第38章:人生最後のクラス会(2):恩師「藤田先生」
・・・前章で触れた、元・高校教師、
矢板東高等学校時代、2年・3年時の担任が、
藤田先生。
当時、40歳前後の数学が専門の男性教諭。
過去、ぼくの人生史を描いた『たからものⅡ』などをお読みくださった読者の皆様には・・・
ぼくと藤田先生の「因縁」「心理的距離」「関係性」といったものを、よーーくとご理解いただいていることと思う。
ぼくが現役の高校生だったころは、
ハッキリいって、
先生に関して、「よかった思い出」「楽しかった事柄」などというものは、まったくの皆無で、
ただただ、お互いに「嫌悪感」とか「憎しみ」のような、負のドス黒い感情しか存在していなかった。
だが、今のぼくは、もちろんちがう。
あのころの藤田先生には、先生なりの「やり方」「信念」というものがあって、
それに彼自らが、素直に従っていただけなのだ。
上記の表現とまったく矛盾するようだが、先生は、
・・・けっして、ぼくの将来のことを考えていなかったわけではなかったのだ。
しかし残念ながら、その「やり方」なり「考え方」は、あまりにも「黒く」・・・「ドス黒く」、
ぼくの心にもカラダにも、まったく親和性というものが無く、受け入れがたい・・・いや、とうてい「受け入れられないもの」であったのだ。
当時の先生にとって、
ぼくは、
「やっかいもの」あるいは・・・
「学校のお荷物」となっていた。
なまじい、
学年トップでいたがために、それが崩れ、ぼくという生徒の将来を「つぶした」教師として、
他の先生から、過去の輝かしい評価を落とし、それがために、ぼくを憎み、恨みのこもった視線で、ぼくという生徒を眺めていたのだろう。
しかしぼくには・・・いまのぼくには・・・
くりかえすが、
藤田先生に「恨みの感情」はない。
ついには愛想を尽かされ、見捨てられる格好にはなってしまったけれども・・・
そうした時期を迎えるまでの先生は、
そりゃあ、やり方ときたら、ライオンよろしく「わが子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってくるのを待つスタイル」で、
無慈悲で冷酷な面もあったかもしれないが、それでもぼくは・・・!
いまでは、先生に惚れ直し、
尊敬してやまない、今日このごろなのである。
ぼく自身が成長し、さまざまな「人生の荒波」にもまれてきて・・・
長い年月を経たことで、負の感情がやわらぎ、
「オトナ」になった、ということも、もちろん大きいとは思うのであるが・・・。




