株式市場の弾丸
ただの趣味小説です。文学として未熟なのでエッセイとしました。
後半部分はウクライナ戦争、首相暗殺など現実世界で起こった出来事に触れています。ご注意ください。
カチッ、カチ、マウスカーソルが百の数字を掴み、刻々と変動する数字の列にぶつけると百の数字は消え、ピロンと電子音が鳴る。今二百万円が動いた。私がぶつけた百の数字を取り込んだ数字の列は、赤と緑の明滅を十の単位で繰り返し、やがて数十億の赤い波が数字を上へと押し上げた。
大きな赤い波がひと段落するとまた赤と緑の明滅が始まる。私はまたマウスカーソルを百の数字に合わせて持ち上げると赤い波に向かって落とした。ピロンと電子音が鳴り、実現損益の表示が緑色から赤色、つまりマイナスからプラスへと変わった。私が二百万円の売買を完了させてもなお、明滅は激しく続き、さらに大きな赤い波が緑の塊を飲み込んでいった。
世界最大のプレイ人口を持ち、年齢、性別、国籍、生活環境など関係なく、参加するプレイヤーとその資金だけで成立するオンラインゲーム。これが株式市場である。
買いたい側と売りたい側の二つの勢力に分かれ、自分が望む方向へとお金を投入する。勝敗が決するのはより多くの資金を投入した側である。今まさに買いたい側の勢力が売りたい側の勢力を飲み込んで、株価を上昇させたという局面である。買った金額よりも高く売るとその差額が利益となり、この利益を一日に何度も取得して、自分の資金を増やしていくのがデイトレードと呼ばれる私の仕事である。
今も、三台並ぶモニターの前に座り、顔も名前もわからない相手と売買の攻防をしている最中である。三台あるモニターにはそれぞれ、市場全体の動きがわかる指標グラフ、経済ニュースが入った時にすぐに反応するためのニュースツール、そして、買いと売りの注文が並ぶ、板と呼ばれるものが表示されている。自分が買いたい値段で注文を出すと板に表示され、その値段で売りたい他の誰かが売りの注文を出して、取引は約定する。
これから株価は上がると思った買い側とこれから下がると思った売り側、つまり自分と取引をした相手は正反対の意見を持った人というわけで、どちらの意見が正しかったのかは時間が経ってみなければわからない。互いの主張が取引時間の間延々と繰り返され、この主張が赤と緑の明滅として現れている。
株式市場で利益を上げるには大きく二つのやり方しかない。一つは、期待値を含む現在の会社価値が未来の会社価値と乖離している場合。これは中長期的な投資で、株式市場における一般的な投資手法である。もう一つが、次の一瞬、数分、数十分後に現在株価と乖離があるかを判断する短期的な投機的手法。この手法が私が行っているデイトレードというもので、このやり方に会社価値は関係しない。今この瞬間に買いたい人が多いか、売りたい人が多いのかの需給のバランスだけで判断するものだからである。
私はさっきまで百株で取引していた個別株を今度は資金を少しだけ大きくして千株の数字を掴むと、これから株価が上がると主張する買い方に向かって撃ち込んだ。ピロンと約定音が鳴る。売りから始める取引のことを空売りといい、今回私が取った手法がこの空売りである。株価がより下がったところで買い戻すほど利益は大きくなるのが空売りなので、私はこれから株価が下がると主張したのだ。今の私は売り方である緑側の陣営にいることになる。
株式市場では自分の持っている資金のことを玉と呼ぶことがあり、これはその名の通りピストルの弾である。自分が利益を得るためにはその差額分を誰かが被らなければならないわけで、この構図を簡明に表すならば、自分と取引をした相手がその対象である。注文によって放たれた弾丸で反対意見を持った相手を撃ち抜く。自分が主張に勝利し、利益を得る。自分の利益のために相手の主張を撃ち砕かなくてはならない。
わざわざ相手と戦争をする必要はない、むしろ無駄な撃ちあいを避けることこそ重要であると言っていい。これは現実の戦争でも同じことで、無駄な戦死者を出さずに勝てば利益は大きくなるし、国民の信頼度は上がる。デイトレードにおいても戦わずして勝つということがリスクリターンに見合った理想形である。
そのためには相手に勝てないと思わせることが重要で、それも最小限の玉で降伏させるほど自分の利益が大きくなる可能性が高い。こうした状況を生み出す、もしくはその状況を作り出したいと思っている他のプレイヤーがどれくらいいるのかを把握する必要がある。自分の玉を最小限に抑えて、同じ意思を持った他の誰かに協力してもらったほうが建設的に利益を上げることが出来る。
時には自分の勢力を大きく見せるようなフェイントを入れ、自分にはまだ大砲を撃つ準備があると威嚇する。騙す相手が反対意見の相手だけとは限らない。例えば味方に大砲を持った奴がいるとわかれば、利益のため、プレイヤーは強いほうに加勢したくなる。嘘が呼んだ勢力が敵をだまし、本当になり、大きな波を生み出す。嘘が嘘だと見破られないように細心の注意を払って、しかし大胆に、そうして生み出された波はさらなる波を引き寄せ大きな利益を生む。