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とはいえ、それだけならば良いのだ。何の問題もない。なぜなら、もとより俺には元の世界への思い入れがないのだから。元の世界の記憶はあっても、元の世界で過ごした自身の記憶がないのだから。
極論、俺の期待する元の世界というものがあろうがなかろうが、この施設から脱することができればそれで十分だ。なんなら、そんなことは戻ってから確かめれば良い。
問題は、先程の思案によって脱走の手段があの機械迷路に限られてしまったということなのだ。元々選択肢など無かったのだろうが、不確定な事象というのはそれだけで希望足りうる。それ以外に手段がないという事実を突きつけられてしまって、既に絶望すら感じている。それくらい、あの機械迷路は尋常ならざる邪気を垂れ流しているのだ。
この機会迷路の入り口は、画だけ見れば不気味なほど賑やかだ。通路を形作っている無数の機械から零れるカラフルな光は、複雑に交差し合って手前の廊下を華やかに照らしている。
何も感じなければ、街灯に群れる羽虫のように本能的に惹かれてしまうだろう。実際、他の非検体らがここに入っていくのはそういう理由なのかもしれない。ただその先に待っているのは鬼か蛇か、何にせよここがただの出口であるはずはない。慎重に歩を進めるのは当然のこと、何か起こることを前提に行動しなければなるまい。
他の被検体が機械迷路に入っていく。その後ろを、少し距離を開けてついていく。他の比検体をカナリヤにするのは少々心が痛むが、そうもいっていられない。人が入るばかりで出てこないというのは、最悪の場合も想定できるからだ。
機械迷路を進むと、景色が徐々に変わっていく。地下鉄のような白く狭い通路に薄汚れた蛍光灯、はたまた終業後の薄暗いデバート。他にも、俺の知らない何らかの施設。いや、それらの施設を模した、というような通路であり、実際に機能している様子はない。
そして、最初の機械迷路から言えることだが、一貫性がない。混沌としている。長く果てしない通路である以外に、この構造物には用途や意図といったものが全く感じられないのだ。