前世の記憶と激マズポーション
頭の中に白い靄がかかっていてなんだか意識がハッキリとしない。何も聞こえないし、靄以外は何も見えない。夢を見ているようなフワフワとした感覚だ。
……この靄、邪魔だよ。どいてどいて。
靄を退かすイメージを思い浮かべると、不思議なことに目の前の靄が溶けるように消えた。心做しか頭のフワフワ感が軽減されている気がする。
……靄が全部消えたら気持ち悪いフワフワ状態から抜け出せるかな。
今度は残っている靄を吸引力の強い掃除機で一気に吸うイメージを浮かべてみた。すると、見る見るうちに靄が集まって溶けていき、頭のフワフワ感がなくなった。フワフワの原因は靄だったようだ。
……あれ? 少し明るい。
気付けば、先程まではなかった光が瞼を通してわたしの視界に差し込んでいる。聴覚も普段通りに戻っているようで、少し離れた所から女性の話し声が聞こえてきた。
……お母さん? いや、違う。お母さんはこんなに声高くないよね。
微かに聞こえている女性の声は若々しく、年をあまり重ねていない人の透き通った声色をしている。母が電話に出た時のあの作った高い声とは全く違う。
……誰だろう。お姉ちゃんとか友重の声ではないんだけど、若いのは確かだよね。
寝返りをすれば声の主が見えるだろうと考えて、わたしは体を横に倒そうと腰と足に力を入れた。いつもならコロンと転がれるのだが、何故かわたしの体は微動だにしない。何度試しても本当に自分の体なのか疑いたくなる程に動けない。目だけでも開こうと頑張ったが、瞼も重くて開いてくれない。
……待って待って。なんでこんなに動けないの? わたし、麻酔銃でも打たれてる!?
どうしてこうなっているのか検討もつかないことに恐ろしさを感じ、わたしは不安で拳をギュッと握った。手だけはなんとか動くようだ。パー、グーと開いたり閉じたりと動かしてみて、手のひらに違和感を感じた。なんだか幼い子供の手のように小さく感じる。全身が動かせないせいで感覚が変わったのだろうか。
とりあえずわたしは、思い出せる範囲で自分に何が起きたのかを整理することにした。
……ええと、めちゃくちゃ焦って全速力で走って、その後友重が来なくて――って、そっか。わたし軽トラックに轢かれたんだ。
正直、これは思い出したくない事実だった。周りから見たわたしは友達が轢かれそうになってるとはいえ、ノタノタと歩いて暴走トラックに突っ込んでいった馬鹿だ。そこは歩くな走れ、とか思われていたに違いない。
もしかしたら、既に全国ニュースで日本中に広まっていて、数年後には悪い例として教科書に載り小学生の反面教師にさせられる……。もう黒歴史どころではない気がしてきた。
そうなると、轢かれたはずのわたしが何故生きているのかという話になるのだが、助かったと思って良いのかもしれない。
コツコツ、という足音が少しずつ近づいて来た。もしかして看護師さんだろうか。
「お嬢様、お気づきですか?」
……ん? お嬢様? いやいや、わたしは一般人ですよ。ともちゃんはお嬢様かもしれないけど。
ただ単に看護師さんの言葉遣いが綺麗なのか、それともどこかのお嬢様と間違えられて運び込まれたのか。お嬢様が来るようなお高い病院なら入院費などの後のことが怖い。
確認しておきたいことがたくさん浮かぶが、手以外は動いてくれないし声も出ない。しきりにパタパタと手を動かしてみるも、「動けないのですね……」と心配されて終わった。
お金の心配が頭を過る。わたしの家は物心つく前に父が亡くなっていて母子家庭なのだ。母はパート勤務、大学生の姉はバイト以外の収入はない。わたしの通う学校がバイト禁止で働けない分、お金の面であまり迷惑はかけたくない。
「お医者様をお呼びして参ります」
看護師さんらしき女性がそそくさと出ていき、少ししてから誰かを連れて戻ってきた。
「あぁ、意識は戻ったようですな」
お爺さんのような嗄れた声がした。多分、この人が医者だろう。すごく失礼だが、声だけ聞いたらやぶ医者っぽい。
「はい。手は動かされていましたが、どうやらそれ以外は動かせないようです。……お嬢様は治りますか?」
「ほっほっほ。心配するな。儂にかかれば大した事はない。ポーションを飲ませよう」
……ポーション? どこの世界線よ。
面白くないぞ、などと考えているうちにわたしは上半身を持ち上げられて口に何かを流し込まれた。ゴクリと飲み込む間もなく喉に直接液体が流れていく。最初は味がしないので水かと思った。しかし数秒後、まるで激辛料理を食べた後のように鼻がツーンとして、舌にとてつもない衝撃が走った。
……ぎゃああああ! まっずい!! 苦い!! うぉええ……。
「ゲホッ、ゲホゲホッ」
この世の物とは思えない不味さの液体に耐えられず、わたしは勢いよく咳き込む。
頭の中でやぶ医者だと言った罰だろうか。舌は痺れて熱すぎるお茶を飲んだ時のようにジンジンするし、体の中で何かが動いている感覚がして気持ち悪い。
看護師さんに背中をさすられて段々と落ち着いてきたが、その代わりに口から文句が零れる。
「うげぇ。何よこれ。マズイ通り越して『激マズ』だよ」
「おぉ。効いたようだ。話せるまで回復するとは、やはり一等品の物を持ってきて正解だったのぅ」
「……っ、一等品なのですか? お嬢様に?」
「そうじゃ。儂が作った最高品であるぞ」
後味がまだ口に残っていて吐き気がするが、しっかり効き目はあったようだ。体はそれなりに動くようになっているし、喋れる。ほぼ完全復活だ。
早めにどこの病院なのか、母には連絡がついているのかを聞いておきたい。そう思って、わたしはまだ少し重い瞼を開いた。
「……はぇ?」
思わず気の抜けた声が出た。わたしはどうやら夢を見ているようだ。
わたしの知る病院はもっと白一色でシンプルで、ベッドに天蓋なんて付いてない。こんなにフカフカの布団は使わないし、こんなに装飾の凝った家具は使わない。
それに、目の前にいる女性は髪の色も目の色も見慣れた黒色ではなく、淡い藤色の髪に灰色に近い緑色の目をしている。それも、染めたような不自然なものでも、カラーコンタクトレンズをはめたような違和感のあるものでもない。完全に生まれ持ったものにしか見えないのだ。
……そういえば、皆何語で喋ってた? 日本語じゃなかったよね?
何故か、言葉は違えど何を言っているのかは理解出来る。わたしが咄嗟に口に出したのも日本語ではなかったような気がした。随分と凝った夢だ。
……夢にしてはすごいリアルだね。布団に触った感覚もあるし、顔も触れる。
現実離れした夢と顔が揃ったらやるべきことは一つだ。もちろん、思いっきり頬を抓る!
「いだだだだだ!」
「どうしたのだ。……ポーションの効き目が強かったか? 子供に使った事はないのでな」
痛い。めっっちゃ痛い。これは夢ではない。信じられないが、断言出来る。この痛さは確実に夢ではない。
……じゃあ、どういうこと? ここはどこなの?
ぼーっとしているわたしが心配になったのか、女性が鏡を差し出して言った。
「ミリアディーナお嬢様、大切なお顔に怪我はありませんでしたよ。ご安心ください」
「あー、えーっと、ありがとうございます」
鏡に映った自分の顔を見た瞬間、頭にバチーンと抜けていた何かがはまった。ぐわんと視界が歪んで体から力が抜け、頭の中によく分からない情報が走馬灯のように流れ込んでくる。
嫌いな人、嫌だった事、恨み、妬み、嫉妬。どれもあまり良い感情では無くて少し気持ち悪いけれど、その時の状況や心情はよく知っていた。
……そう。そうだったよね。あの時はあの子が自分より綺麗なドレスだったから嫉妬して、あの時は召使いが言う事を聞いてくれなくてムカついて……。
知らない人の記憶、だけど知っている記憶。
これは紛れもなくわたしの記憶なのだ。
途切れていた記憶の糸が次々と繋がっていく。
……思い出した。
わたしはあの日、トラックに轢かれて助かる事なくそのまま死んだ。
そして、公爵令嬢ミリアディーナ・ロゼシアントとなってこの世界に転生したのだ。
◆
昨日、わたくしが暴走した馬車にぶつかり、勢いよく頭を打った事で偶然前世の記憶を思い出し、ぶつかった衝撃が前世の死ぬ間際と似ていた為か、軽トラックに轢かれた直後のように錯覚。
これが「ミリアディーナ、ぶつかった衝撃強すぎて今世の記憶吹っ飛んじまった事件」の真相である。全部わたしの妄想だが、あながち間違ってはいないとは思う。
……ふふん。わたし、お嬢様だよ。ほぼお姫様! もっと早く記憶が戻ればよかったのに。そうすれば窮屈だって思ってたこの生活も全く違って見えただろうに。
――女の子の大半が一度は憧れるであろうお姫様。ドレスを纏って優雅にダンスを踊り、王子と甘い恋をする。
これは前世のわたしの幼い頃の夢である。大人の前では恥ずかしがって「みんなに信頼される最強な人になる!」と言っていたが、結構夢見がちな少女だった。
一方、前世を思い出す前のわたくし、ミリアディーナの思考回路は、いかに相手の悪い所を見つけられるか一択であった。強いて夢といえば、『王子と婚姻して絶対的な地位を作りあげ、格下の令嬢共を嘲笑ってやること』だろうか。
……ミリアディーナ、まだ七歳だっていうのに「あの子はチヤホヤされて気に入らないから、嘘の噂を流して、嫌われるように仕向けよう」とか常日頃から考えてたんだよ!?
まさに悪役令嬢予備軍。
実際にはちょっと睨みつける程度しかしたことがない小心者のミリアディーナである。
◆
「お嬢様、お嬢様。どうされましたか? まだお加減が悪うございますか?」
……おっと、完全に放置していたよ。
わたしが看護師さんだと勘違いしていた女性は召使いだったようで、この屋敷のお仕着せである、くすんだ青緑色のワンピースを着ていた。
考え込むと自分の世界に入ってしまうのは前世も含めてわたしの悪い癖なのだが、この召使いは知らないのだろうか。
……あ、そうか。この召使いは今日からわたしの担当なんだ。前任の召使いはわたしからの嫌がらせに痺れを切らして辞任したんだったね。……今のわたし、大丈夫?
色々とフラグが立っていそうで恐ろしい。刃傷沙汰だけは避けたい。
「薬の副作用でしばらくは記憶が混乱するやもしれぬ。だが、長くて三ヶ月ほどだろうから安心なさい」
「記憶の混乱ですか。お嬢様、何か分からない事があればわたくしに仰って下さいね」
「あ、ええと、よろしくお願いします」
実際、薬の副作用は出ていないと思う。しかし、そういう事にしておけば前世と今世の知識の間で混乱した時の理由付けが出来る。これはラッキーだ。あの不味いのを飲んだ甲斐があったかもしれない。
「では、儂は失礼する」
「僭越ながらお嬢様の代わりにわたくしからお礼を申し上げます。お嬢様をお救い頂きありがたく存じます」
召使いが医者に頭を下げた。わたしも軽く会釈をしておく。
「構わんよ」
医者が紫色の目を細めてこちらを見た。その眸は相手を見定めるような、そんな鋭いものだった。
「影武者候補が死んでしまっては困るからのう」
彼はそう呟き、何事もなかったかのように「ほっほっほ」と笑いながら部屋を出て行った。
……はて、影武者候補? 影武者って、偉い人の身代わりになる人だよね。どういう事だろう?
影武者といえば、最悪の場合の捨て駒として孤児から拾ってきたり、従者がその場しのぎでなったりというイメージなのだが、貴族令嬢のわたしがなるようなものなのだろうか。
そんな事を考えていると召使いが声をかけてきた。
「お目覚めになられて嬉しい限りです。わたくしは今日からお嬢様のお世話をさせて頂く、シャルエット・ブローツェと申します」
シャルエットは少しだけ口角を上げて微笑んだ。笑い慣れていないらしく口角の動きがぎこちない。わたしがニコニコと愛想良く笑い返すと、シャルエットは安心したように肩の力を抜いた。
……やっぱり第一印象が大事だよね。これ以上嫌われないようにしなきゃ。まだ七歳だし、やり直すチャンスはたくさんあるでしょ!
「よろしくお願いします、シャルエットさん」
「シャルエットで構いませんよ。わたくしは召使いですので、敬語はお止め下さい」
わたしは親族や友達ではない人に敬語を使わないというのは抵抗があるが、召使い側からしたら敬語を使われる方が立場上迷惑らしい。前世を思い出す前のわたしの、召使いに敬語なんて使うもんか精神を呼び起こしシャルエットに従っておくことにした。
「はい……じゃなくて、分かった。シャルエットと呼ばせてもらうね。早速で悪いんだけど、あのやぶ……お、お医者様が言っていた、“影武者候補”って何?」
わたしは意味深に言い残されたこの言葉が気になって仕方がない。不穏な感じがプンプンしている。更に言えば、大変なことに巻き込まれそうな嫌な予感がする。
シャルエットは答えに困ったように眉をピクリと動かし「それは旦那様にお尋ね下さい」とわたしから視線を逸らした。
「え? 旦那様というと……」
「ディクドリード様、お嬢様のお父上です。わたくしでは深く答えられませんので」
シャルエットはまたぎこちない笑みを浮かべると、早足で部屋を出て行った。
……聞いちゃダメな話題だったみたい。失敗、失敗。
益々不穏な空気が流れ出し、わたしはベッドに寝転んで溜息を吐いた。今まで外との交流をほとんど断ち、生粋の箱入り娘となっていたわたしに何が起こるのか不安でしかないのだ。
「影武者? もしかして、わたしが窮屈に育ってきたのはそのせい? 屋敷から出ることを許されず、家族との交流もなく、友人が一人も出来なかったのはそのせい?」
ぽろっと出たこの言葉はミリアディーナとして溜め込んでいた切れ端だ。口に出した自分自身が驚いている。幸せに育った前世を思い出したからこそ、何を聞いても平然としていられるのだ。何も知らないミリアディーナだったらきっと今頃、「またわたしだけ仲間はずれ。わたしだけは何も知らないの」と泣いていたに違いない。
ミリアディーナは前世の記憶を思い出しました。別の世界で生きた記憶はミリアディーナに混乱をもたらします。彼女がどうなっていくのか。今後の展開をお楽しみください。




