表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/114

第40章:人生最後のクラス会(4):1996年、鬼怒川温泉ホテルでのクラス会(その1)

 ・・・また話がさかのぼってしまうが、


 ここでは、1996年に、栃木県の代表的な観光地、


 鬼怒川きぬがわで行なわれた、ぼくの母校、矢板東高等学校の「3年6組クラス会」での出来事を紹介しておきたいと思う。


 前章・前々章あたりで、現役の高校生時代に・・・


 ぼくと藤田先生との間に横たわっていた「深すぎるみぞ」なり、


 「岩のような確執かくしつ


 「まるで、『墓村はかむらたたり』のような因縁」


 ・・・などをお話したばかりである。


 いまではそういった感情も「浄化じょうか」・・・ついには「昇華しょうか」のカタチさえ見せるようになってきていて、


 ぼく自身・・・人間的にも、男としても、非常に成長できたのではないか・・・このように自己評価できている次第だ。


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 ・・・この日、1996年秋口。


 現役当時、親友だった「弓井君」と「加藤君」とぼくとの3人で、


 クラス会の会場となっていた、温泉ホテルに、仲良く連れ立って、ぼくの愛車のイスズ・ジェミニに乗って、おもむいた。


 ・・・卒業以来、はじめて正式に開催される、元・担任の藤田先生をまじえた同窓会。


 ぼくは・・・


 宇都宮大学の農学部に合格しながら、ソレを蹴って、矢板市の市役所に就職した「小林じん子ちゃん」以外では、


 唯一、この3年6組で、


 「4年制の大学」への進学ができなかった生徒だ。


 ちなみに、弓井君は岩手大学に・・・


 加藤君は、芝浦工大しばうらこうだいに、それぞれ受かっている。


 ぼくの、1989年における二次試験の様子は、


 ぼくが弓井君とそろって受験した「岩手大学」とともに併願し、二次試験を受けてきた「福島大学」のエピソードなどとともに、いずれ、あらためて、読者の皆様へ紹介したいと考えている。


 (※)ぼくらは、センター試験の前身であった、「共通一次試験」最後の受験生でしたが、ぼくみたいに壊滅的な試験結果の生徒でも、一応、岩手大学と福島大学の二次試験受験資格のボーダーライン・・・つまり、「合格最低点」はクリアできていたようですな。

 ちなみに、共通一次試験の自己採点の結果は、1000点満点中、350点でしたぜ。

 もう、笑うしかないっすよ。

 はははは・・・は・・・。


 今回のエッセイでは、


 あくまでも「東大挑戦」の話題にしぼらせていただきたいと・・・


 そのように思う。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ