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生きた証

 一か月も相場から離れていると、今の世界に何が影響しているのかが見えにくく、デイトレードのような需給だけで判断する取引を行おうにも、方向感がわからない状況では思う様に成績は揮わず、株式投資を始めた月以来の損失を計上していた。


 どうやら一か月も経つと、戦争に関連して株価が変動するようなことはほとんどなくなったようで、今の相場に遅れを取らないよう、必死に世界の輪郭を捉えようともがき時間を消費していると、あの空売りでの出来事は徐々に記憶から薄れていった。あのとき倍近くになった資金も今はただの玉として見れている。


 五月、六月と以前のように黙々とデイトレードを繰り返し、睡眠と食事以外のほとんどの時間を株式の世界に費やした。今自分が見ている世界と株式市場が示している数字が、どの程度現実に即しているのか捉えられている自信がある。


 二〇二二年七月八日。この日もいつものように八時二十分に目を覚まし、布団の中で前日のアメリカ株の値動きを確認していた。全体的に買われる展開だったようで、特に半導体株が大きく買われて市場を牽引したようである。私はこのタイミングを待っていたのだ。この一か月近くの間、景気後退懸念が加速し、半導体株が売られ続けていた。この買戻しに資金が集まったようである。


 こういった日の日本市場の値動きはわかりやすく、デイトレーダーにとっては月に一度あるかないかのラッキーデーとなるのだ。前々からこの日のために準備してきた時価総額がほどほどの半導体株に狙いを絞り、いつもよりも時間軸を長めにとったトレードにすることを市場が開く前から決めていた。


 午前九時。日経平均株価は先物取引という株式市場の先行指標となるような取引を基準に高めに寄り付いた後、半導体株を中心にしてどんどんと買われ、十一時を過ぎた頃の日経平均株価は寄り付き時の倍近いプラスの数字を叩き出していた。


 私がトレードをしていた銘柄も寄り付き後に上昇し、一旦利益確定の売りを挟んだりしたが、その後ぐんぐんと上昇していった。途中の上下の波はいつも通りの需給の読みで何とか捌きながら、予定していた量の株式を取得することに成功していた。十一時を過ぎてもまだ含み益の数字は赤色を煌々と光らせ、その数字を上へ上へと押し上げている。


 だんだんと前場の終わり時間である十一時三十分へと近づき、前場で出た利益を確定する売りや、後場に上昇すると見込んだ買いで多少乱れたものの、大方予想通りの値段で前場は終了した。私はもう一度含み益に目をやると、赤い数字に満足してパソコンの電源を落とした。


 昼休憩がある市場は世界的に見ても少なく、個別株ごとに値幅制限を設けている国も珍しい。投資家に寄り添った制度が日本の市場では充実していて、個人的には良い制度だと思っている。昼休みがないんじゃ一日中パソコンの前から離れられなくて、こうして昼ご飯を食べる時間もないだろう。改めて昼休みの時間があることに感謝し、いつも通りカップ麺にお湯を注いでいると、ベッドに転がしたままだったスマホからテンと通知音が鳴った。お湯を注ぎ終わったカップ麺を持ちながらテーブルへと向かい、その流れでスマホを手に取った。電源を入れ、画面を確認する。


 ――元首相が銃撃された。


 私はスマホの画面を見てもすぐに事態を飲み込むことは出来なかった。日本でテロ? 銃撃? 状況が理解できないままテレビをつけると、スマホの通知と同じ内容が速報として伝えられていた。頭の理解が追い付かないまま、同じことを繰り返し伝えるキャスターを数十秒見たあたりだろうか、あっと思った。思うのと同時にパソコンの電源をつけていた。昼休み中である今の時間は市場が閉まっており買いも売りもできない。ただ、先物取引には昼休憩がないのでそれを見なくてはと思った。見たからといって何かできるわけではない。しかし、市場で生きている人間として見なくていけないという使命感に駆られた。

実際に撃たれたのは十一時三十分頃だったという。市場が反応できたのはそれから数分後だった。モニターに映し出された日経平均株価先物のチャートは、緑色の線が下に大きく伸び、さらに下へ下へと物凄い勢いで掘り進めている。


 ニュースでは高校生らしい二人組の女性がインタビューに答え、男が後ろから近づいてきて二回爆発音を鳴らしたのち元首相が倒れた、ということが伝えられた。この時までに株価は前場の終わりから二百円近く下落していた。


 ニュース番組やSNSからたくさんの情報が発信されたが、状況を確定させるにはまだ時間がかかりそうだった。株価も二百円下落したところで明滅を繰り返し、どちらに進めばいいのか迷っている。


 元首相が銃撃されたという第一報から十数分が経った頃だろうか、元首相の意識がないことが速報として伝えらた。株式市場は即座に反応し、大きな緑色の波が赤い塊を飲み込んでいった。


 現実に変化が起きなければこちら側の世界が反応することはない。


 見ている世界をどれだけ数字で捉えようとしても、現実世界の偽物に過ぎないこの世界では、現実に取って代わるものには成り得ない。いつでも現実世界の後ろを追いかけていて、けれど追いつくことはない。人の生き死にも営みの一つとして数値化され、その価値を赤と緑の明滅の中で擦り合わせ、もう一つの現実世界へと歩み続ける。


 実世界において人一人の価値は世界という巨大な母数に対し、環境要因の一つとして確かに存在しているはずであるが、その影響は大抵の場合ゼロと同義で知覚することは出来ない。しかし、現実を模した株式の世界では、主張が赤と緑の明滅の一部として光り、実世界の輪郭を鮮明に捉えるほど、株式市場の数字があるべき世界に近づくほど、私は私が存在していたことを知覚することが出来る。


 後場は前場から急落した状態で始まると、約定した株数と時間が歩み値として記録され、物凄い速さでログが流れていく。そこに顔や名前は残らないけれど、現実世界と乖離のない世界へと向けた、個々人の主張は数字の羅列として記録され続ける。


 焦りや不安、幸せや絶望、人が理不尽に殺される悲しみ、全ての感情や事象はあるべき世界の一部として吸収され、今私たちが過ごしている世界が作られた道のりは、実世界から少しだけ遅れた株式の世界に、歩み値としてこの先も残り続ける。


 数字が現実に追いつくことはなくても、私の生きた証がここにはある。




 純文学ではないですね、ただの趣味小説。

 いずれこれを基にして書き直しますね。

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