ウェルマリーゼの過去
太陽が明るく照らす街の大きな通りを馬車が走る。昼が近いからか、行きよりも通行人が多く賑わっている。
「ミリアディーナ、神の歌声については理解出来たかい?」
「はい。ウェルマの説明がとても分かりやすかったです。彼女が聖典を翻訳したんですって」
お父様は「ほぅ」と唸って興味を示した。お父様が興味を示したのだから、聖典の翻訳はやはりすごいことなのだろう。
「巫女のウェルマか」
「あ、ウェルマは愛称で本名はウェルマリーゼさんというそうです。……そういえば、フレデリクト様がウェルマは行儀見習いだったと言っていました。お父様はご存じですか?」
「ウェルマリーゼ? どこかで聞いた事のある名だ」
お父様は顎に手を当てながら何度か名前を呟くと、少ししてから「あっ」と声を上げた。
「……あの令嬢がまさか神殿にいるとは思わなかった。さすがレイモード伯爵だ」
お父様の話によると、ウェルマことウェルマリーゼはレイモードという伯爵家の三女で第二王子の所で働く行儀見習いだったそうだ。
「伯爵の娘さんがどうして神殿にいるんですか? 神官や巫女は貴族の数に数えられないんですよね?」
「基本はそうなのだが、特例が許される事もあるんだよ。ウェルスツェーラムの王族や上級貴族なら神殿組織と掛け合って特例を認めさせることも容易だ。ウェルマリーゼ嬢の件はゼルトウェード様から伺ったが……ミリアディーナにはまだ早い」
「お父様、聞かせて下さい。ウェルマが嫌だと思うことを言ってしまわないように、知っておきたいんです。お願いします」
お父様は少し苦笑いをして背もたれに身を任せた。ウェルマとはまた会う約束をしたのだ。不快な思いをさせて嫌われないように気を付けねばなるまい。どんな内容であろうと聞く覚悟は出来ている。
「ヘドザード伯爵に気に入られた。それが不幸の始まりだったと聞いたよ」
「ヘドザード伯爵といえば、この前屋敷に来ていた人ですか? あのやたら派手な服装でわたしをジロジロと見てきた……」
「そう。彼は昔から気に入った物を全て手に入れようとする人でね」
数年前、ヘドザード伯爵は息子のべズバーという青年とウェルマの婚約を王に申し出た。レイモード伯爵ではなく王である自分に話を持ってきたことを怪しんだゼルトウェードは事の詳細を秘密裏に探らせたらしい。
そこで発覚したのがヘドザード伯爵がウェルマを甚く気に入っているという事実だ。ウェルマの同席を求めたり、執拗に休暇を尋ねたりと第二王子の側近間では対応に困ることばかりだったと言う。一夫多妻が認められないウェルスツェーラムで、妻のいるヘドザード伯爵はウェルマを娶ることは出来ない。世間体を考えれば伯爵令嬢を愛妾にする事も難しい。そこで、息子を使ってウェルマを手に入れようとしているのでは、と考えられた。
「息子のべズバーは使用人上がりの愛妾の子だったそうだ。夫人の子と偽っていたことからもウェルマリーゼ嬢狙いと考えて妥当だろう。だが、そもそもウェルマリーゼ嬢には既に婚約者がいたらしくゼルトウェード様は婚約の申し出を受理されなかった」
「王様に受理されなかったのならヘドザード伯爵は諦めるしかありませんね」
お父様がゆっくりと首を横に振る。
「ヘドザード伯爵は諦めたかもしれない。だが、息子のべズバーは違う。父親になんと吹き込まれていたのかは知らないが、受理されなかった事実に納得がいかなかった。そこで彼は夜中にウェルマリーゼ嬢の部屋へ忍び込むという大胆な行動に出た」
「夜中ってまさか……。ウェルマは? ウェルマはどうなったのですか!?」
お父様はわたしの頭にポンッと手を乗せると「大丈夫だ」と微笑んだ。
「ウェルマリーゼ嬢は必死に抵抗し、当直の護衛騎士に助けを求めに行った。だが騎士は持ち場におらず、騒ぎに気が付いた第二王子が捕らえたそうだ。第二王子は暴れるベズバーの右腕を切り落としたというのだから本当に末恐ろしいよ」
ウェルマはきっと身の毛がよだつ思いをしただろう。だから行儀見習いや城の話になった途端に様子がおかしくなったのだ。わたしはウェルマが無事で良かったと思う気持ちと、ウェルマの様子がおかしくなった時点で何もできなかったことへの歯がゆさを覚えた。
「……そうだったんですね」
「それにしてもウェルマリーゼ嬢を安全な場所へ療養へ向かわせたと聞いていたが神殿だったとは驚いた」
「でも、お父様が入れるんですし、ヘドザード伯爵も神殿へ入れますよね。個人の部屋にもそれぞれの証明の石がないと入れないとはいえ、今日みたいに扉が開けたままになっていれば簡単部屋へ入れてしまいます。安全とは言えないと思うんですけど」
「確かにヘドザード伯爵も証明の石を持っているはずだ。ゼルトウェード様が何かと理由を付けて一時的に没収している可能性は否めないが、そもそもヘドザード伯爵が神殿へ足を運ぶのは大規模な神事の時くらいだろう。私のように毎週通う者は滅多にいないさ」
……お父様って信心深い人だったんだ。知らなかった。
「ウェルマの前で昔話は聞かない方が良さそうですね。気をつけます」
お父様が静かに頷き、馬車の中には少しの沈黙が流れた。外から心地の良い賑やかな音がよく聞こえる。
「城では今頃、ハルーム王子がフレデリクト様を振り回しているだろうね」
「そうですね。フレデリクト様が倒れない事を祈ります。……そうだ、お父様。ハルーム王子とフレデリクト様は血が繋がってるんですか?」
お父様は驚いたように目を丸くして頷いた。
「よく分かったね。フレデリクト様はハルーム王子の異母兄だ。ソルステルラ国王の弟君と養子縁組をしているので公的な場では従兄として扱われる」
ソルステルラではウェルスツェーラムと違い、王族と貴族階級の者に限って一夫多妻が認められているらしい。フレデリクトはソルステルラ国王の長子だが、一番実家の位が低い第三夫人の子。王位継承権を巡って第一夫人の子であるハルームと対立しないようにソルステルラ国王の弟である公爵と養子縁組をしているそうだ。
……一夫多妻だの王位継承だの、話の中なら面白いけど現実だと笑ってられない話だね。フレデリクト様、ホントに不憫。
「顔立ちはさほど似ていないと思うが、どうして二人が血縁者だと分かったんだい?」
「ああ、それは同じ深緑色の瞳をしていたのと、笑った時の雰囲気がそっくりだったので」
ハルームとフレデリクトが同じ瞳の色をしているということは、ソルステルラ国王は彼らによく似た深緑色の目をしているのだろうか。
……笑った時の、あの無邪気そうな雰囲気も父親譲りだったりして。そういえばハルームって名前をどこかで聞いたことがあった気がするんだけど、なんだったかな?
その場にいた時は驚きが勝って特に気にならなかったが、ハルームと顔を合わせたのは今日が初めてだったはずなのに名前だけは聞き覚えがある。同じ名前の知り合いがいただろうか。生粋の箱入り娘であるわたしの知り合いとなると相当限られてくる。兄弟の名前も碌に覚えていないわたしが数回会った程度の親族の名前を覚えているはずがないので、確実に親族ではない。召使いも同様だ。
となれば前世の可能性がある。外国人の知り合いはいなかったが、本やテレビでたくさんの名前を見たり聞いたりしている分こちらの方が有り得そうな気がしてきた。
……そのままハルームって名前じゃなくても似たような名前の俳優さんとかキャラクターとかいそうだよね。
わたしが前世で好んで読んでいたのはファンタジーなので、登場人物が大体外国人っぽい名前だった。わたしの推しであるルステルードが登場する作品も例外ではない。ただ、前世の記憶はどうにも曖昧なところがある。思い出せない部分が多い。
……うーん、なんとなく本で読んだ気がするんだよ。でも、ルステルード様が出てくるあの作品は絶対にない。大体のストーリーは覚えてるし、アニメ化とかゲーム化された時のオリジナルキャラクターもちゃんと記憶にあるし。
あの作品に関して覚えていない、というより知らないのは続編の内容だけだ。わたしが死んでしまったので一巻の内容までしか知らない。
……そうそう、続編の一巻はルステルード様の過去編だったんだよね。エピローグの母親視点の話でルステルード様の幼名がハルームだったって分かってそれはそれは大興奮……。
「ってああ! そうだよ、ハルームってルステルード様の幼名じゃないの!」
……ふぅ、やっとすっきりした。
「ミ、ミリアディーナ?」
お父様が驚いて目を瞬いている。そこでわたしは自分が唐突に大声を出して盛大にガッツポーズを決めた変な状態だと気が付いた。急いで姿勢を改める。
「お父様、忘れてください」
「ハルーム王子がどうとか言ってなかったかい?」
「言ってませんわ。おほほほほ」
わたしは口角を最大限に上げて否定した。わたしが言ったのはルステルード様の幼名のハルームであって、ソルステルラのハルーム王子ではない。あの笑顔で嫌味を言う少年と、イケメンで優しい青年とでは天と地の差があるのだ。勘違いされたくない。
……あれ。ルステルード様も王子だったよね。ルステルード様も元はハルーム王子ってこと?
妙な共通点を見つけてしまったわたしは「まさかね」と必死に記憶をかき消しながら馬車に揺られて屋敷へと戻った。
ウェルマリーゼの過去を語るディクドリード。
そして、妙な事に気づいたミリアディーナです。
次回はまたまた妙な事が発覚します。




