私は今日婚約破棄される
馬車に揺さぶられること半日。降りるとそこは、私の婚約者カイル子爵の城、ユース城だった。
珍しい赤茶のレンガを使って建てられたその城は、外壁も数年前と変わらず、綺麗に磨き上げられている。以前はこの綺麗な赤茶のレンガを見るたび、これからカイルに会えるのだと体中に幸せが流れていたのだが、今回はそうもいかない。むしろドロッとした不安が、ゆっくりと胸の内側から広がり、体の至る所から冷や汗が止まらなかった。
「ネリー様、本日はお越しいただきありがとうございます。カイル様がお待ちです。どうぞこちらへ」
執事のアンドリューさんが姿勢を正したままそう言うと、踵を返し城内を歩き始める。
小さい頃は「ドリューさん!」と呼ぶと、にっこり微笑みながら、お菓子をこっそりと渡してくれていた。年齢を重ねるごとにドリューさんの方から徐々に距離を取られ始め、今では昔のように親しく話すことはない。従者として適切な距離感を取らなければと泣く泣く今の態度を取っているのだと、昔カイルがこっそり耳打ちしてくれた。私も甘えてばかりではダメだと思い、その距離間を維持していたが、今はその壁がとても心寂しい。もしかしたらドリューさんも、私の家が没落して平民に落ちてしまったことを、心のどこかで笑っているのかもしれないと、その考えが頭をよぎるだけで吐き気がこみ上げてくる。
そう、私の家は没落してしまったのだ。没落して平民となった家の者と、婚約を結びつづけるバカはどこにもいない。カイルがわざわざ馬車まで手配して私をここに呼んだ理由は明白だ。
私は今日婚約破棄されるのだ。
私とカイルが婚約関係を結んだのは私が八歳の時、カイルが十歳の時だった。
レグナ伯爵家は王国の内陸部にあり、隣国と国境を隔てていないため、大きな戦争に巻き込まれることは少ないが国交で得られる富も少なかった。対してカイルのいるユース子爵家は海に面した場所に領地を構えており、子爵家でありながらも多くの国と公益を活発に行っており、巨万の富を築き上げていた。が、内政には疎く、あまり王都での権力はなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、レグナ伯爵家末娘の私と子爵家長男のカイルだった。
子爵と伯爵で階級に大きく差はあったが、我が伯爵家で私の婚約を止める者など誰一人としていなかった。私は家の出来損ないだったのだ。家族だけでなく侍女達使用人にも軽んじられる程、家での地位は低かった。
勉学や魔法の才が平凡以下の私には、政略結婚の道具としての価値しかないのだと、母はよく言っていた。年の離れた兄に至っては、子爵家に嫁ぐのすらおこがましいと、影で使用人と会話している所を耳にしたぐらいだ。
さて、いざ顔合わせのタイミングになり、どんな人が待っているのかドキドキしながら向かった先にいたのは、言い方は悪いが至って普通の大人しい少年だった。自分から積極的に話すと言うよりも、どちらかと言えば聞き手に回るタイプで、私が話をするとコクコクと頷きながら聞いてくれた。
ある日私が「剣が出来る人ってすごいですわよね!あの動き、まるで芸術みたいだわ!」というと、翌日からカイルは体のあちこちに傷をつくってやってきた。どうしたのかと聞いても「こけただけですよ。それよりこのケーキ食べましたか?クリームがとても美味しいです」と話を逸らされた。ちなみにケーキはめちゃくちゃ美味しかった。最終兵器のドリューさんに聞いてみると、懐からお菓子を取り出しながら小声で「最近剣へのやる気がすごいのです。どうも指南役の方に練習量を五倍にするように頼み込んだそうです」と教えてくれた。
またある日私が「最近小説で読んだ王子がとても格好よかったわ。白馬に乗って颯爽と現れるのよ!」と好きな本の良さを熱弁すると、翌日からカイルの馬車を引く馬が、とても毛並みの整った美しい白馬に変わっていた。その白馬どうしたの!と少し興奮気味に聞くと、「たまたま家に、とても気が合う子がいたのです」と言って笑っていた。ドリュー密偵の話によると「カイル様が子爵に白馬をおねだりされたそうです。初めてのおねだりだったので、子爵も気張って、持っているコネを総動員させて白馬を手配したそうです」とこれまたクッキーを取り出しながら教えてくれた。ちなみにクッキーはサクサクしていてとても美味しかった。
カイルとのお茶会は定期的に双方の領地で行われた。私の家の侍従は、カイルの前ではとても大人しく、お茶会で嫌がらせをうけることはなかった。人の前で態度を変えるのはいかがと思うが、正直嬉しかった。嫌がらせをうけるうけないの問題ではなく、カイルに嫌がらせされている立場の人間だと知られたくなかった。家の出来損ないだと知って欲しくなかった。
でもそれは初めのうちだけだった。カイルが優しいと知ったからか、お茶会に親が来ないと理解したからかは分からないが、だんだんと楽しいお茶会の影で嫌がらせが始まった。
あるときはとても辛い紅茶を提供されたが、カイルに気取られないよう笑顔で飲みきった。あるときはクッキーを口に入れた瞬間、砂を食べているようなジャリジャリという食感と不愉快な味が広がったことがあったが、これまた笑顔で食べきった。
何度も嫌がらせを笑顔で乗り切っていると、だんだんと過激なやり口が増えていった。それでも私はカイルに気取られないよう、必死で乗り切っていた。
「熱っ」
でもあるとき、手に取ったティーカップがあまりにも熱くて、思わず声が出てしまった。
しまった、と思った頃にはもう遅かった。カイルは私に目を向けた後、後ろの方でコソコソ笑っていた伯爵家の侍女達に目を向け、全てを理解したかのように一つため息を吐くと、おもむろに立ち上がった。
「私のよりも美味しそうな紅茶ですね。そちらをいただかせてください」
そう言って私の返答も待たず、私の手元にあるティーカップをひったくるように奪う。カイルは持ち手の熱さに顔を一瞬ゆがめたが、すぐにいつもの顔に戻りおもむろに紅茶を飲もうとする。
「カイル!ダメ!」
私は思わずカイルに、正確にはカイルが持っているティーカップに飛びかかる。持ち手の温度からして、おそらくカップの中の紅茶は沸騰したて。このままではカイルが火傷する。
私の手が、カイルの手からティーカップをはじく。そのままの勢いで私とカイルはもつれて、一緒に地面に倒れ込む。遠くでパリンという音が聞こえる。
でも間に合わなかった。カイルの右頬には、紅茶がその熱さを痕跡として残していた。
「カイル!カイル!」
「アンドリュー、氷を頼む」
「御意!」
慌てふためく私と違い、カイルは冷静にドリューさんにそう指示する。
「カイル!あぁ、本当にごめんなさい。ごめんなさい!」
「君が謝ることではないよ。ネリー、君は何も悪くないのだから」
カイルはそう言って火傷した頬を上げてにっこりと笑う。私のせいで付いてしまった火傷は、カイルの皮膚にしがみついて離れそうにない。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
「大丈夫だから。落ち着いて」
カイルはそう言ってゆっくりと私の頭をなでる。
「悪いのはこの紅茶を入れた人間と……今まで気づけなかった私だから」
カイルはボソリとそう言うと、再度火傷を負った頬を上げながらにっこりと笑った。目は冷静に前を向いたままだった。
それからの事は正直あまり覚えていない。慌てふためいたドリューさんが氷でカイルの頬を冷やしていて、熱湯の紅茶を入れた侍女は何故か泣いていて、出来損ないの私も何故か泣いていたのは覚えている。
その後もちろん火傷の件は大事になり、関わった侍女は全員首、伯爵が子爵に頭を下げることとなった。婚約が破棄されるんじゃないかとビクビクしたが、特にそういったことはなく、今まで通り交流が続けられた。
その日から私に対する侍従の態度は変わった。最低限の仕事をこなし、私にはなるべく近づかなくなった。当たり前だが、家族の態度は特に変わらなかった。が、侍従の態度が改まるだけでも正直ありがたかった。
その後は特に何事もなく、お互い順調に年を重ねていった。カイルは十八歳になるとすぐに子爵位を受け継いだ。成人すると同時に爵位を受け継ぐのは、我が国では珍しい事だが、優秀なカイルが子爵になることに反対する者はいなかった。
カイルの十八歳の誕生日と爵位授与記念を兼ねたパーティでは、二人で庭園に抜け出したとき、「ネリーが十六の誕生日を迎えたら結婚しよう」と片膝をついて正式なプロポーズをしてくれた。私はもちろん「はい!」と答えた。
そして私の十六の誕生日から一ヶ月と一日前。つまり本日からちょうど一ヶ月前に事件は起きた。
年の離れた兄が犯罪者として捕まったのだ。女癖の悪かった兄は、社交界で所構わず女性に声をかけていたらしい。そしてそのうちの一人が隣国のルクト王国第一王子の女性だった。
その女性は兄に無理矢理関係を持たされたのだと、そう主張した。兄は互いの合意があったと必死に弁明したが、その主張を裏付ける物などどこにもない。ルクト王国との関係悪化を恐れた王は、兄を国家反逆罪として極刑に、レグナ伯爵家一族から爵位を剥奪した。
そうして私は数日前に平民へと没落したのだ。
「カイル様よりネリー様以外の立ち入りを禁止されていますので、私はここで」
ドリューさんの声で、一気に現実に引き戻される。
気が付けば目の前には立派な木の扉があった。ドリューさんはそそくさと廊下を通って、別の場所に行ってしまった。
この扉を開けてしまったら、カイルとの婚約が終わってしまう。心臓がバクバクして脳みそがガンガンする。正直扉を開けずにジッとしていたい。カイルとの思い出に浸っておきたい。現実なんて見たくない。
ギィィィィ
私の気持ちに反して、私の手は、体は、勝手に扉を押し開ける。木製の扉は、少し古びた音を立てながらゆっくりと開いた。
扉の先は応接間のような、ソファとテーブル。そしてその先に、書類が山積みになったテーブル。そこで書類に囲まれながら何やら手を動かしている一人の男性がいた。カイルだ。
カイルは扉の音でハッと顔を上げる。
「ネリー!来てくれてありがとうございます!本当は私が迎えに行くべきなのだけれど、どうも領主の仕事にまだなれてなくて。申し訳ない。そこのソファにでも座っててくれないかい。すぐに終わるから」
カイルはそう言いながら火傷の跡がある右頬をポリポリと掻く。
私は言われたソファに、なるべく体重をかけないように座ると、程なくしてカイルが目の前のソファに座った。
「体調は大丈夫かい?その……いろいろあって心身共に疲れているだろう?なるべく今日中に打ち合わせをしておきたいが、そう言う気分じゃないならまた後日でも大丈夫だから」
カイルは優しい声でそう言う。もう用済みの人間なのに、わざわざ心配してくれるなんて、カイルは本当に優しい。そして思わずその優しさにすがってしまいそうになる自分が恥ずかしい。
「大丈夫。話が終わった後ゆっくり休むわ」
私がそう言うと、カイルは「途中で疲れちゃったりしたらすぐに言ってね」と改めて優しく言う。
あぁ、これから私、婚約破棄されるのね。
「それでまず、明日の君の誕生日会に呼ぶ人の事なんだけど」
「へ?婚約破棄は?」
「は?」
私の言葉にカイルは心底驚いたような顔をする。
……いや、驚きたいのはこっちよ!?
「私の兄、犯罪を犯したのよ!?」
「……そうだね?」
「私の家没落したのよ!?」
「……そうだね?」
「私、平民なのよ!?」
「……そうだね?」
カイルは私の発言に、何当たり前の事言ってんだろう、見たいな顔をしている。いや、当たり前だけど!そうだけど!
「別に私と無理して婚約する必要ないのよ!?」
「無理なんてしてないよ。もし君が、私との婚約が嫌なのであれば話は変わるけど」
「嫌じゃないに決まってるじゃん!でも!」
カイルは私の言葉を聞いて安心したようににっこりと笑うと、ゆっくりと言葉を続ける。
「私の人生の隣を歩く人は、君一人しか考えられないんだ」
カイルはそういうと、また火傷の跡がある右頬をポリポリと掻いた。
「……私、平民よ?」
「知ってるよ。明日の誕生日を迎えたら、約束通り結婚しよう」
そう言って優しく微笑むカイル。
彼の言葉にビクンと跳ねる私の心臓。
もう私は、彼と一緒じゃないと生きていけないようだ。
「……不束者ですが、ぜひよろしくお願いいたします」
私はゆっくりとそう答えた。
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