表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/114

第12章:東大の魅力について、ぼくなりの率直な考え・感覚など(2)

 前章では、


 東大の「歴史的側面」あるいは、「卒業後、文壇ぶんだんの場で活躍した偉人」などについて、ざっと触れてみた。


 では、いま現在の「東大の魅力」とは?


 それはもちろん、


 「妥協のない、本物の実力を持つ、卓越した教授陣の充実」


 「長年の経験に裏打ちされ、なおかつ、精緻せいちに構築された、完成度の高い教育システム」


 あるいは、


 「多額の寄付金や国家からの援助金などによる、潤沢じゅんたくな研究資金の存在」


 などの条件・環境が挙げられよう。


 東大には、多額の資金が集まる。


 そのすべてが、学生の教育や、将来のために使われるわけではないだろうが・・・少なくとも、


 普通の四年制大学と比較してみても、そのあたりの学習・研究環境というものが、なみなみならぬレベル・次元であることは、まず疑いなかろう。


 ・・・そして、当然のごとく、


 「学生の質の高さ」。


 結局は、コレに尽きるのかもしれない。


 厳しい選抜試験を勝ち抜いてこられた東大生の皆さんは、あらゆる分野の学問において、


 「この世の真理」を追究し、「文学や芸術のすい」を極めてゆけるだけの能力や、学習時の尋常でないレベルの「集中力」「記憶力」などにたけている。


 ・・・そして、おそろしいほどの「探究心」。


 逆転合格を果たしたツワモノがいる一方で、


 普通の少年・少女たちが、無邪気に遊びに夢中になるかたわら・・・


 まだ幼少期より、両親から「英才教育」を施され、ときには、「超スパルタのマンツーマンレッスン」を受け、地道に毎日、歯を食いしばりながら勉強を積んでこられた、


 まさに、「才能と努力のカタマリ」のような人々の集まりなのだ。


 「天才・秀才と評される人ほど、実は、むしろ凡人よりも、日々、かげで、数限りない試行錯誤と創意工夫・努力を重ね、地道に素直にひたむきに汗水を流す。」


 ・・・ここに、実は「東大の本当の本質」というものが隠されているのではあるまいか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ