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EARTH Online  作者: 甘太郎
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第53話:《神のボタン》

場所:窮倉グループ日本支部・地下最深機密施設「揺りかご」・中枢祭壇


ここは地下九百メートルに潜み、外縁を三重に層を成した、交互給電式のフェライトケージが囲む。あらゆる形態の通信と探査を絶対的に遮断する。空気の組成、温度、湿度は最も効率的な数値に固定され、唯一感知できる動的要素は、設備駆動の、人間の聴覚限界を超えるかすかな恒常的な低唸り——これは絶対的な制御の音である。


三角の祭壇の三つの頂点に、三つの「神器」が浮遊する。


· 石原さんの指輪(守護の約束)

· ピーター・チャンのブレスレット(隔たりを越えた友情)

· アーサーのペンダント(純粋な信念)


それらが放つ微光は、この絶対的に隔離された空間において、最後の「異物」である。


祭壇中央、黒水晶球「虚無核心」が静かに回転し、全ての光線を飲み込む。球体内部、嬰児の魂の輪郭——御前托也——は夢のない永夜に眠るように佇む。


御前龍之介は祭壇前に立ち、手にしたタブレットの冷たい光は、彼の眼底の深淵を照らし出さない。画面の中、二つの監禁ユニットの映像は、周囲で躍動するエネルギー数値と何ら変わるところがない。


---


【監禁ユニットA-02:阿楽の血書と崩壊】


ドン! ドン! ドン!


拳が強化ガラスの壁を打つ音は、怒りから、恐慌へ、そして最終的には純粋に物理的な反復運動へと堕していく。指関節の皮膚が裂け、血がゆっくりとガラスを覆い、向こう側の琪琪の苦悶の表情を歪め、滲ませる。


絶望は実体である。鉄錆の味を伴って喉元へと押し寄せる。阿楽はガラスに背を預け、座り込む。震える人差し指をまだ温かい血に浸し、冷たい面へと向ける。


「天」——(天神様、答えてください…)——血はすぐに冷たくなり、粘り気を帯びる。

「神」——(なぜ手を貸さないのですか?)——指先がガラスを擦る「サラサラ」という音が、彼の頭の中で氷河が裂ける轟音へと増幅される。

「信」…… 「念」……


最後に、彼は全身の力を振り絞り、血の流れ止まぬ掌を、「天神」と「信念」の間に強く押し当てる。

ズブッ。不規則で、縁が滲んだ鮮紅色のハート形。これは図形ではない。彼の最後の温もりと祈りを搾り取った、無音の爆発である。


ガラスの壁から、微かだが確かな低周波の振動が伝わってくる——隣室で琪琪のエネルギーが強制抽出される際に生じる、構造の共鳴である。


---


【御前の嘲笑:今此処に在る神】


御前はタブレット越しにこの光景を見つめ、通話を開始する。その声には、猫が鼠を弄ぶような、残酷な愉悦が込められている。


「書き終わったか?『天神』、『信念』……実に感動的な落書きだ。」


「だが、よく見よ。ガラスの向こうで苦しんでいるのは誰か? 顔を上げて見よ。今、此処の一切を主宰しているのは誰か?」


「お前が血を一滴垂らす度、祈る度、お前の『神』は何処にいる?」


彼は一呼吸置き、沈黙に阿楽の荒い息遣いを呑み込ませてから、一言一言、宣告するように言う。


「現実を認めよ、阿楽氏。お前の面前に立ち、お前の生死を支配できるのは、この私だ。」


「この刻になっても尚、顔を上げようとしないこと……それこそがお前の最も哀れな信仰というものではないか?」


阿楽の身体は激しく震え、その肉の裂けた手を、自らが描いた、冷たく暗くなりゆく血のハートの跡に、更に強く押し当てる。


---


【監禁ユニットA-01:琪琪の瓦解】


琪琪の「苦痛」は二重である。表層はナノマシン体の過負荷による高周波の悲鳴。深層では、彼女の底層意識を構成する「存在コード」が、触手によって逆向きに解析され、剥離されつつある。


「阿楽……ごめんなさい……私……『忘れ』つつあります……あなたを助ける方法を……」


端末画面では、データストリームが狂ったように錯乱する。ただ一つの指令だけが必死に点滅し続けるが、その色合いは少しずつ灰白色へと変わりゆく。

【最優先指令:阿楽を守護せよ】

【指令自体が……システムウイルスとして識別されつつあります……】


読み取り不能な深層コードの奥底で、ある最も原始的な論理回路が、非中核コードの自己削除を代償として、この指令の周囲に最後の防火壁を構築している。


---


【御前の評価:聖骸と原点】


御前は「虚無核心」の中、眉をひそめる息子の魂を見つめる。彼の表情は、研究者が決定的な実験体を観察する時の全神経を集中させたものだ。


「感じ取れているか、托也。これが旧世界の『雑音』だ。」


水晶球の中、嬰児の魂が突然目を見開く。静かに彼を見つめ、そして、純真な微笑みを咲かせる。


御前の眼中に狂気めいた清明さと満足感が走る。それは父性愛による感動ではない、最も稀有な素材が理想の形態を呈したことを認める、芸術家の確認である。


「良い。お前は苦痛を理解する必要はない。ただ……絶対的な参照点となればよい。」

「旧世界の全ては、お前によって静寂に帰する。」

「そしてお前は、新紀元唯一の座標原点となるのだ。」


彼は振り返り、もう見ようとしない。見てはならないのだ。

背骨の中央、脊柱に沿って、その微笑みの残り火が、見えない、微細な戦慄を焼き付けたかのようだ。


---


【第一のボタン:深淵の呼吸と神の裁決】


御前龍之介の視線は最終制御画面を掃き、最初の赤いボタンに留まる。躊躇いはない。沈着にそれを押し下げる。


【第一のボタン:「揺りかご」基礎防御・エネルギー抽出プログラム起動】

無形で邪悪な規則の波動が、「揺りかご」を中心に、密やかに拡散する。これは攻撃ではない。あたかも深淵が「呼吸」のために器官を開き、世界のエネルギーと情感を貪欲に吸い込み始めたかのようだ。


この波動が地表境界に触れたほぼ同時——

夜空に、六枚の星光の巨翼が轟然と展開する!加美が天際に浮かび、彼女の感知は地下より発せられる、純粋で冷徹、万物の存在そのものに向けられた悪意を捉えている。瞳に怒りはなく、目標を捕捉した後、宇宙の法則の如く冷たい執行意志のみが宿る。

彼女は一瞬の躊躇もなく、六翼に星光が流転、集約し、純粋な「裁決」の概念そのものへと変じ、その悪意の根源——「揺りかご」の中枢——へと真っ直ぐに突き刺さる!


「何者だ?!」地下、御前は監視画面に初めて些細な驚愕を浮かべる。

しかし、その驚きは瞬時に冷徹な計算へと変わる。彼が起動したばかりのシステムが、自動的に反応したからだ——


加美の星光裁決が「揺りかご」外縁の無形の力場に接触した瞬間、爆発も衝撃波もない。あたかも一篇の真理が、徹底的な「忘却の川」に投げ込まれるかのように。星光は解析され、分解され、そして「理解可能なエネルギー現象」として記録される。


続いて、その無形の力場が活性化する。加美の攻撃軌跡に沿って、逆流し、粘稠で暗黒、世界のあらゆる「否定」の意志を集約したようなエネルギーの奔流を噴き上げる!


「……?!」加美の瞳孔が収縮する。接続を切ろうとするが、暗黒エネルギーは既に彼女の星光の翼に絡みついている。


それは腐食でも凍結でもない。「忘却」である。

翼の星光は、暗黒に触れた瞬間、消滅するのではなく、あたかも「自らが如何に輝くべきか、何故輝くべきかを忘れてしまった」かのようだ。煌めいていた星光は速やかに褪せ、剥落し、その下にある虚無の底色を露わにし、光を喰らう醜い黒い裂け目を幾重にも走らせる。


加美は極度に抑制した呻き声を漏らす。それは肉体的な苦痛ではなく、彼女の存在基盤を成すある種の規則が、暴力的に触れられ、汚染されることに起因する、魂の深淵から来る震えと吐き気である。


「加美、退け。」


天神の声が響く。いつの間にか、彼は加美の前方に現れ、その姿はあたかも空間そのものに嵌め込まれたように見える。彼は平静に下方の渦巻く暗黒を見据え、指を伸ばし、軽く一突く。


純白で温かく、世の全ての「原初の善意」と「無条件の受容」を含むかのような光の壁が、加美と暗黒の間に悄然と現れる。


暗黒の奔流が光の壁に衝突する。轟音はない。光の壁が暗黒に接触した部分から、無音で「溶解」し始める。砕かれるのではなく、水に濡れた彩色画のように、色彩(温もり、善意、受容といった概念)が洗い流され、剥離し、蒼白で、空無一物の「紙の地」だけが残される。


天神の指先、暗黒と接触したその一点で、皮膚は傷ついていないが、その部分の「存在の事実」が一時的に拭い去られたように感じられる。


天神は自らの規則が飲み込まれるのを見て、顔に何の意外性も浮かべない。むしろ、ある興味深い推測が立証されたかのように。彼はごく軽く笑う。


「一つ、早く。」


彼は指を弾く。如何なる色とも形容できない、世の全ての「原初の善意」を含むかのような光が彼の指先から迸り、一瞬にして天地を浸し、次の瞬間、果てしない暗黒によって完全に覆われ、呑み込まれる。


これを行った後、彼は加美に向き直り、簡潔に二言を発する。

「行くぞ。」


余韻が残らぬ内に、二人の姿はあたかもキャンバス自体によって拭い去られるように、残像も、エネルギーの漣漪もなく、物理的・感知的な次元から完全に消え去り、神の光を喰らった絶対的暗黒だけが散り残される。


---


【御前の妄信:我即無敵】


天神の消失を見て、御前の心の中に残っていた最後の「より高き存在」への畏敬の念も霧散する。前例のない、沸騰に近い妄信が全身を満たす。


「神」ですら、此の程度か! 規則を定義し、一切を掌握できるのは、この私だ!

今後、神仏も、運命もない。あるのは我が御前龍之介の意志のみ!


この極致の自惚れが、彼の次の動作に、天地開闢の如き当然性をもたらす。


「総裁! エネルギー抽出率99%に到達!『万霊薬ネットワーク』エネルギー特性、完全に分離・固化! 三神器、過負荷による逆汚染で内部構造永久損傷、共鳴能力喪失!」助手の興奮した報告が飛ぶ。


御前は冷淡に頷く。「良し。そのエネルギー体(琪琪)の1%の基礎生命循環を維持せよ。繋ぎ止めておけ。さて、あの二人については……」

監視画面の中、絶望する阿楽と機能停止寸前の琪琪を一瞥する。

「『静寂』が完成したら、外へ放り出せ。我が新世界を、その目でよく見させてやるがいい。」


---


【第二のボタン:静寂、平心湯より始まる】


御前は指を二つ目、より大きな黒いボタンへと移す。彼の視線は地層を貫き、あらゆる「雑音」と「温もり」の発生源である座標——東京・蔵前区・平心湯——を精密に捕捉する。


あの厄介な湯屋からだ。旧世界の残り火を、徹底的に冷まそう。


彼はボタンを押し下げる。


「区域静寂、起動。」

「第一段階目標:東京・蔵前区・平心湯。」

「此処を……先ず、徹底的に『静寂』に帰せしめよ。」


指向性を持った、無形の湮滅の波紋が、「揺りかご」を起点に、平心湯の方角へと、音もなく放射されていく。


ボタンが押され、弦は絶たれた。


· 平心湯では、山田は沸騰しなくなった湯鍋を見つめ、竈の縁を指でなぞる。その触感は均質で滑らか、恐ろしいほどだ。中村は柱によりかかるが、かつて感じた建物の微細な「脈動」は消え、数式の如く精確な構造感だけが残り、純粋に幾何学的な眩暈をもたらす。

· 「揺りかご」の鏡室では、御前が絶対的に平滑な鏡の前に立つ。鏡像は非同期に彼の人生の断片を映し出す:托也を抱き上げた時、合併案に署名した時、妻が去って行った背中……どの画面も鮮明無比だが、色彩を抜かれた標本のようだ。彼は過去の激情の一片を捉えようと指を伸ばすが、触れるのは鏡面の恒常的で、一切を拒む冷たさだけである。


「区域静寂」は、

音の消失ではない。

万物の意味の「ミキシング卓」が一方的に独占されることである。


それが触れるもの全て——

感覚は希薄に、色彩は味を失い、記憶は純粋な事実のリストへと風化する。

絶対的理性に統治される「新世界」が、旧世界の亡骸の上に、無色無臭の霜の如く、密やかに蔓延り始める。


然るに、この強制的に静寂化された、均質な「新たな下層」の下で、幾つかの更に深く、古く、本来なら書式化されるべきものの、「非存在」の状態が、統計学上あり得ない微細な揺らぎを発生させている。

あたかも……静寂そのものが、唯一の噪音を孕み始めたかのように。


(第53話了)


第53話、ついに物語は最高潮へと到達しました。

読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。

皆さまの一つひとつの読書が、私にとって最大の励ましです。

ここまで支えてくださったことに、心から感謝いたします。

これからも《Earth Online》を楽しんでいただければ幸いです。


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