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薄々感じてはいたが、自分で理屈を詰めた結果そこに行きついてしまうとどうしようもなく確信してしまう。確定していないのに確信してしまう。
前提として、脱走に必要なのは解毒剤と脱走経路。そして前回俺は解毒剤を奪取した。しかしそのまま脱走しなかった、できなかった。ということは、脱走経路がなかったのだ。あれは、壁を越えること自体は、脱走経路足りえなかったのだ。
「壁の外」とは、「施設の外」と同義ではない。壁の中も、外も、等しく尋常ではない。何かがおかしいのだ。壁の内側、壁の外側にあるもの全て。それは即ち、この世界だ。
自我がはっきりした時点からずっと抱いていた違和感の正体はこれだったのだろう。壁の外に出ても、頭の中に沈殿した粘着質の不快感が消えないのだ。壁の外へ出ても、施設から出られた気がしない。本質的に、壁の内側と外側に差異がない。
やはり、この世界に俺の求めた日常はどこにもないのだ。たとえこの壁を越え、千里先まで走ることができたとしても。ともすれば、あの機械迷路は出口というよりこの世界と元の世界を繋ぐ通路だということなのだろう。
しかしその、俺の思う「元の世界」なんて本当に存在するのだろうか。俺は先程この世界を否定し、そして俺の知っている世界を共有できる人間が、ここには一人として存在しない。
俺の信じる、ここではない世界を肯定できるのは、もはや俺の曖昧な記憶だけなのだ。それも、俺自身のいない曖昧な世界の記憶。