第12章:東大の魅力について、ぼくなりの率直な考え・感覚など(2)
前章では、
東大の「歴史的側面」あるいは、「卒業後、文壇の場で活躍した偉人」などについて、ざっと触れてみた。
では、いま現在の「東大の魅力」とは?
それはもちろん、
「妥協のない、本物の実力を持つ、卓越した教授陣の充実」
「長年の経験に裏打ちされ、なおかつ、精緻に構築された、完成度の高い教育システム」
あるいは、
「多額の寄付金や国家からの援助金などによる、潤沢な研究資金の存在」
などの条件・環境が挙げられよう。
東大には、多額の資金が集まる。
そのすべてが、学生の教育や、将来のために使われるわけではないだろうが・・・少なくとも、
普通の四年制大学と比較してみても、そのあたりの学習・研究環境というものが、なみなみならぬレベル・次元であることは、まず疑いなかろう。
・・・そして、当然のごとく、
「学生の質の高さ」。
結局は、コレに尽きるのかもしれない。
厳しい選抜試験を勝ち抜いてこられた東大生の皆さんは、あらゆる分野の学問において、
「この世の真理」を追究し、「文学や芸術の粋」を極めてゆけるだけの能力や、学習時の尋常でないレベルの「集中力」「記憶力」などにたけている。
・・・そして、おそろしいほどの「探究心」。
逆転合格を果たしたツワモノがいる一方で、
普通の少年・少女たちが、無邪気に遊びに夢中になるかたわら・・・
まだ幼少期より、両親から「英才教育」を施され、ときには、「超スパルタのマンツーマンレッスン」を受け、地道に毎日、歯を食いしばりながら勉強を積んでこられた、
まさに、「才能と努力のカタマリ」のような人々の集まりなのだ。
「天才・秀才と評される人ほど、実は、むしろ凡人よりも、日々、かげで、数限りない試行錯誤と創意工夫・努力を重ね、地道に素直にひたむきに汗水を流す。」
・・・ここに、実は「東大の本当の本質」というものが隠されているのではあるまいか。