株式市場の本質的な意味
そんな私も過去に一度だけデイトレードではなく中長期の投資、短期的な需給の読みではなくて未来の株価と現在の株価が乖離しているように見える場合にとる投資手法、を行ったことがある。
株式の取引は買われると赤色に光り、売られると緑色に光る。二つの選択肢しかない単純な構造に見えるが、この本質的な意味は現在の世界と株式市場の数値との乖離がどれだけあるかということである。
現実世界と現実世界を数値で表した株式の世界。現実を模した世界はあるべき正しい世界に向かって明滅を繰り返す。正しい世界へ、本当の世界と乖離のないもう一つの現実世界へ。市場に参加する全プレイヤーの赤と緑の意思によって、現実世界との乖離が埋まり、株価はあるべき世界へと収束していく。
間違った意見を持ったプレイヤーが大量の資金を持っていた場合、一時的にあるべき世界から遠ざかってしまうことはあるが、間違いは必ず訂正され、あるべき数字に戻ってくる。これが変えられない株式市場の本質である。
この世界では現実の世界とは違って太陽は昇らないし、冴えわたる青空も暗闇に瞬く星空も、鳥の囀りも、人の喧騒も何一つとしてないけれど、そこに存在する確かな赤と緑の明滅は、現実の全てを飲み込んでいる。
太陽が毎日昇って沈む、当たり前の日常を株価は当たり前であると数字で表す。鳥が囀り、食物連鎖の循環は、人の安定した生活がこの先も続いていくのだと暗示している。人の営みは生産と消費を繰り返し、生活をより良くしようとする知識や技術は経済を緩やかに成長させていく。
現実で起こるすべてのこと、例えば朝パンを焼いて食べる、この朝食の一コマですら株価は織り込む。毎日同じような生活を送っていると、昨日と同じ世界が続いている錯覚に陥ることがあるが、毎朝同じパンを食べているわけではないし、時々はご飯を食べたりもするだろう。小さな変化は少なからずあり、もしかするとこの日の朝ご飯は毎日パンを食べていた人が全員ご飯を食べているのかもしれない。
この事象が実はたまたまではなくて、小麦価格の高騰など背景的な要因があったりする。こういったときの株価はご飯よりに少しだけ傾く。
全ての行動は人間社会に影響をもたらす環境要因の一つとして数値化され、それらが集まって株価は変動する。一見無機質な数字の動きに見えて人々の生活に寄り添っている。
だからこそ、予期していない出来事が起こったとき、その事象がどの程度世界に影響を与えるのかわからない状況下では、あるべき世界よりも、この事象によって引き起こされる最悪な世界を想定して株価は動いてしまう。