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神殿へ行こう 前編

「シャルエット、今からお父様に会う事は出来る?」

「今から……ですか?」


 勉強を終え、自室へと戻ってきたばかりでクタクタなのだが、わたしは早くお父様に報告をしたい。


「旦那様は城の夕食会にお呼ばれされていらっしゃるそうなので、今ですとお会いできるかどうか……」

「とにかく部屋まで行って、会えなければ会えないで仕方ないって事で、ね?」


 シャルエットは少し呆れた顔をしながら「かしこまりました」とドアを開けた。ちょっとの我儘は許して欲しい。死活問題なのだ。


 ……だって、言っておかないとお父様も困るよね?


 一階にあるお父様の執務室の前に着くと、ドアの前に荷物を抱えた召使いが立っていた。もうじき屋敷を出る所のようだ。召使いに声を掛ける。


「ねえねえ、お父様に会いたいんだけど」

「旦那様は今から城へ……」

「分かってる。でも、すぐに報告しなくちゃいけないことがあるの。お願い出来ない?」


 召使いは嫌そうに眉を歪めた。「この我儘お嬢様め」とでも言いたそうだ。なんとか取り次いでもらうことには成功したが、また心象が悪くなった気がする。


 ……出かける直前の来客って、前世の母親だったらブチギレるようなやつだよね。マジごめん。でも、わたしの命とお父様の名誉が懸かってる問題だから許して……。


 心の中で項垂れる。後であの召使いに謝ろう、と思った瞬間、突然嫌な雰囲気を感じて背中がゾワッとした。


「おや、これはこれは。ロゼシアント公爵のご息女ではありませんか」


 日が落ちかけて薄暗くなっている廊下に、鼻の詰まったような濁声が響く。玄関に続く廊下から肉付きの良いの派手な格好をした男がのっそのっそと歩いてきた。お父様の知り合いのようなので、対お父様用及び対客人用のお嬢様モードに切り替えて、無理やり口角を上げて微笑む。


「あら、わたくしの事をご存じですか?」

「勿論ですとも。ふっふっ。まさかとは思いますが、ロゼシアント公爵が私を待たせている原因は貴女なのですかな?」


 男はジトリとした目をしてわたしを上から下まで舐め回すように見てきた。色の悪い唇は嘲るように歪んでいる。こんなにも早くどこかへ行って欲しいと思ったのは初めてだ。


 ……気持ち悪い。


 とてつもない嫌悪を覚え、思わず後退りする。もういっその事わたしがこの場を立ち去ろうかと思った途端、不意にドアが開いてお父様が出てきた。


「ヘドザード伯爵」


 ディクドリードがわざとらしく低い声で名前を呼んだ。その顔にいつもの優しそうな笑顔はない。あるのは恐ろしく鋭い軽蔑の目。だが、瞬きした次の瞬間にはいつもの笑顔に戻っていた。気のせいかと思ったが、ヘドザード伯爵は歯を食いしばってお父様から視線を逸らしている。


「待たせてしまって申し訳ない。国王陛下にお渡しする書類を(まと)めていたら遅くなってしまったようだ。娘はそれを知らせに来てくれたのだよ。そうだろう?」

「はい。お父様に知らせに参りました」


 わたしはあたかも最初からその目的で来たかのように微笑んだ。ヘドザード伯爵は疑わしい目でわたしを見ている。


 ……そ、そんな目で見ないでよ。お父様って怒ったら怖そうなんだから!


 ヘドザード伯爵もお父様の逆鱗に触れることは避けたかったのか、「……そうでしたか」と引き下がった。


「では参ろうか。伯爵」

「そうですな。ロゼシアント公爵」

「あっ、お父様!」


 このまま城へ行かれてしまっては困る。報告、連絡、相談は何より大事なのだ。お父様は片膝をついてわたしの手を握った。


「寂しいのかい? 明日は休みだからどこかに出かけよう」

「いや、あの……」

「行ってくるよ」


 わたしに話す隙を与えず行ってしまった。唖然としている間にお父様の背中すら見えなくなっていた。


「結局、話せなかったよ」

「……お嬢様、手に持っているそちらは?」

「え? なんだろうこれ。『メモ用紙』?」


 もしや、お父様から渡された物だろうか。シャルエットに指摘されるまで気が付かなかった。


 ……手を握られた時? 手の中に入れられた感覚はなかったけど、コツがあるのかな。


 早速読んでみる。覚えたてなのでまだスラスラとはいかないが、ちゃんと読み取れる。感動だ。


「ええと、ふむふむ……」


【影武者候補の件だろう? それは他人に聞かれる訳にはいかないんだ。ヘドザード伯爵には特に。

 明日、神殿へ行こうと思う。準備をしておいてくれ。

 あと、この紙はシャルエットに渡して廃棄するように】


 ……へぇ。ヘドザード伯爵はお父様が警戒している人なのか。あの気持ち悪さは警戒して当然だけどね。


「この神殿へ行く準備って何をすれば良いのかな?」

「お嬢様がなさる事は特にございませんので、準備はわたくしがしておきます」

「よろしくね」


 シャルエットにメモ用紙を渡すと、彼女は紙を小さく折りたたんで躊躇いもなく口に入れた。少し苦しそうに眉をピクリと動かしたが、そのままゴクリと飲み込んでしまった。


 ……た、食べるの!? 飲み込んで廃棄するなんて時代劇でしか見た事ないよ。


 ◆


 夕食の時間になった。夕食の席には、ベリオレッツィもいる。王の手先だろうが、一人での食事に寂しさを感じていたわたしには誰かと一緒に食べる食事がものすごく嬉しく感じた。夕食も完食だ。料理長は本当に腕が良い。


「ごち……コホン。料理長、スープがとても美味しかったわ」

「お喜び頂けて光栄です」


 ごちそうさま、を言わないというのは慣れないので、料理長に感想を伝える事で誤魔化している。美味しかった、のワンパターンになっているのはわたしに食レポ能力がなかっただけだ。泣きたい。

 最初こそ不気味なものを見たような目をしていた料理長だが、回を重ねた事で慣れたようですっかりニコニコしている。


 …………料理長が先に慣れちゃってる。


 ◆


「お嬢様、起きて下さい」

「んー、シャルエット、おはよう」

「おはようございます」


 起こされる時間が昨日より早い気がする。まだ眠い。この魔の布団から抜け出すのは至難の業なのだが、シャルエットに剥がされるのは恥ずかしいのでさっさと寝台から出る。


「本日は旦那様と神殿へ向かわれるご予定です。まず、お召し替えを済ませたらご朝食へ。その後は、一度お部屋へ戻って湯浴みをされてから、神殿へ行く為のお召し物に替えましょう」

「うん。分かった」


 ……お風呂があるから早く起こされたのか。納得。病み上がりだからって医者からお風呂を止められていたけど、今日からは入っても良いんだね。


 あまり時間をかけずに朝食とお風呂を終えた。お風呂は召使いが大体の事をしてくれるので大変楽だった。これに慣れてしまったら自分で体を洗う生活には戻れない。快適過ぎる。


 ……旅館にある露天風呂くらい広かったな。浴槽に彫刻があってびっくりしたよ。女神様っぽいけど、口からお湯を出すのはやめてあげて欲しい……。


 自室へ戻ると、シャルエットが神殿用だというワンピースを持ってきてテキパキと着せてくれた。裾に青い糸で複雑な刺繍が施された白いワンピースで、水色の薄い布でオーバースカートが付いている。一見シンプルだが、動くと華やかに揺れるデザインが気に入った。鏡の前で裾を持って回ってみる。


「……わぁ、童話に出てくるお姫様みたい」


 ……本当にこんな綺麗なワンピースが似合うこの顔に生まれて良かった。お父様と……お母様もかな? 美形だもんね。遺伝ありがたし。


「とても似合っているね」


 声のした方を振り向くと、噂をすればの美形お父様がわたしをにこやかな目で見ていた。お父様は普段とは雰囲気の違う、黒を基調として金色の刺繍が施された民族衣装のような服を着ている。ザ・ファンタジーといった感じだ。


 ……どこかで見た事がある気がするんだけど、どこで見たんだったかな。まぁ、いっか。


「お父様、このワンピースとても気に入りました」

「神殿へ行く際は必ずそれを着る事になる。服装に決まりがあってね。ミリアディーナに気に入ってもらえて良かったよ」

「神殿専用なのですね。着る為だけに神殿に行きたいくらいです」

「そんなに気に入ったのかい? では、今度似たような意匠で仕立てようか」

「ありがとうございます、お父様」


 もう一着仕立ててくれるということで、わたしのお父様への好感度は爆上がりだ。オシャレに興味はないが、お姫様気分になれる服は嬉しい。


「あっ。もしかして、わたくしの目の色に合わせて仕立てて下さったんですか?」


 わたしの青空のような水色の目にこのワンピースはよく似合っている。自分で言うのもなんだが、超可愛い。


「ある人から助言をもらったんだ」

「ある人?」


 お父様は窓の方に視線を向けた。そこからは庭しか見えないけれど、その先、ここからは見えない所を見ている気がする。


「その方は外にいらっしゃるのですか?」

「まぁ、そうだね」


 お父様から、郷愁の念を抱いている少年のような、そんな悲しげな雰囲気を感じた。


 ……ふーん。訳ありなのね。


「そろそろ行こうか、と言いたい所だが、ミリアディーナはまだ髪を整えていなかったね」

「お嬢様、早く仕上げてしまいましょう。お座り下さい」


 少しだけ整髪剤を塗られて整えられていく。今回は横流しになっている前髪の耳にかけていた部分を編み込んで、結び目をリボンで結んだだけで終わった。窓から入ってくる爽やかな風で結び目のリボンがヒラヒラと(なび)いている。


「旦那様、お嬢様の準備は整いました」

「では、行こうか」




 玄関先には二台の馬車が止まっていた。一台は豪奢な馬車で、もう一台は比較的質素な馬車だ。お父様は比較的質素な馬車の方へ進み、乗り口の前でわたしに手を差し出した。


 ……おお! これがエスコート? 生まれて初めてされるよ。ステップ、意外と高いんだね。


 お父様の手を取る。足元を見るために下を向こうとしたら、シャルエットに「お嬢様、前を向いてください」と小声で注意された。


 ……え、難易度高くない? 下見なかったら転んじゃうよ?


 結局、キョロキョロしているわたしを見かねたお父様が「今回だけだよ」と言いながら持ち上げて乗せてくれた。


「ありがとうございます」

「ミリアディーナが馬車に乗るのは相当久しぶりだろうからね。緊張もするだろう」

「初めてかと思ったのですが、乗った事はあるのですね」

「ああ。まだ言葉が覚束無い頃に一度だけ」

「それは覚えていませんね」


 わたしは生粋の箱入り娘で、覚えている限りでは外に出るのも初めてなのだ。基本、客人は自分からやって来るものだし、望む物はわざわざ出歩かなくとも手に入る。そんな環境がダメダメミリアディーナを生み出しかけたとも言えなくもない。


「シャルエットは乗らないの?」

「わたくしは所用がございますので今回はご同行出来ません。どうか、お気を付けて行ってらっしゃいませ」

「そっか。行ってきます」


 鞭の音と共に御者の「ハイヤッ」という声が聞こえ、馬車が動き出した。屋敷内は道が整えられているからか、思ったより揺れを感じない。


「馬車を怖がって乗ってくれないかとも考えたが、問題なかったようだね」

「……わたくしが何故馬車を怖がるのですか?」

「派手にぶつかったのだろう? 客人の乗った馬車と」


 ……あ、そういえばそんな事もあったね。大丈夫だよ、お父様。数日で忘れてるくらいだから全く問題ない!


 わたしは問題ないアピールとして「うふふ」と笑った。正直、死の狭間を彷徨ったことを一週間も経たずに忘れている記憶力の方が心配である。

報告をしにディクドリードの執務室へと向かったミリアディーナは、気持ちの悪い伯爵と出会います。報告は出来ませんでしたが、ディクドリードと神殿へ行く約束をしました。


馬車に揺られるミリアディーナ、次こそは神殿へ行きます。

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