第6話 亡国の妃2
大公妃は、宴の半ばに中座して、中空庭園にて夜風に当たっていた。
国王カーレルは、ひとり佇み、夜の市街地の景色を眺める大公妃に声をかけた。
「あら、陛下。
わたくしがこの宮廷にお世話になっておりました頃にも、この景色を幾度見たことでしょう。
少し、寂しくなったような気もしますけど、なつかしいわ」
「リン=ルーフェンタール。
あの、つまらない事を伺ってもよろしいですか」
その姿は、国王の威厳をまとっていない、ただの少年としての顔つきだった。
「どうなされました、カーレル陛下」
大公妃は、その気配に気づき、呼称を意図的に変えた。
「さきほど、大公妃殿下は、我が父上を尊大だと仰いました。
ですが、僕にはそんなイメージは無いのです。
むしろ、元々は陸戦部隊の指揮官から、聖典が開示されて国王となった、庶民的な視点を持つ王だと思っておりました」
「陛下が、そう思っておられるなら、それが正しいのです。
アストレーデは、どのように陛下にお告げになりました。
人の口に上る話など、お信じになりませんように」
大公妃は、前言を撤回するがごとく、そのように云った。
「それにしても、あの頃の宮廷は、それは華やかでございましたのよ。
あのグラーノ王弟殿下やルーサザン公爵など、うら若い上流貴族らは、宮廷の女たちの火遊びの格好の獲物でございました。
まさか、あの方が、夭逝されるとは思いもしませんでしたけれど。
あら、いけません。
お祝いの席に、私としたことが、このような話を」
大公妃は、手にした扇で顔を隠した。
「いえ、お続けください。
その華やかな宮廷で、何があったのか」
大公妃は、緩やかにほほえんだ。
その笑みは、庭園を照らす照明のためか、ほんのりと影を落とし、深い悲しみを潜ませているように見えた。
「人は、守らねばならぬものがございます。
その事は、おわかりね」
大公妃は、暫し沈黙して、言葉を選んだ。
「リン=ガーレンディラは、為政者としては国にとってはあまり良い方ではないと思います。
でも、あの方が守るべきものが国でなければ、国などどうでも良いのです」
「ならば、なぜ国を、他の者に託されないのか」
「国のすべてを握らなければ、守れない事もあるのです。
たとえ、それがどれほど愚かな事であろうと」
その時である。
侍従の一人が、国王の前に寄って跪礼をした。
「陛下に申し上げます。
太陽系連邦大使が、陛下にご挨拶をとお待ちでございますが」
暫し待たせよと云おうとした国王より先に、大公妃は云った。
「陛下、私はこれ以上、何も申し上げることはございません。
それが、私の女としての義理でございます」
大公妃は、立ったまま、深く頭を下げた。
国王は、それ以上何も問うことはできず、場を去った。
そして、大公妃の視線は、暗がりに潜む者に注がれた。
「あなたが、ライール卿ですのね」
シドは云われて、立ち上がった。
「ミスチアは、私が何を陛下に吹き込むのか、その事を恐れているのでしょう。
私にも、それくらいの情はあるのだと、お伝えなさい。
それから、ファルティア伯爵。お父様がお怒りでした」
その称号で呼ばれて、シドはそばに寄る以外に無かった。
「アギール公爵は、先日、リン=ルーレンシアを伴い、女子修道会を訪ねて来られた。
リン=ルーレンシアは、女子修道会にお入りになり、クラウサリ様は、古家の縛りを外れて、庶民として帝国大学の預かりとなりました。
伯爵はもうこの地にとどまる必要はないのだから、即刻帰れと伝言してくれと。
あの実直なアギール公爵が、格上の私に、私事で頼み事をせねばならぬ心情も考えよ」
シドはしばらく黙っていた。
「だが、見たところ、ミスチアも戻れぬ橋を渡っておるような。
そなたも自分の身を案ずるなら、そろそろ潮時でしょう」
「……アギール公爵に、義父君に、お許しくださいとお伝えください。
私はもう、ファルティア伯爵ではありません」
そう言い残し、シドはその場を後にした。
「やれやれ。
ミスチアよ。
そなた、あのうら若い男二人とも、飲んでしまうおつもりか」
幾多の宮廷人と浮き名を流し、そして誰とも添わぬ、今は亡き国の称号を持つ女が云った。