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 アルトゥールは、思いがけず戦のさなかに騎士として叙任された。


 雪解けから間もなく北狄が攻め込んできたからだ。

 二つの村が略奪されて焼かれ、国境の砦も落とされた。


 複数の部族が示し合わせて同時に南下してきたのだ。

 辺境騎士団は速やかに応戦することとなり、アルトゥールもマクロフとともに従軍した。


 そこで止めなければ、フィリーネの住む城にも戦火が及びかねない。

 アルトゥールは初めは射手のとりまとめ役、次に盾持ちとして戦線に加わった。


 何度目かの戦闘でマクロフが左腕を損ない、戦線を離脱したのが転機だった。


 彼は血まみれの右手でアルトゥールに自分の剣の束を握らせた。

 愛馬を頼むと告げると、肘から先をなくした腕に血止めの焼きごてを当てられ、気を失った。


 アルトゥールは陣幕の中で慌ただしい叙任を受けた。

 欠けゆく戦力の穴埋めのためであり、甲冑は借り物だったが、それがどこか自分に相応しいと感じた。


 馬は、これまでの世話係を新しい主と認めてくれたらしく、戦場をよく駆けた。

 無我夢中だったので全く記憶にないが、アルトゥールは敵兵をなぎ倒すうちに敵陣のど真ん中に突っ込んで戦列をかき乱し、突破を果たしていた。


 そこに辺境伯が呼んでいた王都からの援軍が駆けつけ、後援する形で敵方を壊滅させた。

 北狄の将が生きて捕らえられたので、向後の取引材料になるはずだ。


 結果は奇跡のような勝利だった。

 だが、マクロフがその場にいたら、無謀に過ぎると殴り倒されていただろう。




 数日後、アルトゥールは城に戻るなり、負傷者が集められている大広間に急いだ。

 深手を負ったマクロフのことが気がかりだったのだ。


 ずらりと怪我人が横たわる寝台が並ぶ中に彼はいた。

「怪我はどうですか。痛みますか……?」


 マクロフは左腕を見下ろしていった。

「そりゃなあ。しばらく馬上で剣は握れんな。槍はもっと厳しいか。さっき、辺境伯がここへ来られてな。この姿を見て驚かれて、絶対に生活の保障をする、何も心配するなとずいぶん励ましてくださったが、かえって申し訳なくなって落ち込んだ」


 言葉も出なくなったアルトゥールに、マクロフは苦笑いを見せた。


「それよりもお前だ。初陣で、敵を一点突破の大活躍だ。左腕さえ無事なら、莫迦な真似をするなと一発お見舞いしてやったのにな。お父君もわざわざやって来た甲斐があったってもんだろう」

 アルトゥールは思わぬ話題に目を見張る。


 マクロフは小声で耳打ちした。

「……まだ伏せられている話だが、都からの援軍の将は、おまえの父君だ」


 父は確かに国王陛下直轄の騎士団を団長として預かっているが、自ら兵を率いてきたのは予想外だった。

 辺境でも名の知れた騎士がやって来たことが知れれば、騎士団の面々も色めき立つに違いない。


「援軍は少数精鋭でな。ほとんどは王都に帰って行ったが、父君はしばらく滞在されるようだ。今は伯の執務室で捕虜の処遇について協議しているらしい。顔を見せにいけよ。叙任を喜んでくれるだろう。それからな、おまえにもう一人、思わぬ客人が――」


 アルトゥールは思わず腰を浮かせていた。

「また後ですぐに来ます!」


 何か言いかけたマクロフを置いて、アルトゥールは辺境伯の執務室へ急いだ。


 城の最奥の要人が招かれる一角には、ひよっこ騎士が軽々に立ち入ることはできない。回廊の陰に身を寄せて様子をうかがっていると、重々しい足音が近づいてくるのが聞こえた。

 思った通り、歩いてきたのは父だった。


 そこにもう一人の人物が駆けよってきたので、アルトゥールは思わず柱の後ろに隠れる。


「お待ち下さいませ。……都からおいでの援軍の将とは、あなた様でしたの」

 呼びかけたのは、アルトゥールにも聞き覚えのある老婦人の声だ。

 フィリーネを預かっている北方の領主夫人に違いなかった。なぜここにいるのだろう。


 父は驚いた様子で返す。

「あなたこそなぜここに? 御領地からここまでかなり距離があるはず。辺境伯と交流があるとは、存じ上げなかった……」


 ふたりはどうやら旧知の間柄のようだ。

 しかし、決して親しんだ関係でないことは、夫人の硬い声と父の戸惑った様子から手に取るようにわかる。


「では、あの子がいるからこちらにおいでになったわけではないのですね? まだ顔を合わせてはおられませんのね?」

「……来ているのですか? あれが、この城に……?」


「数年前から、わたくしどもの領地まで北狄の危害が及ぶこともありうると、辺境伯にはずいぶんご助力いただいておりますの。夫もわたくしももう年が年ですから。あの子はこのたびの戦のことで胸を痛めて、看護人としてここへ来ることを志願したのですわ」

 アルトゥールには、ふたりが誰のことを話しているのかわからない。 


「……あの子がどのように成長したか、少しはお気になさいませんの? 新しい奥方を迎えるために家を出され、母君をなくし、わたくしどもに預けられてから七年。結婚して子がいてもおかしくない年齢になったのですよ」

 夫人の言葉には険があった。それはおそらく、何かを守るための棘だ。


「そ……、添いたい人ができたと、でも、後ろ盾のない自分ではその人には相応しくないから求婚を断ったと、悲しそうに話すのですよ。一生恋人でいいのだと笑って……」

 何かがおかしいと思った。まるでふたりがフィリーネのことを話しているようだ。


 短い沈黙のあと、父は淡々と答えた。

「ではやはり、任務が済み次第、顔を合わせずに帰ることとしましょう。どの面下げて会えましょう。……十年間も捨て置いた娘に」


 アルトゥールは息を止めた。今、父は誰のことを何と言ったのか。


「父上」

 アルトゥールはいつの間にかのろのろとふたりの前に進み出ていた。


「父上のお子は流行り病で亡くなったのではないのですか? 先の奥方と一緒に」


 父と夫人が同時にこちらに視線を向け、息を呑む。

「アルトゥール殿、あなたは、この方の……、新しい奥方の……?」


 みなまで言わず、夫人は目を大きく見開き、泣き顔になった。

「なんてことなの。あの子に何と言ったらいいの? いえ、とても話せないわ。いったいどうしたらいいの……」  

 夫人は両手で顔を覆い、その場に立ち尽くした。


 夫人の言う「あの子」が誰を指しているのか、もはや、理解せざるをえなかった。


 父は夫人とアルトゥールを鋭い目で交互に見つめている。

「アルトゥール。どういうことだ? 説明してくれ」

 アルトゥールは唇を噛みしめ、唾を飲み下す。


 説明するべきなのは父のほうだと思った。でももうこれ以上何も聞きたくはなかった。

 アルトゥールは思わず駆け出して、その場を離れていた。




 幼い頃から見知った城を、まるで迷子のように彷徨った。


 この城にフィリーネがいるという。

 早く会いたかった。同時に、会うのが恐ろしくもある。


 いつの間にか降り始めた雨が、アルトゥールの髪を、顔を、肩を濡らした。


 彼女は大広間にはいなかった。早速洗濯を手伝っていると聞いたので井戸を訪ねたが見つけられず、あちこちを探した。


 彼女は、中庭の物干しの側でたくさんの洗濯物を取り込んでいた。

 大きな籠を抱えた姿が、初めて会ったときに林檎の籠を手にしていたのと重なった。


 彼女はアルトゥールに気づくと、花開くような笑みを浮かべた。

「アルトゥール!」


 籠を廊下の柱のそばに下ろして、フィリーネが駆けよってくる。

「ぶじでよかった。激しい戦になったと聞いたから心配で、奥方様がこちらにお見舞いに行くというのでお願いしてついてきたの。でも、マクロフ様に、あなたが叙任されて、立派に戦ったのだと教えていただいて、それで……」


 彼女は、まだ知らないのだ。

 自分の父がこの城に来ていることも、アルトゥールがその養い子だということも。


『新しい奥方を迎えるために家を出され、母君をなくし、わたくしどもに預けられてから七年』


 夫人の言葉が正しいとすれば、父親がアルトゥールの母の再婚相手となったがために、フィリーネは母親と共に離縁されている。

 子を産んだ彼女の母が愛妾の身分にすら留まれなかったのは、アルトゥールの母が関与していたからではないのか。


 アルトゥールは重い足を踏み出し、無理矢理に笑顔を作った。

 そして腕を伸ばして彼女を引き寄せ、抱き留めた。自分の顔を見られないように。


「アルトゥール……?」

 彼女の声は戸惑っていたが、柔らかく華奢な身体からはすぐに力が抜けた。


「……どうしたの?」


 答えられず、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

 アルトゥールが、彼女の孤独の元凶だ。

 母はアルトゥールのために騎士と再婚することを望み、彼女と母を家から追いやった。


 そうでなければ、夫人が言ったように、彼女は今頃家族に祝福されて嫁ぎ、子どもを産んで幸福に暮らしていたかもしれない。

 そのことを知られたら、きっともうこれほど優しい声で語りかけてはもらえない。

 彼女が自分に微笑んでくれることはない。

 それは足下が崩れ落ちるような恐怖だった。


 それでも、いずれ知られてしまうなら自分の口で言うべきだと、アルトゥールは思った。

「あなたは、僕が誰なのか知ったらきっと、僕のことを憎むと思う」

 フィリーネの両肩を両手で支え、少し身体を離した。

 真っ直ぐに彼女の顔を覗き込む。


 美しい黒い瞳がひたむきに見上げてきた。

 もうすぐこの目が翳るのだと思うと、胸が塞いだ。

「でも、覚えていてほしいんです。あなたが誰であっても、僕があなたを好きだという気持ちは変わりません。誰にも許しを得られなくてもあなたと結婚したいし、あなたと一緒にいられるのなら、騎士の身分を手放して、家族も捨てて、この国を出たってかまわない」


「どういうこと……?」


 眉を寄せている彼女が、アルトゥールの肩越しに何かを見た。

 その目が大きく見開かれ、唇がわななくのに気づいて、アルトゥールも後ろを振り返る。


 そこには、義父と領主夫人とが並んで立っていた。

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