第57話「恐竜の饗宴」
【東京・新宿の街角・午後三時】
日差しが刺すように照りつける。街はいつも通りに動いている。
黒塗りの高級車が路肩に停まった。ドアが開き、オーダーメイドのスーツを着た中年の男が降りてくる。手には半分ほど飲み残したスターバックスのカップ。
路上の段ボールの上に、ホームレスが寝ている。唇は乾いてひび割れ、目は虚ろだ。それでも彼は口を開く。
「すみません……ちょっと……」
男は足を止めた。
彼はホームレスを見ない。冷笑もせず、軽蔑もせず、何の表情も浮かべない。
ただ――コーヒーを隣のゴミ箱に捨てた。
それから財布から一万円札を取り出し、平静に半分に破り、ホームレスの膝の上に置いた。
「システム信用格付け:Dマイナス。」彼の声はフラットで、天気予報を読むように事務的だ。「『資源配分最適化条例』第7条に基づき、一時扶助金上限額:五千円。」
彼は向きを変え、車に乗り込み、去っていった。
ホームレスはひざまずき、破れた二枚の札を拾う。
周りの通行人は歩き続ける。誰も立ち止まらない。誰も一瞥もしない。
なぜなら、これが新世界の「日常」だからだ。
暴力に怒りは必要ない。辱めに感情は必要ない。必要なのはただ――「合理性」だけだ。
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【街頭・システムの執行】
五分後、別の通り。
スーツを着た二人の男が、交差点での接触をきっかけに、向かい合って立っている。
争いはない。説明もない。
一人がスマホを取り出し、相手の信用コードをスキャンする。「負債資産。Cランク。」
彼はうなずく。まるで書類を確認したかのように。
そして拳を振り抜いた。
相手は倒れる。さらに二発、蹴りを入れる。力加減は正確で、標準手順を実行しているかのようだ。それからネクタイを整え、立ち去る。
近くで若者たちがARグラス越しに見ている。小声で会話する。
「CランクがCランクを攻撃。システムは介入してない。」
「つまり、合理的ってことだ。」
「うん、合理的。」
誰もおかしいと思わない。システムが合理的と言うなら、それが正しいからだ。
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【貧困者の溜まり場・公園・夕暮れ】
都心のはずれ、廃墟同然の公園。
ベンチはすべて撤去されている――「非生産的人士の集まり」はかつて「資源の無駄」と定義されたからだ。それでも木陰や草むらのあちこちに、十数人がぽつりぽつりと座っている。
彼らの服は破れている。目は虚ろだ。
しかし彼らの間には、不思議な暗黙の了解がある――
一人の老女が、手にした半分のパンを、さらに半分にちぎり、隣の若者に差し出す。
若者は受け取る。礼は言わない。老女も礼を期待しない。
ここでは、礼を言うことは贅沢だ。生き延びることだけで、精一杯だから。
別の場所では、数人の中年男が、拾ってきたスマホを囲んでいる。アクセスしているのは「底辺ライン」という掲示板だ。
画面表示は遅い。ネットワーク優先度は最低に抑えられている。それでも文字はかろうじて読める。
【書き込み】「今日新宿で、アツシがコーヒーかけられた。一万円札を破いて、膝の上に置かれた。」
【返信】「拾えたのか?」
【書き込み】「拾えた。二枚に破れてた。ひざまずいて拾った。」
【返信】「……」
【返信】「池袋の方じゃ、何人かで金を出し合って武器を買おうとしてるらしい。」
【返信】「買ってどうする?」
【返信】「わからん。」
【返信】「俺にもわからん。」
【返信】「でも、ただ死を待つよりはマシだ。」
【返信】「死を待つ?俺は三か月待った。もう待ち飽きた。」
若者は画面を見つめる。彼の手は震えている。しかし彼は立ち上がらない。
立ち上がったところで、どこへ行けるのか――わからないからだ。
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【御前グループ本社・祝賀会議】
会議室は冷光に包まれている。
御前龍之介が主席に座る。背後には全国リアルタイムデータが表示されている。死亡率+23%/財政収入+41%/資源集中度+67%。
「諸君。」御前の声は水のように平静だ。「『強制解離プロトコル2.0』施行から一週間、その効果は顕著だ。」
彼が軽く画面をタップすると、データの列が浮かび上がる。
孤独死遺産の自動国庫帰属:国家資源プール +3,200億円
過労死弔慰金の廃止:企業利益 +18%
社会的摩擦による死亡、責任者信用度全没収:遺産競売収入 過去最高
「これこそが真の理性社会だ。」御前は言う。その口調は説明書を読み上げるかのように平淡だ。「資源は常に最も効率的な管理者へと流れる。死ねば死ぬほど、我々は豊かになる。」
場内が拍手する。拍手は正確で、整然としており、余計な感情は一切込められていない。
会後、アシスタントが小声で尋ねる。「総理、飛驒地区のあの『平心湯』からの残存信号ですが……」
御前は手を振る。一瞥すらくれない。
「あのゴミみたいな湯屋か?とっくに消滅させた。残った塵芥は、監視する電力すら無駄だ。」
彼らは次の圧搾政策の議論を続ける。
完全に知らずにいる――システムの絶対的死角で、ひとつの灯りが、かすかだが頑固に、灯り続けていることを。
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【東京・複数の拠点・生き延びようとする人々】
同じ時刻、街の様々な陰影に――
池袋・廃墟の建設現場:二十数人がたき火を囲む。誰も口を利かない。何を言うべきか、誰もわからない。誰かが冷えた飯の袋を持ってきて、黙って真ん中に置く。腹を空かせた者が自分で取る。取り終えたら、また黙る。
上野・公園の奥:十数人のホームレスが、段ボールで仮の雨避けを作っている。中年の女が、唯一の毛布を、熱を出している老人に掛けてやる。老人は礼を言わない。女は礼を待たない。ただ――そうしているだけだ。
足立・廃工場:四十数人、ほとんどが男だ。壁際には十数本の鉄パイプ、錆びた刀が何本か、手製の火炎瓶が数本、積んである。
誰も、これらのものがどこから来たのか尋ねない。
答えを知りたくないからだ。
坊主頭の男が立ち上がり、低い声で言う。
「誰かが、こいつらを俺たちに残していった。誰だかわからん。なぜだかもわからん。」
彼は一呼吸置く。
「だが……もし本当に使う時が来たら、少なくとも、俺たちにはある。」
誰も応えない。
沈黙が、どんな言葉よりも雄弁だ。
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この群れの片隅に、ひとりの男がずっと座っている。
彼の名は福田。五十二歳。元建設作業員。失業四年。妻は病死。娘は――システムに「最適化」された。「扶養コストが社会的貢献を上回る」という理由で。
彼は、ここに一番早く来た人間だ。
毎日同じ場所に座り、炎を見つめ、何も言わない。
ある日まで、物資が現れた――食料、毛布、数台の古いスマホ。
誰かが尋ねた。「誰がくれたんだ?」
福田は立ち上がった。
彼は「私だ」とは言わなかった。ただ立ち上がり、物資の傍らに行き、分配し始めた。
その日から、彼はこの溜まり場の「あの男」になった。
リーダーなんていない。誰もリーダーじゃない。ただ――誰かが立たなければならない時、彼が立っただけだ。
そして福田は知っている。背後で誰かが手を回していることを。
その人物は、スマホの画面にだけ現れる。声は変声され、姿はなく、コードネームだけがある:「管理者」。
「お前はお前のことをやれ。」その人物は言う。「物資、武器、情報――俺が与える。お前がやることはただひとつ:前に出ることだ。」
福田は尋ねる。「お前は誰だ?」
画面が二秒沈黙し、それから:
「『人間は減れば減るほど、資源は増える』と信じる者だ。」
福田はそれ以上尋ねなかった。
答えは重要じゃないからだ。大事なのは――与えてくれる誰かがいる、ということだ。
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【暗流・影山と福田・二日前】
御前グループ・地下書類庫。
影山隼人が画面の前に座っている。回線は暗号化されたチャンネルに接続されている。相手は福田だ。
「今後は直接、私と連絡を取れ。」影山の声は多重変声処理され、低く、理性的で、温度を感じさせない。
福田:「なぜ俺たちを助ける?」
影山:「お前たちが反乱を起こせば、勝てば私が利を得る。負ければ、過剰人口の削減に貢献する。」
福田は黙る。
影山:「冷酷だと思うか?」
福田:「……真実を言う方が、むしろいい。」
影山:「覚えておけ――お前はお前のことをやれ。私は支援する。私の存在を知る者は誰もいない。お前の仲間たちも含めてだ。」
福田:「わかった。」
影山は回線を切った。
オフィスには、モニターの淡い光が彼の顔を照らしている。彼は虚空を見つめ、小声で独り言つ。
「人間は減れば減るほど、資源は増える。戦争こそ、最も効率的な人口最適化計画だ。」
彼は暗号化フォルダを開く――コードネーム【FL-07】――中には平心湯亜空間のエネルギー曲線が表示されている。
7.9%
彼は三秒間、それを見つめた。
それからモニターを消し、立ち上がり、歩き出す。
誰も彼が何を考えているのか知らない。
彼自身にも、はっきりとはわからない。
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【廃工場・夜】
夜が更ける。
炎が四十数人の顔を照らす。虚ろだ。無感動だ。疲れ果てている。
福田が立ち上がる。
彼は熱弁を振るわない。拳を突き上げもしない。ただ普段通りの口調で、言う。
「みんながどう思うかは知らねえ。でも俺は――もう、ただ死を待つのはごめんだ。」
彼は一呼吸置き、一人ひとりの顔を見渡す。
「もし誰か、一緒に何かやりたいと思う奴がいたら、明日の同じ時間に、同じ場所で。」
彼は座る。
誰も歓声を上げない。誰も拍手しない。
しかし次の夜、集まった者は――倍になっていた。
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【平心湯・亜空間・夕暮れ】
灯りは暖かく、かすかだ。ちゃぶ台の上には四つの湯飲み。
阿楽は窓辺に座り、手に彫刻刀、桜の木に向き合っている。琪琪はその隣に座り、膝の上にタブレットを置いているが、視線は阿楽の横顔に落ちている。
加美は台所で「錬金術」に勤しむ。レーザー温度計が、溶けかけのチョコレートを正確に捉える。62.3℃……62.5℃……よし。
彼女はチョコレート液を型に流し込み、そっと数回叩き、そして――冷蔵庫に入れた。
「二時間冷やして、今夜には食べられるわよ。」
阿楽は振り向かない。「また作ったの?先週のまだ残ってるよ。」
加美は真面目な顔で言う。「あれは『天神様専用・第一世代』。これは『天神様専用・第二世代・減糖+海塩バージョン』。違うの。」
琪琪がそっと笑った。
とても小さな笑い声だ。しかし阿楽は聞き逃さない。彼は振り向かないが、その口元がわずかに緩む。
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【想い・四人の優しさ】
阿楽が窓の外を見ながら、ぽつりと言う。
「……山田さん、今頃どうしてるかな。」
琪琪は彼を見つめる。
阿楽は彫り続けるが、手の動きが遅くなる。「彼が去る前に、わざわざ何個もおにぎりを作って置いて行ってくれたんだ。昨日、戸棚を開けたら、最後の二個が見えて……食べられなくて。」
加美が台所から出てきて、淹れたてのお茶を運ぶ。一番大きな湯飲みを天神の前に置き、それから阿楽の隣に腰を下ろす。
「昨日チョコレートを作りながらね、山田さんが大根を切る音を思い出したの。『トン、トン、トン』――すごく規則的で、まるで心臓の鼓動みたいだった。」
琪琪が小声で言う。「中村さんは?いつも仏壇を拭いてて、拭き終わると、私に微笑んでくれた。」
阿楽:「小林さんもそうだよ。フロントのあの灯りは、いつだって一番早くついた。あの灯りがついてると、今日は誰かが俺に笑いかけてくれるような気がしたんだ。」
四人はしばし黙り込む。
それから天神が口を開く。声はとても小さいが、どの言葉もはっきりとしている。
「あの人たちは、まだいるよ。」
阿楽は振り向く。「どこにいるんですか?」
天神は直接答えず、ただ窓の外を見つめる。
「人は去っても、心は廃業しない。——君たちはいつも、あの人たちを想っているだろう?」
加美が小さな声で言う。「想ってるけど……元気でやってるか、わからなくて……」
天神:「想うこと。それで、もう十分なんだよ。」
彼は三人を見つめる。その口調は温かい湯のように柔らかい。
「想うということは、あの人たちがまだ君たちの心の中で生きているってことだ。そして心の中に彼らがいる限り、いつか必ず――また会える。」
阿楽はうつむき、彫刻を続ける。
琪琪はそっと、自分の手を阿楽の手の甲に重ねる。
阿楽は彼女を見ない。しかし彫刻の手を止め、彼女の手を握り返す。
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【日常・存在】
夜。
加美が冷蔵庫を開け、あのチョコレートを取り出す。ひんやりと冷たく、表面は滑らかだ。彼女は四つに切り分け、一番大きなものを天神の前に置く。
「天神様、どうぞ。」
天神が一口かじる。「うん、美味い。冷たいと、また格別だな。」
加美は内心で無声の悲鳴を上げるが、表向きはただ黙って腰を下ろす――阿楽と琪琪の隣に。
阿楽が琪琪にお茶を差し出す。「熱いぞ、気をつけて。」
琪琪は受け取る。「うん。」
ただそれだけだ。
甘ったるい呼び名も、甘い台詞もない。
ただ茶を差し出し、受け取り、飲む。
窓の外に風はないが、風鈴がかすかに揺れて、ちりん、と鳴った。
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【終幕・亜空間・深夜】
油灯がかすかに灯る。ちゃぶ台の上の茶は冷めている。
四人が囲む。
琪琪は阿楽の肩にもたれかかっている――充電モードだが、彼女は眠っていない。ただ静かに彼の体温を感じている。
加美は天神の隣に座っている――距離は三十センチもない。膝の上にはあのチョコレートの箱。いつでも献上できるように。
天神は猫バスの抱き枕を抱え、スマホを膝に置き、画面はアニメの最終場面で止まっている。
窓の外に風はないが、風鈴がかすかに揺れて、ちりん、と鳴った。
阿楽はうつむき、自分の肩にもたれる琪琪を見る。
彼女は目を閉じている。まつげがかすかに震えている。
彼女が眠っていないことを、彼は知っている。
なぜだかわからないが、彼はふと、そっと呼びかけた。
「琪琪。」
彼女は目を開け、顔を上げて彼を見る。
二人の距離は、とても近い。
阿楽は何も言わない。琪琪も何も言わない。
ただ――そうして見つめ合っている。
それから阿楽は身をかがめ、そっと琪琪の唇にキスをした。
とても軽く。とても短く。何かを驚かせてしまうのを怖がるように。
琪琪の手が、そっと彼の服の端を掴む。
加美は目を見開き、手にしていたチョコレートを一つ、落とすことさえ気づかない。
そして天神は――
天神の口元が、かすかに、ほんの少し、綻んだ。
彼は声を出さない。ただ猫バスの抱き枕を少しだけ強く抱きしめ、スマホの画面を消した。
部屋の中には、油灯の光だけが残る。そして四人の呼吸の音。
天神は窓の外の、永遠に続く暗がりを見つめ、小声で言った。
「ここが、家だ。」
誰も答えない。
しかし、一人ひとりの動作が、半秒だけ止まった。
琪琪がそっと阿楽の手を握る。
窓の外で、愛情指数がかすかに跳ねる。
8.0% → 10.0%
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【最後・ナレーション】
「恐竜は、自分が狩りをしていると思っている。
草食動物は、自分が隠れていると思っている。
しかし、より深い闇の中で、
何かが、もう、動き始めている——
復讐のためではない。
ただ、生き延びるために。
そして、世界から忘れられた片隅で、
四人が、小さなちゃぶ台を囲んでいる。
誰かが、誰かにキスをした。
誰かが、チョコレートを落とした。
誰かが、こっそり微笑んだ。
誰かが言った。ここが、家だと。
誰も歓声を上げない。
誰も拍手しない。
だが愛情指数は知っている。
何かが、
静かに、変わり始めていることを。」
(第57話・終わり)
これまで応援してくださった皆さま、本当にありがとうございます。
絶対理性の世界に、少し冷たさを感じたでしょうか。
第57話の更新を楽しんでいただければ幸いです。
皆さまの読書とご支援が、私にとって最大の励みです。
これからもよろしくお願いいたします。




