第13章:ぼくなりの「東大へのあこがれ」の原点とは・・・?
・・・ズバリ!
「イメージ」である。
ぼくは、昭和45年・・・すなわち、1970年の生まれだ。
「進歩と調和」がテーマの、大阪万博のあった年に誕生した世代。
そして、幼少期のぼくが生きていた時代の日本というものは、東大をはじめとする、過激な学生運動が下火となり、
平和な大学生活を、学生たちが取り戻しつつあった時代世相でもあった。
まるで女性のように髪の長い男子学生や、下宿する浪人生、そして、同棲カップル。
四畳半の狭い部屋で、神田川を眼下に眺めながら、神保町の古本屋が立ち並ぶ学生街や、レコード店をぶらつき、
仲間と連れ立って、70年代特有のケバケバしい「原色」に彩られた、夜のネオンきらめく裏路地に密集する居酒屋やスナック、バーに繰り出し、
ときには、ギターをつまびきながら、恋人とベンチで語らい、狭い畳の部屋で抱き合う・・・
そんな若者たちが、数多く東京を中心に棲息し、街を闊歩していた時代でもあった。
ぼくは、昭和の古いフォークソングの数々を聴くたびに、そういった、古き良き時代を・・・そして、当時の東大をはじめとする大学生が築き上げた若者文化・サブカルチャーというものに思いをはせ、
あこがれのためいきをついてしまう。
・・・ちょうど、ぼくの親よりも、ほんのすこし下の世代の皆さんが作っていた文化なのだ。
「東大生が、本当に東大生らしかった時代」。
コレにぼくは、
いたく感動し、大いなる「憧憬の念」を抱いてやまないのである。
ここらあたりが、実は、ぼくが東大受験を志した、そもそもの「原点」や「出発点」だったのかもしれない。