十五点のお嬢様
夕食は自室で取るように、とお父様からの伝言が届いた。伝えに来た執事によると、ベリオレッツィとの話し合いが未だに続いているらしい。執務室の周辺は人払いがなされ、執事以外は立ち入りを禁じられたそうだ。ついでに、執務室の中は背筋が凍るような雰囲気だったと教えてくれた。
……うぅ。次、お父様に会った時に目を見て話せる自信がないよ。
わたしが項垂れているうちに準備が出来たようで、香ばしいコンソメの香りと共に料理が運ばれてきた。シャルエットが給仕してくれる。
「お嬢様、お熱いのでお気を付けてお召し上がり下さい」
「うん、分かった」
ゴロゴロと野菜の入った真っ赤なスープからはふわりと湯気が立ち昇り、ゴクリとわたしの食欲をそそった。「いただきます」と挨拶をして、スプーンを口に運ぶ。
口に流し込んだ瞬間、舌にビリッと痺れが走った。口の中が熱い熱いと悲鳴を上げている。
「うあちっ! はふはふっ、お、お水っ!」
シャルエットが「熱いとお伝えしましたのに……」と呟きながら水の入ったグラスを差し出した。わたしはそれを慌てて受け取り、ゴクゴクと飲み干す。水をおかわりすると、小刻みに肩を震わせながら口元を抑える料理人の姿が視界の端に映った。
……むぅ、こんなに美味しそうなお料理が目の前にあったら誰だって耐えられないでしょ。わたしの舌は必要な犠牲だったのだよ……。
二杯目の水を飲み終わった所で舌の痺れがやっと収まってきた。まだ若干ヒリヒリと痛むが、このくらいならば食事は続けられる。わたしがまたスプーンを持つと、料理人が「あぁ、待ってください」と制止した。
「すいません、お嬢様。お願いなんでちょっと冷ましてから食べてください。多分、今食べたらまた火傷します」
……ごもっともです……。
お皿の温度が丁度よくなったのを確認してから食事を再開する。スープを口に入れると、野菜の旨みがふわっと広がった。じっくりと手間をかけて調理されているのだろう。ゴロゴロとした野菜も口に入れればトロトロと溶けていった。
ただ、なんとなく違和感がある。とても美味しいけれど、想像していた味とは違うような気がした。今度は味をよく確かめる為に目を瞑って口に流し込む。
……あ、コーンスープだよ、これ。
違和感は、見た目や香りはトマトスープなのに味はコーンスープというちぐはぐな感覚から来るものだった。てっきり赤いからトマトだと思っていたのだが、これは明らかにトウモロコシの味だ。
「料理人さん、このスープに使われてるキャレって赤くて楕円形の野菜だったりする?」
「いいや? キャレは元々緑色の葉で覆われてて、皮を剥くと黄色い粒がいっぱい付いてる野菜です。赤くて楕円の野菜は見たことがないですね」
どうやら見た目はわたしの知っているトウモロコシと同じようだ。調味料のせいで赤くなっているのかもしれない。先を促すと、料理人は更に詳しく教えてくれた。
「不思議な植物でして、熱すると赤く色が変わるんですよ。俺はよく知らねぇが、どっかの島でしか育たなくて中々手に入らないって話です」
「色が変わるの!?」
「ええ。たまに料理長が珍しい食材を仕入れてくるもんで、俺達料理人の刺激になってるんですよ」
わたしの知るトウモロコシは、熱すると赤色に変わるなんてエビやカニみたいな事にはならない。味は同じでも違う野菜なのだろうか。
トウモロコシ風野菜があるのならば、前世であった植物と似たようなものがこちらの世界にもあるのかもしれない。
……もしかして、お米も夢じゃないってこと? あれ、でも炊飯器以外でお米を炊いたことないよ。……まあ、考えるのはあとあと。今は食べることに集中!
わたしのちょっとした興味はあっさりと食欲に負けてしまったのであった。
◆
朝、騒がしい音で目が覚めた。廊下から絶え間なく足音が聞こえてくる。背伸びをしていると、シャルエットが天蓋を開いて顔を出した。
「お嬢様、おはようございます」
「おはよう。廊下がバタバタしてるけど、何かあるの?」
「本日から音楽と行儀作法をお教え下さる教師の方がいらっしゃいます。今はお嬢様がお使いになる楽器を運んでいるのです」
……うげっ。そうだった。宮廷楽士の娘さんが教えにくるってベリオレッツィ先生が言ってたよね。ビシバシやられるんだろうなぁ。うぅ。
わたしはいつものように着替えと朝食を済ませ、シャルエットに案内されてお茶会室へと向かった。
「あちらに見えるのがお茶会室です」
「へぇ、離れにあるんだね。あ、扉の前に誰か立ってる。あの人が宮廷楽士の娘さんっていう先生?」
「いえ。あの者は召使いです」
近付くとその召使いが扉を開けてくれた。行儀作法を教える先生の召使いだからか、品のある動きをしている。
「ミリアディーナ様がいらっしゃいました」
「どうぞお入り下さいませ」
わたしが部屋の中に足を進めると、カツンと靴の音が空間に響いた。お茶会室と言うから少し広めの部屋を想像していたが、実際は舞踏会が出来そうなくらいに広いホールだった。普段どれだけの規模でお茶会を開いているのだろうか。
……貴族ってすごい。
中央にポツンとテーブルと椅子が置かれていて、正面の椅子に女性が腰かけていた。わたしがそこへ歩いて行くと、女性は空いている椅子を手で指した。椅子を引いておいしょと腰掛ける。すると、女性は「十五点」と言って微笑んだ。
「え?」
「ミリアディーナ様は十五点ですわね」
会って早々何事かと思って驚いている間に、女性の口からわたしの問題点がどんどん挙げられていく。
……ええと、歩く時の姿勢が悪い、椅子は召使いに引かせる……ちょっと待って。全然ついていけない。
どうやらわたしがお茶会室に入ってから椅子に座るまでの動作を事細かにチェックしていたらしい。わたしが何も言えずに固まっていると、女性は頬に手を当てて困ったように微笑んだ。
「あら、名乗るのが先でしたわね。失礼致しました」
女性はそう言うと、スッと立ち上がって片手を胸に添えた。そして、左手でドレスの裾を掴んで少し腰を落とした。
「クリストーラ・ランディールと申します。神のお導きによる出会いを大切に致しましょう」
……あ、これって挨拶じゃない? ウェルマも同じような言葉を使ってたよね。そういえば貴族も使うって言ってたっけ。
クリストーラは挨拶を終えると、立ったまま、また頬に手を当てた。もしや、わたしが名乗るのを待っているのではないだろうか。わたしは立ち上がってクリストーラの真似をしてみた。
「ミリアディーナ・ロゼシアントです。こちらこそ」
「あら、よく出来ていましてよ。けれど、挨拶の作法も色々とありますのよ。うふふ」
クリストーラが口元に手を当てて悪戯っぽく笑った。どうやら名乗って正解だったようだ。
彼女の第一印象は「優雅な貴婦人」だ。水色の髪を複雑に結い上げて華奢なドレスを身にまとい、凛とした佇まいをしている。それでいて動きや声はなめらかで美しい。
「ミリアディーナ様の教師を任されました。音楽と行儀作法はわたくしがきっちりとお教え致しますわ」
「よ、よろしくお願いします」
なんだかクリストーラのやる気がすごい。目がキラキラと輝いてて見える。まるで少女漫画に出てくる恋する乙女のようだ。それがわたしに向いていると思うとゾッとする。
……お手柔らかにお願いします。
召使いに椅子を引かせ、クリストーラが席についた。椅子に座っただけなのに一つ一つの所作が美しく見えた。わたしは果たしてこうなれるのだろうか。
「挨拶の練習から致しましょう。もう一度わたくしに挨拶をしてみてくださいませ」
「分かりました」
クリストーラの挨拶を思い出しながら、右手を胸に当て左手で裾を摘み、ゆっくりと腰を落とした。
「ミリアディーナ・ロゼシアントです。神のお導きによる出会いを……なんでしたっけ」
「大切に致しましょう、です。もう一度」
「ミリアディーナ・ロゼシアントです。神のお導きによる出会いを大切に致しましょう」
「直ってよろしいですわ。初めての動きにしては良い方でしょう。全体的に動きが硬いのが残念ですわね。腰はもう少し落として、手はしなやかに。足は少しだけ前後にずらしてみてくださいませ」
クリストーラに細かい動きを直してもらいながら何度も何度も挨拶を繰り返す。一つの事を意識し過ぎると他が雑になってしまうのでバランスが難しい。繰り返すうちに段々と腰が辛くなるし、集中力も切れてきた。
「……今日中に及第点を差し上げるのは厳しいかもしれませんわね」
そんなクリストーラの呟きが聞こえて、わたしの中の何かがカチンとはまった。
……次で絶対合格を貰う。絶対。
わたしは深呼吸をして体の力を抜き、なるべく美しく見えるように右手を左胸に添えた。手首をしならせてドレスの裾を掴み、敬意を込めて腰を落とす。顔を上げて、クリストーラと目が合ったところで微笑み、落ち着いて挨拶を述べる。
「ミリアディーナ・ロゼシアントです。神のお導きによる出会いを大切に致しましょう」
クリストーラからの言葉を待つが、中々返ってこない。首を傾げてみると、クリストーラはハッとしたように微笑んだ。
「申し訳ございません。とても、良い出来だったものでつい……。よく頑張りましたね」
「本当ですか! ありがとうございます」
……ふふん。褒められちゃった。
「疲れたでしょう? おかけください」
シャルエットに椅子を引いてもらって腰掛ける。わたしの挨拶が良い出来だったからか、クリストーラは相好を崩していた。どこか緊張した空気も今は和やかになっている。
「挨拶は貴族にとって第一印象を決める大事な行為ですわ。ミリアディーナ様はまだ磨きをかける余地があると存じます。継続して練習を重ねていきましょう」
「はい」
クリストーラが視線を動かすと、彼女の召使いが何枚か積み重なった木札を持ってきてテーブルの上に並べ始めた。覗き込んで見ると、書かれているのは挨拶の言葉だった。
「普段使われる挨拶を記したものです。わたくしが幼い頃に使っていた木札を持って参りましたわ。お貸し致しますので、一週間後までに覚えてきてくださいませ」
「一週間後!? 無理ですよ」
「あら? 無理ではありませんでしょう。覚えることは山ほどありますのよ。これは必要最低限覚えておかねばならない基礎であって、実際の社交ではもっと多くの挨拶が飛び交いますわ。ある程度知っておかねば、困るのは自分自身でしてよ」
「……頑張ります」
クリストーラは召使いに木札を片付けさせ、そのままシャルエットに預けた。受け取ったシャルエットは木札を確認すると、部屋へ置きに行くために下がっていった。
「ミリアディーナ様、甘いものでも頂きませんこと? ランディール家自慢の料理人が焼いたクッキーがあるのですけれど」
「食べたいです!」
すぐにクリストーラの召使いがお茶の準備を始める。お茶が入りクッキーの皿が運ばれてくると、クリストーラはクッキーを一枚手に取って口にした。わたしも取ろうとすると、クリストーラに「お待ちを」と焦った様子で止められた。
「わたくしが毒見をしてからお取りになってくださいませ。焦らずともたくさんご用意してありますわ」
「ど、毒見?」
驚くわたしに、クリストーラは呆れたような困ったようなぎこちない顔をして深く溜息を吐いた。
「……危機管理がなっていないとはこういうことでしたのね。もちろんこの菓子は事前に毒見をさせていますけれど、誰がどのように悪意を持っているか分かりません。持ってきた者が先に口にして安全を確かめるのが上級貴族の作法なのです」
……ウェルスツェーラムって毒の心配をしなくちゃいけないような国なんだ。……あ、前王妃のベイローネ様って毒殺されたんだっけ。
「ごめんなさい。毒見をしなくちゃいけないなんて知りませんでした」
「これも勉強ですわ。……ただし、シャルエット様は危機管理意識をしっかりと持ってくださいませ。ミリアディーナ様が簡単に毒を盛られたり拐われたりしそうで恐ろしいですわ」
クリストーラの厳しい声色がお茶会室に響いた。後ろを振り向くと、丁度戻ってきたらしいシャルエットが驚いたように目を丸くしていた。何が何だか状況が掴めない様子でこちらへ向かってくる。
「……お嬢様に何かございましたか?」
「シャルエット様とはミリアディーナ様についてお話する必要があると思いますの。ミリアディーナ様、この後シャルエット様をお貸しくださいませんか?」
「わたくしは構いませんけど……シャルエットは大丈夫?」
シャルエットがコクリと頷いたので、わたしはクリストーラに了承の意を伝えた。なんとなく、シャルエットに対するクリストーラの態度には棘が見える。シャルエットが取って食われやしないか心配だ。
「……あら、お茶が冷めてしまいましたね」
クリストーラがそう言うと、彼女の召使いがわたしの分も一緒に温かいお茶と取り替えてくれた。冷めるタイミングが分かっていたかのように、飲みやすい温度のお茶が用意されているのだから驚いた。
「クリストーラ先生の召使いさんはまるで先生の言うことを一歩先に分かっているみたいですね」
「ふふ。彼女はわたくしが直接選んだ召使いですもの。主の望みを理解するくらいお手の物ですわ。そうでしょう?」
召使いは「今後とも努めて参ります」と柔らかい笑顔を浮かべた。クリストーラが選ぶだけあって心の余裕から違うようだ。
「召使いの手腕に関わることもたくさんありますけれど、外へ出たり誰かと会う際は事前の打ち合わせを綿密に行うことが大切なのですよ。何かあれば目配せや合図をするのも良いかと存じますわ」
クリストーラは、周りとの連携が取れているかいないかで状況が大きく変わる事はそれなりにあると言う。わたしは友重との連携が上手く取れていなかったせいで結果的に事故に遭ったので、それはそれはよく理解出来た。
「余裕のある時にでも召使いと話し合ってみてはいかがかしら」
「そうします」
合図だったらどんなのにしようかな、と様々なポーズを思い浮かべる。前世では指信号というものがあったはずだ。ただ、内容を全く覚えていないのでこれは却下する。
……グーチョキパーとかハートとか? うーん、どれもパッとしない。
トントン、と不意に肩を叩かれてハッとした。前を向くと、クリストーラが少し焦ったような顔でわたしを見ていた。
「ミリアディーナ様、ご気分が優れませんか? 声をかけても反応がなかったのですよ」
「あ……」
考え事をすると、状況を忘れて没頭してしまうわたしの悪い癖だ。前世では「マイワールドを持ってるよね」、なんてよく言われた。マイワールドが何かは知らないが、友達が少ない理由もこれだったのではと今では思う。
「ごめんなさい。考え事をするとそっちに意識がいってしまうんです」
「改善しなくてはなりませんね。急に固まられたら驚きますわ。まぁ、子供によくある事なのですけれど……」
子供のやる事と言われると内心複雑ではあるが、確かに意識がスコーンと飛んでしまうのは良くない。というか怖い。いつかそのままパタリと逝ってしまうのではないかという考えが過った。
……ひいっ、もう考え事に没頭しない。……少なくとも人と話してる最中は。
休憩時間が終わると、次は言葉遣いや態度の指導を受けた。貴族常識の基本のキの字すら知らないことを察したクリストーラにより、基礎の基礎から教えられることになったのだ。ベリオレッツィと勉強した時と同じパターンだ。わたしは気付かぬうちに相当酷い状況に置かれていた事を知った。
「ミリアディーナ様、今お教えした事を試すにはどうしたらよろしいと思いますか?」
「うーん、分かりません。何ですか? じゃなくて、ええと……。わたくしには難しいのでお教え頂けますか?」
「よく出来ました。ふふ。答えは雑談ですわ。日常的な会話にこそ癖は出るものです」
クリストーラとわたしは肩の力を抜いて世間話を始めた。どこのお菓子が美味しいとか、どこのご令息がカッコいいとか、そんなたわいもない会話だ。
ちなみにわたしは屋敷の外の事を全く知らないのでほとんど聞く専門なのだが、これで教わったことを試せているのだろうか。ただひたすらにクリストーラの話を聞いているだけのような気もする。わたしからも話題を振ってみることにした。
「クリストーラ先生のお母さん……お母様は宮廷楽士でしたよね? どのような方なのですか?」
「あぁ……。貴族であるにも関わらず自ら宮廷楽士の道を望んだ風変わりな人ですわ」
クリストーラは「そんなことより」と話を逸らして両手をグッと握った。心做しか目が輝いている。
「わたくしのお母様はミラルリーナ様と親交があるのです。ミリアディーナ様はミラルリーナ様の御令姪でいらっしゃるでしょう? お会いした事はございますの?」
「ええと、ミラルリーナ王妃のことでお間違いないですか?」
「ええ。そうですけれど、ご自身の叔母様ですのにあまりご存じないような言い方ですわね」
クリストーラは少し気落ちしたような声でそう言うと、つまらなそうに頬杖をついた。一気にやる気が失せたような態度だ。
「残念ながら、お会いしたことはありませんね。叔母の存在自体この前知りましたし、どのような人なのかも全く知りません。クリストーラ先生の方が詳しいのではありませんか?」
「わたくしは何度か挨拶をさせて頂いたことがあるくらいですが、そうかもしれませんわね。……ミラルリーナ様は親族であっても距離を置かれていらっしゃるのですか」
溜息を吐いたクリストーラの後ろを何かが通ったのが見えた。なんだろうかと席を立ち上がる。小さな声で「あそこに……」と指を指すと、クリストーラがひっ、と情けない声を出した。
「『猫』ちゃん、可愛いですね。ふわふわしてて癒されます」
近寄ろうとすると、シャルエットに腕を掴まれて止められた。驚いて見上げると、シャルエットは猫をじーっと睨んでいた。クリストーラも同じく猫を睨みつけている。
すると、猫がこちらを向いた。猫だと思っていたが、頭から小さな角が二つ生えている。口を大きく開けて牙を出し、「ガァー」と野太い唸り声を上げた。
……猫ちゃんじゃない! 全然可愛くないよ!
「わたくしが知っているものよりは少し小さいですが、恐らくガーツェです」
「ガーツェ!? シャルエット様、ガーツェは王都付近に生息しない魔獣でしょう?」
「はい。ソルステルラとの国境付近でしか見られないはずですが、数年前にも王都に出没した事例があります。牙には毒があり、成長すればするほど毒性が強くなる厄介な魔獣です」
まさか毒を持っているとは思わなかった。シャルエットが止めてくれから良かったが、近寄って噛まれたりしていたら今頃どうなっていただろうか。想像するだけで恐ろしい。
「ミリアディーナ様、騎士を呼びましょう。放置する訳にはいきませんわ」
「クリストーラ様、恐れながら申し上げます。本日は王族主催の狩猟祭の日です。一体の為に、多忙な騎士団が動いてくださるとは思えません」
クリストーラの召使いが眉尻を下げて困った顔で発言した。クリストーラはハッとしたように目を見開くと、「どうしましょう」と呟きながらオロオロと視線を泳がせた。
「この屋敷に屈強な殿方はいらっしゃいませんの、ミリアディーナ様? 門番はひょろひょろとした方でしたけれど、体を鍛えた護衛の一人や二人はおりますでしょう?」
「わたくしは見たことがないですけど……。シャルエット、そんな人いたっけ?」
シャルエットが静かに首を振った。クリストーラは魔獣が怖いようで、すっかり縮こまってしまっている。顔色が悪い。
……あっ、そういえばあの人がいるじゃない!
「クリストーラ先生、ちょっと行ってきます。シャルエットはここにいてちょうだい」
わたしはそおっと後ろに下がっていき、扉から外に出た。「お嬢様!?」とシャルエットの驚いた声が聞こえたが、説明している時間が勿体無い。それに、シャルエットがいない方が交渉しやすいはずだ。
「ええっと、確かこっちの方にあるって言ってたよね」
道なりに早足で歩いていくと、目的地らしき建物が見えた。迷わずに辿り着けたことに安堵してホッと溜息を吐く。
……普通に入っちゃっても良いのかな? ノックの文化はないみたいだけど……。
「ええい! 気にしてる暇はないんだから入っちゃえ! 失礼します」
扉を開けてすぐに薬品の匂いが鼻を刺激した。机上には木札やら草やら木片が散らばっていて、床にはインクの染みが目立つ。全体的にごちゃっとした部屋だ。
「ベリオレッツィ先生、いらっしゃいませんか? ……いないのかな。いや、もう一回。ベリオレッツィ先生! シャルエットの一大事です!」
「シャルエットがどうした!?」
ガタッという音と共に積み重なった木札の陰からベリオレッツィが慌てて顔を出した。顔に机の跡が付いていて、髪の毛に葉っぱが乗っている。机に突っ伏して寝ていたようだ。
「おお、ミリアディーナ嬢か。何があった?」
「お茶会室にガーツェが出ました。一体です。シャルエットとクリストーラ先生、クリストーラ先生の召使いの三人が部屋にいます」
ベリオレッツィは「これはまた厄介な……」と呟いて頭を搔いた。何やら問題があるらしい。
「ガーツェは体の表面が硬く、鍛えている人間でも正面から切ることは不可能だ。刃の方が持たないからな。攻撃してきた相手に毒の混じった唾を吐く習性もあるからこれまた厄介だ」
「……それって倒せないってことですか?」
「いいや、首の後ろに弱点がある。弱点を狙って一撃で仕留めれば問題ない。素人の場合、奇跡でも起きない限り無理だがな」
……ベリオレッツィ先生、絶対素人でしょ。
ベリオレッツィは机の上にあった物からいくつかを選ぶと、革袋に詰めて腰に着けた。ガラクタばかりに見えたのだが、大丈夫だろうか。
「ミリアディーナ嬢、行くとするか」
「はい、行きましょう」
お茶会室の扉の前に着いた所で、中からクリストーラの悲鳴が聞こえた。急いで中に入ると、なんとガーツェが二体に増えているではないか。
「一体じゃなかったのか?」
「……さっきまでは一体でしたよ?」
そおっと三人の元へ近づくと、ベリオレッツィがいることに気がついたシャルエットがホッと息を吐いた。クリストーラも少し安堵したような顔をしている。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「増えたガーツェはどこから来たの?」
「一体目のガーツェが急に甲高い声を出したかと思えば、どこかからか二体目が歩いてきたのです。抜け道があるようですね」
……もしかして、二体同時に倒さないといけない?
運良く片方を倒せたとしても片方から毒の唾が吐かれてしまえば終わりだ。同時に一撃必殺でなくてはならない。わたしが外へ出た少しの間に難易度がとんでもないことになってしまった。
「ガーツェが好む葉を持ってきた。ミリアディーナ嬢がこれの匂いでおびき寄せている間に私がガーツェの弱点を狙う。この作戦でどうだ?」
「お嬢様にそんなことをさせられません」
「そうですわ、ベリオレッツィ様。もしミリアディーナ様がお怪我でもされたらどう致しますの?」
ベリオレッツィはうーん、と唸って考える素振りを見せたが、すぐに首を横に振った。
「この作戦が一番安全で成功する確率が高い。ガーツェは余程の事がない限り子供には興味を示さないからな。クリストーラ様やシャルエットがやるよりは良いだろう。それとも、襲われることを覚悟でやるか?」
「……ミリアディーナ様、よろしくお願い致しますね」
ベリオレッツィはニッコリ笑ってわたしを見ると、葉を差し出した。断われる雰囲気はどこにもない。わたしは葉を受け取った。
「失敗すれば我々は天に召されるか、もがき苦しむ。いいな? 私が指示を出すまでは絶対にこの葉を離すなよ」
「分かりました。離しませんから、ベリオレッツィ先生は絶対に仕留めてください」
ベリオレッツィに指示された位置にそっと移動する。葉の匂いに気付いたガーツェがこちらを向いた。わたしはゴクリと唾を呑み込み、ゆっくりとガーツェに近づく。ガーツェが葉を咥えるまでは動いてはいけない。ジッと我慢だ。
……もう少し、もう少し。
一体のガーツェがカプッと葉を咥えた。もう一体も葉に興味津々だ。ベリオレッツィが短剣を持ってゆっくりと近付き、静かに構えた。ベリオレッツィがコクリと頷いたのを確認して葉を離す。
「お嬢様、下がってください!」
「うわぁっ!」
唸り声を上げながらガーツェが飛びかかってきた。間一髪で牙を避けると、ベリオレッツィがガーツェの首を切った。ガーツェは二体揃ってフラフラとよろめき、コテリと倒れた。
「ミリアディーナ嬢、怪我は!?」
「大丈夫です。牙には触れてません。唾もかからなかったと思います」
「すまない。思慮が足りなかった」
ベリオレッツィはガーツェの処理を始め、クリストーラは胸を撫で下ろして椅子に腰掛けた。シャルエットがこちらに駆け寄ってくる。わたしにの腕や顔を見回して怪我がないことを確認すると、わたしの肩をギュッと抱きしめた。
「ミリアディーナお嬢様がご無事で良かったです」
「シャルエットが下がってって言ってくれなければ危なかったよ。教えてくれてありがとう」
ベリオレッツィが、倒したガーツェの角を二つ抱えて運んできた。切り方が良かったのか血などは出ておらず、綺麗な状態だ。
「さてさて落ち着いたな。このガーツェは私が貰っても良いか? 調べたいことがある」
「どうぞ持って行ってください。ただ、あのお部屋は片付けた方が良いですよ」
首を傾げたシャルエットから目を逸らして、ベリオレッツィはお茶会室を出ていった。研究室のあの惨状をシャルエットは知らないようだ。
……ベリオレッツィ先生には助けてもらったし、しばらくシャルエットには内緒にしておこうっと。
◆
「ミリアディーナ様がベリオレッツィ様を呼んでくださって助かりましたわ。二体に増えた時はどうなるかと思いましたもの。ミリアディーナ様が輝いて見えましたわよ」
「えへへ、そうですか?」
褒められた事でわたしの表情筋は緩んだ。にんまりと貴族の令嬢らしからぬ顔になっているはずだ。
「ミリアディーナ様なら影武者になっても問題ありませんわね。やはり王の目に狂いはないのでしょう」
「影武者って……ああっ!」
クリストーラもゼルトウェード王の手の者であることをすっかり忘れていた。全身からスッと血の気が引いていく。
「それはお父様がお断りを……」
「あら、ディクドリード様から伺っておりませんの? ミリアディーナ様が正式に影武者に決まったと」
決まったということはお父様が同意した事を意味するのではないだろうか。あのわたしの最後の砦であったお父様が敗れたということである。額からポツリと冷や汗が垂れた。
「わたしの優雅なセカンドライフは!? ぬおおおお!!」
「ミリアディーナ様? いかがされました? ミリアディーナ様!?」
わたしの耳からクリストーラの呼ぶ声が遠ざかっていった。
クリストーラから挨拶や言葉遣いなど、貴族としての作法を学びました。そして、突然現れたガーツェ。毒のある魔獣を倒す為、ミリアディーナはベリオレッツィを頼ります。
次話は、落ち込んでいられないミリアディーナです。




