと、否定した。
「何か、思い出したの?」
と、少年の呟きを聞いていたのだろう。今度は少女が問いかけてくる。
「いや、何も。ただ僕は、どうも中学生みたい。そこまでは思い出せるから、少なくとも、最低年齢は中学生、かな」
「そっか。私は高校生だから、私の方が年上ね」
なんて言って、少女は微笑んでくる。少女の右側、少年の左側……そこに大きな口を広げて待つように在る、光の渦……その輝きに照らされて映ったその笑みは、本当にキレイなもので……少年は思わず、目を逸らしてしまう。
あまりにも、可愛すぎて。ある種の、美しさも感じられて。
「……あっ」
そうして視線を逸らして、下を見て、彼女の足が裸足なのを見て……今更ながら、自分の衣服について確認する。
自分のポケットを漁りながら、自分の着ているものをチェック。……とは言っても、極々ありふれた学ランだった。間違いなく中学生だと認識できるレベルのもの。ただちょっと、所々が薄汚れているのが見えていたが……まぁ、自分が男である以上、友人と遊んだりするので当たり前かと、思いなおす。
それから流れ的に、彼女の服装を改めて見ようと視線を上げ――ていくうちに、自分のズボンのポケットから、何やら紙の感触。何かの手掛かりになるかもしれないと、ソレを取り出し、四つに折りたたまれたソレを開いてみる。
『死ネ』
まず目に飛び込んできたのは、そんな文字だった。
「っ……!」
思わず、呼吸が出来なくなるぐらい、息を呑んでしまう。あまりの衝撃に、頭がクラクラしてしまう。
けれども、ソレも一瞬で……次の瞬間には、紙一面に書かれていたその文字の周りに書かれていた、ありきたりな誹謗中傷の文字を見て……そう言えば自分はイジメられてたんだな、なんて、ありきたりな出来事を想起させていた。
……思えば、自分が幸せだったことなんて、思い出せていなかった。ココがどこだか分からず、何かを思い出そうとした時に、友人の顔とか、楽しいクラスメイトとか、喜ばしい出来事とか、そういうのは全く、思い出せなかった。
代わりに思い出せたのは、暗い場所にいたことだけ。……誰かに無理矢理閉じ込められた、ということだけ。
だから、良い思い出なんて、思い出せなかった。
だってそもそも、そんな思い出がなかったのだから。
「ああ……そっか……そういうことか……」
気が付けば少年は、地面に片膝をついていた。
こうしてある程度思い出してみれば、イジメられていたという真実は全く衝撃的ではないけれど……それでも、思い出す前にしてみれば、ソレはかなりの衝撃だった。
ただ、それだけの話だった。
「何か、思い出したの?」
先程された、同じ質問。ソレが少女の口から、投げ掛けられる。
「いや、何も」
だからさっきと同じ、始まりの言葉を返す。
返しながら、静かに立ち上がる。
「ただ僕は、イジメられていたんだ。ありきたりなイジメで、使い古された嫌がらせをうけていた。……ただ、それだけなんだ」
答えながら、少女の言葉を思い出す。この光の渦についての言葉を、頭の中で再生する。
――暗い未来が待っています――
その言葉はきっと、そのまんまの意味。
ココから現実へと帰るという、そのまんまの意味。
……確かにソレは、暗い未来と言えるだろう。ココを抜けて現実に帰り、再び未来に向けて歩みを進めるのならば……他人の憎悪をぶつけられ、他人の暴力に晒されるのならば……それは本当に、暗い未来。ココよりも暗くて、ココよりも黒い、そんな未来にその身を曝け出すということ。
……そう考えれば、ココにいた方が幾分も気が楽になる。辛い現実から逃げ出して、イヤがらせを受けることもなく、嫌悪の篭った言葉をぶつけられることもなく、ただただ生きていくことが出来る……それはなんて、幸せなことだ。気が楽になる、なんて言葉の比じゃない。
だから自分は、この場所に留まって……この光の渦に飛び込まずに、ココにずっと残って――
「それじゃあキミは、ココにずっと残るの?」
――そう、考えている少年の心を読んだかのように、相変わらず静かな少女の言葉が、耳に届いた。
「…………」
改めて、そう他人から言われると……それで良いのだろうかと、少年は悩んでしまった。
そしてまた、その少年の心を読み取ったかのように、少女は言葉を紡いでいく。
「私も別に、ソレが悪いとは思わないよ。ううん。むしろ、逃げ出すことも大切だと思う。辛いんなら、逃げれば良いんだもん」
「…………」
「確かに、立ち向かうのも大切だよ? でも、立ち向かっても敵わないんなら、逃げれば良いじゃない。全力で」
「…………」
「キミが今まで生きてきた中で、どんな言葉を周りから言われたのか……私には分からない。……ううん、キミが今、何に悩んでいるのかも、どうして躊躇っているのかも、私には分からない。でも、話してもらっても、私はその重みを背負うことも出来ないから……だからさ、逃げれば良い、ってことしか、私は言えない」
逃げれば良い……そんな言葉をかけられたのは、初めてだった。自分に掛けられる言葉は全て、憎悪と嫌悪に彩られた、人を人とも思っていない、暴力にも似た言葉ばかりだったのに……彼女は逃げても良いと、そう言ってくれた。
それが、少年にとっては嬉しくて……思わず、涙が流れそうになってしまう。どうして自分は今まで逃げようとしなかったのか……どうして自分は今まで、あの憎悪と嫌悪の群れに立ち向かおうとしていたのか……そんなことを考えながら、少年は流れそうになる涙を堪える。袖口で拭って、意地でも頬へは流さないようにする。
嬉しさを見せないため……ではなく――
――まだ、泣くのは早いから。
……自分達の学校は、イジメばかり起きている。暴力的なものから、精神的なものまで。けれども世間に公開されるのは全て、自殺したり、自殺未遂にまで発展したものばかりで……自分のように、辛うじて耐えられる、言葉や文字の暴力・僅かばかりのイヤがらせは、全く世間に公開されてくれない。氷山の一角、だなんて報道をしておいて、その氷山には足を踏み入れてはくれない。ヘリに乗って上から見るなんてことをして、それで踏み入れた気になって、それで終わってしまう。
だから少年のイジメは、続いていた。まるでゲームでもするかのように……どれほどまで耐えられるのか、そのギリギリを見極められる、ゆがんだ遊びでもされるかのように、ずっと。
「でも……僕が逃げるのは、ココじゃないよな」
ソレは、少女の言葉に対する、答え。
そして、自分の行いに対する、反省。
「向こう側でも、逃げる方法はいくらでもある……」
ソレは例えば、転校だったり、立ち向かうのを止めて誰かに訴えたり……色々だ。
「少なくとも、人生全てに逃げ出すほどじゃあ、ない」
結局ココがどこだか、少年には分からなかったけれど……それでも、ココに閉じこもったままよりかは、幾分もマシ。
だってココはきっと、全力で逃げ出した果てに、辿り着くべき場所だから。
だからまだ、全力で逃げ出していない自分が辿り着くには……早すぎた。
「……そっか……」
その、少年の言葉を聞いて……少女はそう呟いて、少しだけ、嬉しそうな表情を作る。
その表情を見た後、少年はその、自らの左側にある光の渦に向けて、一歩を踏み出す。
「ありがとう、お姉さん」
二歩。
「お礼を言われるほどのことは、してませんよ」
三歩。
靴の爪先が、光の渦へと入る。
「でも、逃げても良いって、教えてくれたからさ」
四歩。
身体の半分が、飲み込まれる。
「ソレは、あなたにココに、逃げて欲しかったからよ」
「だったらソレは、向こうで逃げ道がなくなった果てにでも」
五歩。
最後の答えと共に踏み出したその一歩で……少年は、光の渦の向こう側へと消えた。
そうして、光の渦が消え……再び真っ暗で真っ黒になった世界で、目を開けているのか閉じているのか不安になる世界で、少女は一つため息を吐く。
「また、帰っちゃいましたか……」
『留めるつもりもなかっただろうに』
その声は、その空間全体に響き渡った。
「ん? 相変わらず光の渦が無いときじゃないと、声を聞かせてくれないのね」
『そういうルールだからな』
男性とも女性とも、少年とも少女とも予測がつかない声が、続けてくる。
『というより、お前はどういうつもりなんだ?』
「どういうつもりって?」
『ココは、生と死の狭間の場所。つまりああして帰ったやつは現実に帰り、こうして残ったやつ――』
「ずっと現実で意識不明だって言うんでしょ。何度も聞かされたから知ってるよ」
『ならば何故もう五回もああして見送るんだよ』
「だって……生き返るのは、怖いもの」
少女はそう、震えるように呟いた。
先程、少女が見逃した服装……それはまさに、入院衣。意識不明の重体者に着せる、看護婦などが着替えさせる際に使用する、そんな服。
「ずっとずっと……眠ったままで……つい最近、目が覚める目処が立っちゃって……もう死ぬんだとばかり想ってたのに……こんなところに飛ばされて……」
一時は、絶望的だった。意識がありながらも眠ったような状態。それが五年間、続いていた。
けれども今は、意識が切り離され……こうして、この真っ黒で真っ暗な、生と死の狭間に意識がある。
いつでも、目が覚められるように。
「だから私は、逃げてるの。現実から。生きてる現実から。ずっと動いている心臓を無視して、ずっとずっと……」
それはある種、ゆがんだ感情。歪な気持ち。ゆがんだ、遊び方。
彼女の状況よりも辛い人が来ない限りは現実に帰らないという、ゆがんだ遊び。
『……はぁ……』
響き渡る声が、ため息を吐く。
『まぁ、お前の好きにすれば良い』
そう言い残して、響き渡る声が、静かになる。
「…………」
そうして再び、その空間には……少女が一人でいるのみになった。
それが彼女にとっての、幸せであるように。
五年間も意識がありながら身体を動かせなかった彼女にとって……この程度、どうってこともない、むしろ不自由の無い、幸せだったから。
五分ほどオーバーしてなんとか書き上げた…
…が、相変わらず推古できない……
う~ん……もう少し短いのを書けば推古も出来るんだろうケド……気が付けば長くなってるな……
この辺りの制御をもう少しどうにか出来るようにならないと




