『ようこそお越しくださいました』②
「怪異調査って、専門にやる人は六花さん達だけらしいですけど。それ以外に調査に行ってくれる人とかいるんですか?」
ある日、俺は六花さんに尋ねた。
「いるけど、あんまりいないし、ほぼボランティアなんだよ」
六花さんは、いつものように寝っ転がりながら答えた。
「ぼらんてぃあ」
「えーっと、奉仕活動って意味。
あのね、怪異調査の報酬ってね、あんま美味しくないの」
「報酬……」
「そんな顔しないの。世の中先立つものは必要なんだよ。普通はね。
魔術師達は殆ど研究者だから『研究に役立つ物>お金』なところはあるけど、貰えるならお金はほしいし。その上、地雷原に丸腰で突っ込んでいくような、危険極まりない新種怪異の調査とかだーれもやりたがらないの」
「つまり、ハイリスクローリターン、って言い方で合ってます?」
「合ってる合ってる。
まー人々を悩ます悪しきドラゴンを倒してちやほやされて報酬がっぽがっぽ、の方が魅力的なのは誰の目から見ても明らかなんだよね。
後はまあ……僕が怪異案件代表みたいなところあるのも良くない」
「え、六花さんが?」
「うん。つまり『何の魔術も使えない奴でも出来る案件』って思われてしまってるんだよね。実際の危険度はゴブリンだのオークだのの比ではないんだけど」
「なんというか、何て言ったらいいのかわかんないんですけど、なんかムカつきます……」
「はは、いいこだね。その意見で救われるところがあるような気がするよ」
*
「い、いい、いません? いない? もういない?」
「いないいない。大丈夫」
……結論から言えば。俺達は黒いのっぽには見つからなかった。
黒いのはこちらをじーっと顔のない顔で見つめた後、すっと顔の向きを戻してずりずり去って行った。
そして、それが十分に離れたと判断してから。
俺は半ばリーナさんに引きずられるようにして逃げだし、適当な茂みの陰に隠れて今に至る、というわけである。
「なっ、なんなんですかあれ」
「わっかんない……」
寒くもないし暑くもないのに、首筋を流れる汗を拭う手が小刻みに震えている。
情けないな、と思うけれど、俺に比べれば冷静なリーナさんも頬を伝う汗を乱暴に拭っている。
やっぱ、怖いもんは、怖い。
「あれ倒せるかな……」
「マジで言ってます??」
前言撤回。リーナさんはあんま怖がってないし、俺の百倍は勇ましい。
「ーーところでカイ君、武器ってなんか持ってる?」
「武器ですか?」
俺が元いた世界で剣術の修練のために使っていた剣は、〈力〉さんとの手合わせで折れてしまった。数打ちの粗悪品だったけれど、結構長い間使っていた剣だったので、あれから新しい相棒を迎える気にあんまりなれていなかった。
六花さん達の元で怪異調査員見習いをすると決めてから、何かしら代わりの武器は必要だなあと思っていたのだけれど、手に入れる伝手もそのための素材や金もないので、ずるずると先延ばしにしてしまっていたのだ。
こういった事情をリーナさんに伝えると、彼女はふむふむと頷き、
「んじゃこれ使う? 〈太陽〉の数打ちだけど」
どこからともなく一振りの剣を取り出した。
「え、いいんですか?」
「いーのいーの。あたしは使わないし、〈太陽〉も処遇に困ってたから。カイ君さえ良かったら使ってあげて。お代は……払いたいなら〈太陽〉にね。いらないって言いそうだけど……」
「あ、ありがとうございます……」
改めて、渡された剣をじっくりと眺める。
装飾は少なく、シンプルな拵え。柄の鈍い金と、持ち手に巻かれた青い革のコントラストが美しい。
鞘から僅かに引き抜いて刀身を確認して、
「ひえっ」
思わず変な声が出た。
ちらと見ただけでわかる。
よどんだ夕日を反射する光はどこまでも白く、陰になる部分は深い銀色をしている。
中心にすっと引かれた溝は、よく見れば細かな唐草文様が絡み合って出来ている。僅かに文様が輝いているのは、俺の魔力を吸って何かしらの付与魔術を発動させているのだろう。しかも全自動で。
数打ちなんてとんでもない。物凄まじい業物である。
「こ、これ、何で作ったらこんなやばやばな刀身になるんですか……?」
「えーなんだっけ。今回は鉄とー、アルミとー、ミスリルの余ったやつとー、あと水晶? 砕いて入れたとかなんとか。他にも色々」
「怖すぎ」
「あはは、あの子センスと勘でわけわかんない合金作るからなあ」
恐る恐るまた鞘にきちんと収め、〈太陽〉さんほんとにありがとうございます、と心中で唱えてから腰に吊る。
「ちなみに、〈太陽〉にオーダーメイド依頼したいなら最低でも五年待ちだからね」
「そんなの頼む度胸無いです……」
*
何だか据わりが悪くて剣の位置をちょっと整えていると、ズボンのポケットに適当に突っ込んだままだったスマホがぶるぶると振動した。
慌てて取り出すと、画面には六花さんの名前が表示されている。
「えっと、これえっと、横に? しゅっと?」
「そう。横にスライド。しゅっと。そうそう」
『もしもし? 無事かい?』
なんとかかんとか通話を繋げると、スマホからまだちょっとへたっているけど先程よりは元気な六花さんの声が聞こえてきた。
「は、はい。何とか。六花さんは大丈夫ですか?」
『うん。お水いっぱい飲んだからね。裕也も戻ってきたし』
さらっと惚気が挟まったような気がするけれど、これくらいで狼狽えていては六花さんと会話は出来ない。
……っていうか、それより。
「ここ明らか怪異の影響下にある場所ですし、そもそもどこにあるかも定かじゃない〈生命の樹〉とこことでどうして電話が繋がるんですか?」
『僕のスマホも、そして多分君のスマホも翼がちょっと手を加えているからね。基本いつでも何処でも通話は出来るよ』
「正確には、道具いじり系が得意なのが〈運命の輪〉でー、付与魔術が得意なのが〈太陽〉でー、機械いじりが得意なのが翼ね。『どこでも通話が出来るやつ』はこの三人の合作」
横からスマホの画面を覗き込みながら、リーナさんが補足した。
成程、いつでも何処でも仲間と連絡が取れるのは、確かに便利だ。
……ただ、それにずっと甘えっぱなしではいざというときに困る気もするし、良し悪しだけれど。
『それで、そっちの様子はどう? わかる範囲でこっちに情報共有してほしいな』
「様子って、えっとーー」
そう言われて、意味もなく周囲を見渡してしまう。
空、地面、時刻の異常、例の黒いの等々。伝えないといけないことは結構ある気がする。
「ええっと、どれ、何を、うーんと」
『はいはい落ち着いて。ーーそうだな。まず、空はどうだい?』
「空は……」
言われて、馬鹿正直に空を見上げる。
茜と黒が嫌な感じに混ざった空は、やっぱり不気味だ。
「夕焼けの色と、雨雲みたいな真っ黒な雲の破片が混ざって、何だか気味が悪い色をしています」
『ふむふむ。ちなみに君を送り出したのは昼の二時くらいなのだけれど。ここと時間の流れが違うのか、時間の進み方がおかしいのか、夕方で固定されているのか。
太陽はどうかな?』
文脈的にアルカナの〈太陽〉さんのことではあるまい。普通の意味での太陽だろうと空を見上げてその場でぐるぐる回ってみる。
「……見えませんね。山の向こうかもしれません」
『山があるのか。囲まれている感じかな?』
「はい。真っ黒な山に囲まれていて、地平線は見えません。真っ黒い山も、お化けちゃんみたいで怖いです」
「お化けちゃんて」
『ふーむむ……ちなみに君たち、「ようこそ(略)」は山間部の村の形をした怪異の筈なのだけれど、村のどの辺りにいるのかな? 目立つ建造物はあるかな?』
「あ、それについてなんだけどさ、カイ君、ちょっと戻ってもらってもいい?」
「? はい」
今は、黒いのから隠れるために滑り込んだ茂みからでて、獣道がちょっと進化したくらいの狭い土の道の上に立っていたのだけれど、リーナさんに促されて、転移してきたところまで戻る。
そういえば、『鍵』を使って移動したとき、指定した転移先に一番近い場所にある扉から出てくることになっている筈だ。しかし今回はそれらしい扉を見ていないな……とてこてこ道をちょっと戻ると。
「……ゲートですね」
『ゲート?』
「あ、えっと……扉が無い門って、ゲートって呼ぶんですかね? それとも門?」
『あー成程。伝わった伝わった。とりあえず今回はゲートってことで』
「はい。ーーそれでえっと。真っ直ぐ立った二本の丸太が、横向きの一本の丸太を支えているような、簡素な作りのゲートです。
横向きの丸太には看板が掛けられていて、『ようこそXX村へ!』って書いてあります。村の名前は、泥汚れみたいな染みで潰れていて読めません」
『ふむふむ。それでそのゲートがどうかしたのかな?』
「あのね、あたし達このゲートから出てきたっぽい」
『……はあ?』
「あの、扉がない門に転移してくることって今まで無かったんですか?」
「『無いよ』」
隣と電話越しに同時に否定され、思わず肩をすくめて簡素なゲートを見上げる。
高さは、指標となるものがないのでわかりにくいけれど、最低でも四メートル。幅は二メートルくらい。
丸太を三本組み合わせただけなのに、明確にこちらとあちらを区切っている境界を成している。
……でも、誰がどう見ても『扉』ではない。
「村なら、家があるよね。家の扉じゃ駄目だったのかな?」
「近くに黒いのがいたから転移先に選ばれなかったとかですか?」
『この魔術はそこまで斟酌しちゃくれないと思うけど……』
三人してうーんと唸るけれど、結論は出なかった。
とりあえず、まずは情報を集めるところからだろう、と総員の意見が一致したので、黒いのに警戒しつつ、村の奥へと進むことにした。
*
移動中、先程遭遇した『黒いの』について六花さんに軽く説明した。六花さんの知る限り、似たようなお化けちゃんは見たことがないらしい。
その間、周囲には建物らしい建物、街灯らしい灯りの類、その他生活に必要そうな設備は一切見当たらなかった。
黒いのを警戒しながらではあったものの、最低でも五分は歩いて、ようやく村の中心部と思しき広場に出た。
……正確には、出る前に立ち止まり、一番手前の家の陰に隠れた。何故ならーー
「……いっぱいいますね」
「いっぱいいるねえ」
『いっぱいいるのか。何体くらい?』
「七……八体くらい」
『わあ』
広場の中央には井戸があり、それを囲むように質素な作りの家々が立ち並んでいる。
そして、家の間を行き交うように、あるいは井戸端で話し合うように、あるいはぼんやりと空を眺めるように、黒いのっぽのおばけちゃんがはびこっていた。
幸いにしてどれもこちらの様子には気付いていないようだ。手近な家に隠れるのも視野に入れるべきか……と付近の黒いのの『視線』がこちらを向いていない時を見計らって、隠れていた家の扉に手を掛けるとーー
「あ、これ開かない!」
「ええっ!?」
押したり引いたりスライドしたりしようとしてみても、扉はびくともしない。鍵がかかっている時のようにがたがたと動く様子すらないし、そもそも扉が簡素過ぎて、鍵がかけられるようには見えない。
場所を交代して、リーナさんも押したり引いたり殴ったり蹴ったりしているのだけれど、やっぱり開かない。
「ーー駄目だこれ。開くように作られてないや。『扉の形をした壁』みたいなもんだ」
「張りぼてじゃないですか……」
だから転移してくるとき、ここには飛ばなかったのか。扉として使えないから。
『……大騒ぎしてるけど、黒いのは大丈夫?』
六花さんの言葉にはっとして周囲を見渡すけれど、一番近くにいる、ぼーっと突っ立っている黒いのは微動だにしていなかった。
「大丈夫……そうです。耳、無いんですかね」
『そう、かもね。
……黒いのについて、もうちょっと詳しく教えてほしい。さっき言ってた「白いぐるぐる」ってどんな感じ? 渦巻きみたいな感じ?』
「渦、というよりは歪な年輪ですかね。子供が描いたみたいな、線のよれた白い楕円が二つ三つ重なってるように見えます。大きさは……十センチくらいです」
『それは顔だけにあるの?』
「いいえ。全員顔にはありますけど、それ以外に一カ所か二カ所、白いぐるぐるがあります。一番近場にいる奴は……腰の辺りですかね。四肢があるかどうかすら曖昧なので、断言は出来ないんですけど」
『うむむ……』
俺が情報を伝える度、電話の向こうからカタカタいう音が聞こえてくる。多分、通話しながらパソコンに情報を記録しているのだろう。
『じゃあ、家はどう? おかしなところ、ある?』
「おかしなところっていうか……」
言いながら、眼前の建物をちらりと見上げる。
さっきは裏手に隠れていたので見えていなかったものが、今はありありと見えていた。
「……おかしなところが全面主張しています」
『なんて??』
書き割りじみた、簡素な家に似つかわしくない、色鮮やかな花飾りが家を彩っていた。
それはこの家だけではない。他の家も、紙で作った花や、つやつやのリボンで浮かれた感じに装飾されている。
家と家の間には横断幕や幟が掛けられ、それぞれ「ようこそ!」だとか「歓迎!」だとか書かれていた。
風雨にさらされているはずのそれらは、まるでさっき飾られたばかりのようなぴかぴかの新品だった。
ひょっとして俺達が来たから飾りが増えたんじゃ……と戦々恐々としていたのだけれど、どうやら違うらしい。
というのも。先程目の前で黄色い花飾りがぽろりと地面に落ちたのだけれど、その花飾りは地面に衝突する前に跡形もなくかき消え、花飾りがあった場所は、即座に壁から真っ赤な花飾りが生えてきて空白を埋めた。
切った髪が伸びるような、傷ついた皮膚が治るような、体組織の再生じみた、「この状態を維持しなくては」という強迫観念に似た執念すら感じるような、「回復」。
先程とは違う恐怖で背筋が寒くなる……隣で、リーナさんが無意味にリボン飾りをむしって「うわ、無限に出てくる」と暢気にコメントした。
「ーーという感じです。これ、何の意味があるんですかね。あるいは何の意味も無いんでしょうか……」
『なんだーそりゃ。
……まあともかく。意味、意味か』
*
『怪異に現れる、理解不能な現象について。「全く何の意味も無い」こともままあることは念頭に置いておいて、それ以外の存在理由はざっくり二つに大別出来る。
一つは、怪異のベースになった事象がそのような特徴を持っている場合。
もう一つが、「そうしなければならない事情がある」場合』
今回に限らず、自分の専門分野について語るときの六花さんはとても生き生きしている。
さっきのぐったりした様子が大分吹き飛んでいることに内心安堵しつつ、「講義」に耳を傾けた。
『そもそも怪異というのは、一部例外を除き無からは生まれない。元となる物品、場所、生物などが何らかの外的要因ーーこれがなんなのかはまだ調査中ーーによって変異し、怪異となるケースが多い。故に、ベースとなったものの特徴にある程度縛られるんだ。
そうだな、君がこの間遭遇した「音無トンネル」について考えてみよう』
バックアップとして控えていただけの俺が「遭遇した」と言って良いのかはわからないけれど、そこにこだわってても今はしょうがないので、黙って頷く。頷いてから、向こうはこちらの様子が見えないことを思い出して、慌てて「はい」と相槌を打った。
『「音無トンネル」は、「トンネルのある場所に現れる」、「音を出したものを殺す怪異」だった。
「トンネルのある場所に現れる」のはこの怪異のベースが「トンネルの怪談」にあるから、「音を出したものを殺す」のは、中にあったお地蔵様が「雑に扱われたうえに騒音を浴びせかけられることに耐えかねた」からではないかと推測されていたね。
「音無トンネル」の怪現象のうち、前者が「特徴」、後者が「事情」だと分類することが出来る。
……まあ大分無理くりな分類だし、この分類に当てはめにくい怪異もいっぱいあるんだけどね。
さて、では本題ーーこの「ようこそお越しくださいました」という怪異について考えてみよう』
この怪異の、理解不能な事象。
一つは、黒いのっぽの何か。
一つは、飾り付けられた家々。
そして最後に。俺達の前に調査に赴いた、〈生命の樹〉の人達ーー亡くなったと目されているけれどーーの失踪。
最後の件については黒いのの仕業かもしれないけれど、まだそう決めつけることは出来ない。その現場も、それらしい証拠も、何より死体を見ていないからだ。正直望み薄ではあるけれど、まだどこかで生きているかもしれない。
今のところ俺達にわかる、怪奇現象らしい怪奇現象はそれくらいだろうか。
俺の考えをほぼそのまま六花さんに伝えると、彼女は電話越しに『うんうん』と(多分)頷き、
『そうだね。ビビり倒しつつも思考を止めない辺り、大分成長したようだ。僕も嬉しい』
「びびびビビってませんががが」
『語るに落ちているけれど大丈夫?
さておき。ではこれらの怪奇現象、「特徴」も「事情」もまだ推測するには材料が足りないから、もっとざっくりと考えていこう。
即ち、これらの現象に意味はあるのか? 無いのか?』
「意味……」
俺は先程、家の装飾を指して「これに意味があるのか?」と考えた。黒いのがこの怪異の本質であり、この派手な飾りはそれを誤魔化すためのカモフラージュではないかと。
……でも。そうだとすると、どうにも……違和感がある。
「……答える前に、訊かせてください」
『何かな』
「怪異が起こす・起こしてしまう現象のうち、『何の意味も無い』事象が大半を占めることってありますか?」
『あくまで僕の経験によるという前置きはつくけれど、殆ど無いね。
「怪異の本質・本当の狙いを隠すためのデコイ・カモフラージュ」という意味を持つこともあるけれど、そう捉えたとしてもそういう「ミスリード」が大量にばらまかれることは無いかな。よっぽど悪戯好きの怪異ってケースも無くは無いけどね』
「それじゃあ、どうして『意味の無い現象』はそんなに少ないんですか?」
『……これは僕の仮説……というかただの妄想と推測に過ぎない。それを理解した上で、聞いてほしい』
「はい」
『適者生存、という言葉がある。自然に生きる生き物のうち、生き延びるために必要な機能を揃えたものは繁栄し、そうでないものは滅びる。言い換えると、生き延びるための機能は発達し、不要な機能は退化する。
怪異の起こす現象も同じだと僕は考えている。
例えば、恐ろしげなクリーチャーの姿で追いかけるより、か弱い子供の姿で誘って油断したところをガブリ、の方がより効率的に人間を殺せる、と怪異が判断したとき。その怪異の中からクリーチャーが消え、代わりに子供が現れる。このとき、クリーチャーと子供の両方を使う、という結論に至らない怪異が多い。なんでなのかはまあ怪異に訊かないとわからないだろうけれど、僕はリソースが足りないからではないかと思う。
書き物をしながら料理をするのが難しいように、怪異が怪奇現象を起こすのに必要なリソースは結構多くて、それを同時に複数には割けないんじゃないかなあ、と考えている。
わかりやすく言うと。「無駄な怪奇現象に割くリソースは無い」ってことだよ。
……重ねて言うけれどこれは僕の根拠のない妄想だし、「じゃあそのリソースってなんやねん」って突っ込まれたら黙るしかないんだけど……』
「リソース……」
俺は六花さんの言葉を鸚鵡返ししつつ、今まで見たものを思い返した。
無駄な怪奇現象は、殆ど起きない。
あの飾りも黒いのも、何か意味がある。
魔術師の失踪は「結果」であり、怪異の成り立ちに直接は関わっていない……気がする。
そうだとすると。この二つの事象の意味は。
『ーーそれじゃ、そろそろ結論は出たかな?』
「……六花さんの考えと一致しているかはわからないですけど、一応。
まず大前提として。『黒いの』と『飾り』は、別々の怪異ではないと思います」
『ふむ』
飲み物でも飲んでいるのか、一瞬の沈黙が挟まり、続いて『根拠は?』と冷静な問いが投げかけられる。
「正直勘というか感覚の領域になるんですけど……もしこの二つが別々の怪異だったら、もっと相互に影響し合っていると思うんです。例えば、黒いのが飾りを剥がそうと試みたりしていても可笑しくない。でも、その様子はなくて、あまりにも自然に共存している。
……尤も、黒いのが飾りを認識していない可能性、剥がすのは不可能だと判断して放置している可能性もあるんですけど……黒いのがどれほどの知性を持つかまだわかっていないし……」
『成程。
ちなみに補足しておくと、二つ以上の怪異が狭い範囲に共存するケースは極めて稀で、大抵の場合「先住」が「新参」を追い出そうとする。逆も又然り。……怪異ってのは、思ったよりも生物的な側面が強いのかもしれないね』
「補足ありがとうございます。
それで、この怪異の二種類の怪奇現象は」
ここで一度言葉を句切り、自分の考えをもう一度推敲する。
考え直しても、違う答えは出てこなかった。
複数の可能性について同時に検討する、みたいな芸当はまだ出来そうにない。
そこまで視野を広げられないし、知識も経験も全然足りない。
六花さんの真似事が出来るようになる日は当分来ないだろうなあ、と自嘲して、言葉を続ける。
「ーー村を飾り付ける事の方が主題で、黒いのはあくまで副産物だと思います。
百歩譲って二つとも主題、という可能性があったとしても、黒いのだけが主題という可能性は低い」
『続けて』
「俺は最初、飾りは人をおびき寄せるための餌、甘い蜜であり、この怪異の本当の目的は黒いのが人を殺すことだと思っていました。
でも、それだとおかしいんです。
さっき六花さんが、『子供の姿で油断させて、隙を突いて襲いかかる』みたいな話を挙げてくれたときに思ったんですけど、もし俺の当初の考え通りの怪異なら。黒いのはこんなに堂々と歩いていちゃいけないと思います。もっと人っぽい姿を取って油断させてから襲った方が楽だし早い。
そうしない理由や、そうできない事情があるのかどうかまでは、わからないんですけど。
黒いのがメインだと考えると違和感があるのなら。
飾りの方がメインなんじゃないかって思いました。
『ようこそ』とか『歓迎』を示す飾りと、明らかに人を歓迎してるとは思いがたい黒い影。
この怪異のベースになったものが何なのかはさっぱりですけど。この矛盾について考えたとき。
ひょっとして、黒いのが出てきたのは意図しない事象だったんじゃないかって思いました。
……ど、どうでしょうか」
自分の出した結論を提出して、六花さんの評価をどきどきしながら待つ。
永遠のように長い数秒の末、
『うーん、42点』
「微妙!」
『いや、努力は認める。ビビり散らしつつ現場でそこまで考えられるようになったのは驚嘆に値する』
「びびびびビビってませんんんんん」
『語るに以下略。
でも証拠と根拠に欠ける。ありとあらゆる可能性を考え尽くしているとは思いがたい。見落としならぬ考え落としがぼろっぼろある気がする。……って、偉そうに言えるほど僕は凄くないんだけどね。確実に僕の初仕事の時より頭回ってると思うし』
思いやりに満ちたフォローが逆に痛い。これならボロクソに貶されたままの方がなんぼかマシだった。
涙目になりながら「ありがとうございます……」と告げると、六花さんはふっと微笑み、
『それじゃ、その考えを補強するための証拠を集めに行こうか。勿論、いのちだいじにね』
「はい!」
「……あ、論争終わった? じゃあ早く行こーよ。おやつの時間が間近だって腹時計が言ってるし~」
『うーんアルティメットマイペース』
「六花さんにだけは言われたくないと……いえなんでもないです」
*
広場付近の家が全てただの張りぼてであり、中に入ることは出来ないことを確認し、俺達は他の情報を求めて村の更に奥地へと足を踏み入れることにした。
「そういえば、『エッシャーの階段』みたいな奇特な奴もいましたけど、怪異ってのは皆が皆人を殺そうとするものなんですか?」
『残念ながら大半がそうだね。というのも、怪異ってのは本来人をーー』
「カイ君! 前見て前!!」
六花さんの話を、リーナさんの切羽詰まった声が遮った。
何事、と顔を上げると。
「……あ」
黒い影が、四方から俺を見下ろしていた。
いつの間に彼等に発見され、そして囲まれていたらしい。
どうしよう。斬るべきか。魔術の方がいいのか。それとも対話を試みるべきか。
……そう迷って、動きを止めてしまったのは完全に悪手だった。
気付いたときには時既に遅し。
黒いのが、お辞儀するようにぐうっと頭部っぽい膨らみを下ろす。
そして内緒話をするようにぶわっと顔面の白い渦が口を開いた。
「こんにちわ」「ようこそ」「よく来てくれましたね」「逃げろ!!」「おかああさあああん」「名産品は」「報告を」「化け物だ!」「応戦するな!!」「こんばんは」「隣町に」「せめて情報だけでも送らなくては」「ぱぱがああ」「この先に」「たすけて」「くそっ」「この子だけは」「向こうの道を左」「しにたくない」「いやだ」「みんな都会に行ってしまって」「お越しくださいました」「あああああ」
「「「「ようこそ、お越しくださいました」」」」
挨拶が、世間話が、案内が、絶叫が、悲嘆が、恐怖が、絶望が、声が、声が、声が。
意識を満たして。
真っ黒に塗り潰して。
俺は。
*
〈生命の樹〉二階。
公には存在しない書庫の中心にて。
ベッドに転がり、しかし左手でスマホを持ち、右手で休みなくノートパソコンに情報を打ち込み続けていた〈新月〉の手が、ぴたりと止まった。
「あれ? おーい、もしもし? カイ君?」
「どうしたんだ?」
通話の邪魔にならないように、ベッドサイドにて類似の怪異の情報を整理していた〈満月〉が声を掛けた。
六花は軽く眉をひそめてスマホを睨み付け、
「……電話が、切れた」
話の切り方とバランスがやっぱりわからんのです。
本当はもっと長くなる筈だったけど流石に長すぎたのでここで切ります。