善意の裏の悪意
「よし。早速だが契約でもするか」
「ま、待ってください。さっきのは流れでというか間違いというか……。とにかくわたしは影武者になんてなりたくないんです!」
「本当にその言い訳が通用すると思うか? 私は確かに聞いたぞ。なんでもやる、とな」
冷や汗がたらりと背中を伝うのを感じた。ベリオレッツィの満足気な笑みがわたしの過ちを語るようで腰が引ける。
「それはそうですけど……。半ば言わされたようなものじゃないですか。酷いです!」
簡単に口車に乗せられたわたしもわたしだ。そんなことは分かっている。だが、言葉巧みにわたしの痛いところを突いてきたベリオレッツィは大変悪質で卑怯だ。
「ミリアディーナ嬢が単純なだけだ。別に私は誘導なんてしていないだろう?」
「うっ」
よく考えたらわたしが自爆しただけのような気もする。
……いや、でも、ほら、ねえ? ベリオレッツィ先生があんな話をしなければ、なんでもやるなんて言わなかったんだから。い、言わされたも同然!
「ベリオレッツィ先生、お父様に相談しましょうよ。未成年のわたしに決定権はありませんし、ベリオレッツィ先生も後が楽になりますよ」
契約が完了していない今ならば、伊達に公爵をやっていないお父様がなんとかしてくれるはずだ。ベリオレッツィだって説得なんて大変な作業は一回で済むのが理想だろう。
そんなわたしの小さな望みを見透かしたように、ベリオレッツィは大きな溜息を吐いた。
「そうくるか。だがな、今からディクドリード様に相談したとて結果は変わらないぞ」
「え? どうしてですか?」
「私の後ろには誰がいるか覚えているか?」
「後ろって、誰もいませんけど……」
ベリオレッツィが呆気に取られたようにポカンと口を開けたまま固まった。何かおかしなことを言っただろうか。
……ままま、まさか、わたしには見えない誰かがいるの!?
シャルエットに目をやると、耳元でこっそりと「後ろ盾のことです」と教えてくれた。なるほど。
「ベリオレッツィ先生の後ろ盾は王様ですよね。多分」
「多分ではなくその通りだ。さあ、ミリアディーナ嬢。貴族は幼少から迂闊な発言をしないよう教育される。それが何故か理由を答えてみろ」
「え? 情報を抜かれないようにする為、とかですかね?」
「半分正解と言った所だな。時には相手を従わせる為に、時には自分の願いを叶える為に、どんな些細な事であろうと利用する。それが貴族社会の常識だ」
ベリオレッツィの説明によると、「なんでもやる」はやる気がありますアピールとして解釈されるそうだ。本人の意思を尊重しようということで王様は絶対的な権力を行使し、わたしを影武者にしてくれるらしい。
更に更に、わたしがいくらお断りしようともお父様に言わされていることになり、断れば断るほどお父様に対する王様の心象が悪くなっていくオマケ付きだ。
「どう転んでもオワリってことですか!?」
「やっと理解したようだな。そういうことだ」
ベリオレッツィの目がニヤリと笑う。これはお父様を呼んだとしても、わたしが説明に困るだけなのではないだろうか。
……なんてこった。
「シャルエット、悪いがディクドリード様をお呼びしてくれないか?」
「よ、呼んじゃうんですか?」
「ミリアディーナ嬢がディクドリード様を呼べと提案したのだろう? ……ああ、叱られると思って怯えてるのか。何事も経験だ。甘んじて受け入れろ」
「ベリオレッツィ先生はやっぱり酷いですぅ!」
勉強や作法の練習をサボった弊害がこんな所で出るなんて思ってもみなかった。
……何してくれてんだ、昔のわたし。ミリアディーナのバカバカバカ!
シャルエットが部屋を出たのを見届けたベリオレッツィは、わたしの正面にある椅子に腰掛けて足を組んだ。
「ミリアディーナ嬢は事故で記憶が曖昧というより、元々勉強が嫌いでしてこなかったんだろう? 礼儀作法もそうだ。公爵令嬢にしては取ってつけたような出来だからな」
わたしはギクリとしてベリオレッツィから目を逸らす。少しも否定出来る要素がない。全くその通りだ。
「図星か? ……伯母上の言葉に偽り無しだな。だが、不思議に思うんだ。学ぶことからずっと逃げていた勉強嫌いがこんなに優秀なはずはない。何か、隠していることでもあるんじゃないか?」
「そんな、隠してることなんてありませんよ」
手をパタパタと振りながら「おほほほほ」と笑うと、ベリオレッツィにジトッとした疑いの目で睨まれた。わたしの演技力では誤魔化しが効かないようだ。
「まあ、何を隠していようが構わん。だが、これは相当な教育が必要みたいだな。感情や思考が顔に出過ぎだ。これでは影武者なんて到底務まらないぞ」
「それなら!」
「ミリアディーナ嬢を鍛え上げるしかないだろう」
……なんでそうなるの!?
そこはわたしを影武者候補から外すのが正解だろう。わたしはムキになって言い返す。
「わたくしよりも、貴族として出来上がった良い人材はたくさんいるでしょう? 国中を探せば一人くらいセラヴェルリーネ王女に似たような人がいますよ。その人を影武者にすれば良いではありませんか」
「その一人がミリアディーナ嬢なのだが?」
「よ、世の中に似ている人は三人いるのです。いない訳がありません」
ベリオレッツィが「どこの情報だ」と呆れた顔をした。この世界でドッペルゲンガーというのは通じないらしい。
「ミリアディーナ嬢に協力してもらわなければ困る」
わたしが眉を寄せて嫌な顔をしていると、ぶっきらぼうに扉を開けてお父様が入ってきた。お父様は完璧な作り笑いを浮かべているけれど、目が全く笑っていない。部屋の空気がカチリと凍った気がした。
「ベリオレッツィ様、娘を影武者にとはどういう事ですか?」
「おや? ディクドリード様はご存じでしょう?」
ベリオレッツィはおもむろに席を立って、片眉をピクリと動かした。知っているのだからわざわざ聞くな、とでも言わんばかりの顔だ。ますます空気が凍った気がする。
「ゼルトヴェード様には既にお断りしています。貴方がベイローネ様の弟君と言えど、度が過ぎた行動は目零しできません」
お父様の目が鋭く光った。でしゃばるな、と言っているのだと思うが、ベリオレッツィが怯む様子はない。この部屋の空気はもう氷河期だ。夏なのに寒さを感じる。
……ヒェッ、怖い! 怖いよ!
それから五分程、お父様とベリオレッツィの間で回りくどい言い回しを駆使した高度な戦いが繰り広げられた。わたしには二人が何を言っているのかサッパリ分からない。
……本当にわたしと同じ言語喋ってる? 意味不明だよ。これが貴族の普通の会話なのかな。違うと思いたいね。
それからまた五分程経ったが、二人の会話はまだ続いている。最初こそ熱心に聞くふりをしていたが、いつまでも終わる気配のない会話にわたしは痺れを切らした。ベリオレッツィの紫色の目を睨む。
「ベリオレッツィ先生。セラヴェルリーネ王女が他国から狙われていると言うのならば、自分達で守れば良いではありませんか。もし、わたくしが敵に捕まったとして、誰が助けてくれますか?」
ベリオレッツィが「それは……」と口を引き結ぶ。お父様は「それ以上は言うな」と言うように首を振ったけれど、わたしは無視して続ける。
「わたくしが命を懸けてまで影武者になる必要性が感じられません。わたくしや家族に利はないですし、命は無くなったらそれで終わりなんですよ?」
わたしはもう前世の家族や友人には二度と会えないし、あの慣れ親しんだ地を踏むことは出来ない。大好きだったお米は食べられないし、やり込んだあのゲームも出来ない。
人生は一度きり。運良く転生しても前の人生には干渉出来ない。だからこそ、わたしは今ある人生を軽々しく捨てるようなことはしたくないのだ。
わたしは今度こそ長生きして、おばあちゃんになって、幸せに暮らしたい。のんびり優雅にセカンドライフを送りたい。
……それに、セラヴェルリーネ王女がともちゃんだとしても、友情で助けたいと思うのと命令で命を懸けるのとでは意味合いが違うんだよ。
わたしは胸の前で手を強く握って、ベリオレッツィを見つめる。ベリオレッツィは腕を組んでコクリと頷いた。
「ミリアディーナ嬢の言う事はごもっともだ。だがな、認識に齟齬があるようだ。ゼルトウェード様はミリアディーナ嬢を危険に晒すつもりはない」
「へ?」
「ベリオレッツィ様、ゼルトウェード様のお考えを包み隠さず全て話してください。他にも知っていることがあるでしょう?」
お父様の問いにベリオレッツィは「ご明察」と口の端を上げた。
「ゼルトウェード様はセラヴェルリーネ王女が成人するまでの期限付きの影武者として扱いたいと仰いました。公の場へは顔を出さず、兄姉や婚約者の前で取り繕うだけの影武者としたいと」
わたしはベリオレッツィの話に違和感を覚えた。それはお父様も同じだったようで、眉間に皺が寄っている。
「私がゼルトヴェード様から伺っていた話とは随分と異なるようですが?」
怪訝そうな目を向けられたベリオレッツィは、言うのを躊躇うように「あぁ……」と唸った。少し目を泳がせて諦めたように溜息を吐く。
「エリーナは、捧げられたのでしょう?」
…………お父様?
お父様の顔が酷く引きつった。わたしの視線に気がついてすぐに笑顔に戻ったが、まだどこかぎこちない表情だ。何か気に触ったのだろうか。
「ベリオレッツィ様、私の執務室へ来てください」
そう言い残して、お父様は部屋から出ていってしまった。いつにも無く冷たい雰囲気だった。
……エリーナって人の名前っぽいけど、何のことなんだろう。人の名前だとしても、エリーナさんが捧げられたってめっちゃ意味不明だよ。
『エリーナ』が何なのかを考えていると、シャルエットに肩を叩かれた。ハッとして前を見ると、ベリオレッツィが「大丈夫か?」と首を傾げていた。どうやらわたしは考え込んで固まっていたらしい。
「あぁ、ごめんなさい。どうしましたか?」
「本を返してもらっても良いか? あれは助手が間違えて届けてしまったようだ」
わたしが了承すると、ベリオレッツィは廊下に控えていた助手を呼んだ。フロドルクと名乗った助手は緊張でガチガチになりながら「すいません」を連呼して平謝りしている。ちなみにベリオレッツィは完全に無視だ。
シャルエットに三冊の本を渡してもらうと、フロドルクはまたペコペコしながら部屋を出た。後を付いてベリオレッツィも部屋を出ようとしたが、何かを思い出したように振り返った。
「これの事は内密に頼む」
ベリオレッツィが真剣な面持ちでフロドルクの持つ本を指したので、わたしはゆっくりと頷いた。
部屋にわたしとシャルエットだけになった途端、張り詰めていた空気が和らいだ。わたしは小さく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。色々なことが怒涛のように過ぎ去って、流石に頭がクラっときた。
すると、シャルエットが申し訳なさそうにまつ毛を下げながら、わたしの前に跪いた。
「えっ、どうしたの?」
「……すぐに旦那様をお呼びするべきでした。申し訳ございません。お嬢様をお支えするべきのわたくしが動転するなど、召使いとして失格です」
「シャルエットは何も悪くないよ。わたしがやらかしちゃっただけだし」
シャルエットの落ち着き具合いからベリオレッツィと共犯かと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。
……シャルエットは表情を変えるのが苦手なのかな? それとも、貴族特有の無闇に感情を見せないっていうアレ?
シャルエットの感情はなんとなくなら読み取れなくもないが、ものすごく分かりずらい。思い返せばたまに浮かべる輝かしい笑顔以外は、眉や唇が少し動く程度なのだ。この少しの変化がシャルエットの感情表現なのだろうか。
「お嬢様、そんなに顔をじっくり見られては恥ずかしいです」
「ごめんね。シャルエットを観察してたの」
シャルエットは首を少し傾げて頬をなぞった。これは少しの表情の変化だろうがどんな感情なのか分かる。何言ってるのかしら、の顔だ。
……ん? 観察って……。ああっ! シャルエット、お願いだから引かないで!
わたしも恥ずかしさから目を逸らしてそっぽを向く。穴があったら入りたい、ではなく、穴ではなくても良いから隠れたい。
とにかく気まずいので何か話題を振ろう。『エリーナ』に関してはお父様の顔を見る限り、聞いてはいけない感じがするので聞かない。どうせ尋ねるならば、ベリオレッツィの方がよく知っていそうだ。
いくつか考えた選択肢の内、シャルエットに聞いても問題がなさそうなもので、わたしが疑問に思っている事を呟く。
「……王様とベリオレッツィ先生は何が目的なんだろうね」
お父様から聞いた話では、他国に狙われているから影武者になれ、だったのに、今は、私的な場で取り繕う為に必要だ、と言われている。婚約者はまだしも、兄姉達の前で影武者を立てる必要はないはずで「取り繕う」という言葉を使うのも不自然だ。
わたしの考えをシャルエットに言ったところ、思い当たる節があったようで、彼女は小さく頷いた。
「わたくしのお義姉様、ベイローネ様は、侍女に召し上げていた義妹のサリノッタ様に毒を盛られて亡くなられたのです」
……兄弟間でも命を狙われる事があるんだ。
兄弟間で起こる事と言えば口喧嘩くらいしか知らないので驚いた。前世の姉は喧嘩が強くて、わたしは残り一本のアイスを賭けた戦いに一度も勝てなかった事を思い出す。
「サリノッタ様は格下の分家からの養女ですが、とても優秀で、ベイローネ様への忠誠心も人一倍厚かったのです。あの事件の犯人がサリノッタ様だと分かった時は皆が驚きました。それも、発覚したのがつい最近の事なのですよ」
「え? 最近なの?」
「急に自白したのです。実母に騙されたのだと泣き崩れて大騒ぎになりました」
……うわぁ。それは大変だ。養女とはいえ犯人が身内なんて驚愕だよね。
現場を想像して苦笑いしてしまう。相当悲惨な事態になったはずだ。
「騙されたってことはサリノッタ様の実母が裏で動かしてたのよね」
「はい。ベイローネ様の頭痛によく効く薬だけれど実家から頂いた他国の物だから、誰にも言わずに食事へ入れて差し上げなさい、と言われたそうです。否認していますけれど、実母はヘドザード伯爵家の出身ですから、伯爵や他国も関わっているでしょう」
基本的に食事は文官の毒物検査と侍女の毒味を通過しなければ王族に出される事はない。しかし、毒物検査を終えてから食事に毒を入れた事と、サリノッタ自身がベイローネの毒味を担当していた事が重なって、誰も気づく事なく毒殺が成立してしまったのだという。姉思いの妹の善意を利用するとは、なんとも悪辣な手口だ。
それにしても、またヘドザード伯爵の名前が出てくるとは思わなかった。会話の中では本日二回目の登場である。彼はどれだけの悪行を重ねているのか、と呆れるしかない。
伯爵と言い、べズバーと言い、サリノッタの実母と言い、ヘドザード伯爵家の人間に良い人はいないのだろうか。
「……でも、その事件が原因なら影武者を立てても意味ないよね。侍女にやられたらおしまいだし」
シャルエットは口元に手を当てて、「……その通りですね」と驚いたように目を見開いた。シャルエットは実は少し天然なのかもしれない。




