第98章:総括(16):負け犬の言い訳と、冷静なる自己分析(その7)
・・・ぼくが、
「高校数学」についていけなかったのには、
実に深く・・・
悲しき理由が隠されていた。
2011年に再受験を決意し、
手持ちの給料を、ほとんど東大受験のための参考書代にあてていたものの・・・
ぼくは結局、
数学での「二次関数」の分野でさえ、まんぞくに攻略することはできなかった。
ちょっと前に触れた、
『チャート式数学シリーズ』のように、
網羅的・羅列的ではあるが不親切きわまりない参考書以外にも、
ぼくが卒業した、ずっと後の時代に作られた・・・
「基礎問題精講シリーズ」
「大学への数学 1対1の対応の演習シリーズ」などの、新しいタイプの参考書や、
「坂田アキラの○○が面白いほどわかるシリーズ」をはじめとする、
講義口調の、わかりやすいものも、多数、登場してきた。
理科の分野でも、
「宇宙一わかりやすい○○シリーズ」や、
「理系大学受験 化学の新研究 第3版」といった、優れた参考書も出ている。
古文も、
「マドンナ古文シリーズ」というのが出ていたな。
漢文にも、良質な参考書や問題集が。
・・・しかし、
どれもこれもが、ぼくにはハードルが高かった。
結局のところ、
どんなに時間をかけたところで・・・
ぼくの頭の中に、それらの知識がしみこんでいくことは、かなわなかった。
それともうひとつ。
ぼくには、こうした学習をしていくうえでの、
「重大かつ、生まれつきの欠陥」があった。
それは・・・
「手順をおぼえられない!」ということ。
とくに、
数学の「問題ごとの解法の流れ」や、
化学の「実験の手順・流れ」といったものが、まったくといっていいくらい、記憶できないのだ・・・!
中学のころは、
比較的、浅い・・・といっては語弊があるが、
ぼくのような「ボンクラ頭」の生徒でも、
公式と定理をおぼえ、
地道に時間さえかければ、
なんとか「手順の先の先」が見とおすこともできるくらい、広く浅い内容だった。
だから、
図書館での「ガムシャラ暗記」でも通用し、なんとか乗り切れ、成績も素直に、格段にあがっていったのである。
日本史も世界史も地理も公民も、
化学も物理も地学も生物も、中学レベルの範囲内であれば・・・
「穴埋め式」の問題集を地道にこなしていくことで、
自然と暗記できるレベルだったしね。
ところが・・・
数学の例題の「手順」「流れ」というものを、まったく暗記できなくなったぼくが・・・
大学受験のための、難易度の高い内容を理解し、
応用力をつけようというのが、
そもそも・・・
土台、無理なハナシだったのだ。
古文は、皆さんも知ってのとおり、
「助動詞の異常な発達」
「単語の、ムダに多い多義語的性質」
という、現代日本語にはまず、見られないような・・・、
実にいやらしい特質・要素が満載である。
同じ単語でありながら、
現代日本語とは、意味がまったくちがう単語も、たくさんあったしな・・・。
ただ、混乱させられてしまうばかりだったよ。
「どうすりゃいいんだい、コレ??」ってね。
「敬語」にしても、いまの日本語よりも複雑でうるせぇし、やっかいだ。
それに加えて、
現代よりも、主語をやたらと省略すっから、
「誰が」「いつ」「どこで」「なにしてんのか」が、サッパリわからん。
その行為の主が、
「光源氏」なのか、「 中宮彰子 (ちゅうぐうしょうし)」なのか、
はたまた、
「桐壺更衣」なのか。
・・・マジで、イライラするぜ。
これがため、いっくら時間をかけても、
結局、ぼくは最後まで古文を攻略できなかったんだ。
つまり、
同じ「日本語」でありながら、現代日本語とはまったく属性の異なる、
「古文」などという、クソッタレ科目なんかよりも・・・
あの、世界一、文法が複雑で難解と評される、
外国語である「アイスランド語」のほうが、ぼくにとっては、はるかに簡単だったのである。
・・・ぼくが、ただパラパラと、無意味に参考書をめくって眺めていたのは・・・
「暗記しようとしても、単純に頭に入ってこなかったから」にほかならない。
そして、その厳しい現実を、
少しずつではあったが、
ボンクラ頭で理解して、納得していったから。
「敗北」を認めつつあったから・・・。
そんなぼくが、
大学・・・それも、
東大の、記述式の複雑な二次試験を、攻略できるはずもなかろう・・・。
ようするに、
ひとことで片付けるならば、
ぼくは、
「中学までの人」だったわけである・・・。
ぼくが語学の分野で成功したのは・・・
「手順をおぼえる」というプロセスや要素が、
まったくなかったからである。




