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第29話 波乱 6

 シドは眠りにおちたミスチア王太后の傍らに在り、女主人を目覚めさせる時をはかっていた。

 国王カーレルの容体は、一時止血が適い安定したと思われたが、血圧の低下が著しく、現在、輸液の是非のために王の主治医、宰相らをはじめ、ラーフェドラス王国教会ロムルス教主ら戒律審議委員らによる会議が行われていた。


 この場において、最終決定権を持つのは、王太后ミスチアであろう。


 もし戒律を違反することをいとわず救命措置をとるなら、カーレルは王権を失う。だが、譲位について次の王を指名することはできる。アストレーデが開示された者がいれば、その者を指名するだろうし、開示された者がいなければ、間違いなくカーレルはマルファル公爵グラーノを王として立てるだろう。あるいは、年端がゆかないが現ルーサザン公爵ガルディアを立て、自分は背後のブレーンとして政治に関与し続ける道も無いわけではない。


 ミスチアはカーレルの延命を望むだろうか。

 母としてのミスチアは、決して息子を愛さなかったわけではない。

 

 愛する機会を逸し、そのまま大人になっただけのこと。


 母親。


 自分の母親の死の瞬間を、シドは見ていた。

 大きく開かれた目に涙を溜めて、見ないでと叫びながら、エル・シドの姿を目に焼き付けるように見つめていた。

 ノーダヴィダ王家に連なる大貴族の娘であった

 アギール族の次の族長と目されていたシドの父、ルーディージ候爵ハリファの宇宙船が宇宙海賊に襲われたのは、ラパン星域を巡る利権争いのせいだった。

 普段なら、単独行動は決してしないはずの前ルーディージ候の宇宙船が単独で船団を離れたのはエンジントラブルによるもので、至近の鉱石惑星に停泊して施設を借りるためであった。

 今から思えば、一族に誰か内通者がいだのだろう。移動の途中で待ち伏せていた海賊バルドゥに襲われ、父は即死、母はエル・シドの目の前で暴行されながら殺された。その後、エル・シドはバルドゥの「愛人」にされ、恐怖と薬物と、それからマインドコントロールによって一級の殺人技術を仕込まれた。

 五年たって、アギール族に助けられた時、叔父であるリダルが族長の称号であるアギール公爵の地位についていた。


 リダルは太陽系連邦とのコネを使い記憶の改竄を行い、エル・シドに掛けられていたマインドコントロールを根本から解放した後、実の息子として正式に迎えた。事件に巻き込まれるまではとても楽しい関係だったリダルの二人の息子たちが実の兄となったのだが、五年の歳月に起こった出来事によって、エル・シドは以前のように、兄たちに心を開くことができなくなっていた。


 ファーマムール国王のエプタプラム公サラディンの命令により、ラーフェドラス宮廷に潜入する任を受けたのは自分の意志だった。宮廷で工作活動を行うなら、その宮廷の主人の犬であることが一番働きやすい。エル・シドにはバルドゥのところで仕込まれた技術があった。不本意にも仕込まれた人間の抗えぬ欲望を利用する技術と、自分の感情を殺してあらゆる潜入工作活動を行う技術の双方を、最大限に生かすことが出来る場である。そしてその技術を持つ者が、一族を統べる者たちのなかには自分の他にはいなかったので。

 それは、アギール公爵リダルに対する恩義を返す気持ちも多分にあるが、どちらかといえば、他の国家に属する古家とは違い、古家の責務を負いながらも、民衆とあまり分け隔てのない暮らしをするアギール族より他を知らない、純朴で奔放な兄たちに溶け込めぬ距離感が苦しかったのだと思う。


 共有できない悩みを抱いていた少年期から青年期に成長していくシドにとって、この任務はまことに居心地のいいものだった。

 ラーフェドラス王国の宮廷に入るステップとして、一年間、貴族の師弟の通う侍従学校で学んだ。そこで表面的な交友関係を結ぶのはそれほど息苦しいものでもなかった。その後、宮廷に雇用されることが決まると、その容姿を王太后の気に入るように計算して整えた。

 シドは、最初、身の周りの世話をする執事の一人として西宮に配属された。

 普通の貴族出の侍従職は、最初のうちは掃除や備品磨きなどの下仕事を厭うものだが、シドはそれが楽しかった。一心不乱にそれらに打ち込むことで、自分の過去の全てを忘れ去ることができた。


 海賊の手込めにされて、その上望まぬ技術を身に付けた自分が遠い別の世界の誰かで、こうやって一心に宮廷に仕えるために自分は生まれて来たのだと、信じることができた。


 信じていたから、上手くまわりをごまかすことができた。


 だが、そうやって王太后の目に止まってから後は、またあの自分が真実なのだと思い知った。宮廷工作のために、非合法の薬物が必要で、そういったものを扱うには、やはりそういった別の非合法組織から買い付けるより無かった。

 潜伏するための技術、また、暗殺のための技術。


 それらを鍛錬してきたのが、たとえ薬物の効果も多少あったにせよ、自分を飼っていた男の歓心を惹いて、よりよい「時間」を過ごすために他ならなかった。


 そんな昔のことをあれこれ回想するのも反吐が出るほど嫌だったが、自分がこれほど王太后にのめり込んでしまったのは、やはりカーレル国王を愛することを望みながら、政敵として脅威を感じ、排斥し、そして生まれてより一度も手を差し出さなかったことに対する深い罪悪の念を感じているからに他ならなかった。


 母を殺した相手に身体を開き、求めた自分に対する嫌悪がゆえ、王太后の屈折した愛情を理解できるのだ。 


 哀れな母子に残された時間は、決して多くはないのだろう。

 最低限度の医療行為のためにつけられた医療器具の狭間で、王はベッドのガードを握って誰かの手を求めていた。


 シドは思案する。


 その手を取らせるべきか否か。


 もし、その手を取れば、この状況は変化する危険をはらんでいた。

 だが取らねば、その悔恨で何もかも手放してしまうかもしれない。


 母の大きな黒い瞳が浮かんだ。

 美しい黄色のシフォンのドレスが、赤黒い血でべっとりと濡れていた。

 その時の血の匂いが、記憶より再現されて現実のもののようにシドの鼻腔をかすめていった。

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