第23話 神意たる玉座 6
* * *
ミスチアは目覚めた。
身を動かすと、全身を貫く鋭い痛みが走る。
だが、侍女たちはベッドの背を上げて、ミスチアを座らせようとする。
「いやです。痛い……」
身を動かすと、ミスチアの身体の奥からどっと流れてくる血のかたまりを感じる。
「そうはまいりません、リン=ガーレンディラ。王子様をお抱きになって、初乳をさしあげなくては」
産まれてきた王子の世話役として配置された医師の資格を持つ女官が云った。看護婦らはミスチアの胸をあらわにすると、温かい布で温めて、そっとマッサージする。
それは激しい痛みであった。暫く看護婦がもみ上げると、ミスチアの堅く尖った乳首から白い滴がこぼれてきた。
「おめでとうございます。お母様になられたんですよ」
そして、奥から小さな包みが運ばれて来る。
真っ赤な人形にもにた、可愛いというよりはグロテスクなものと、ミスチアには思えた。
しわしわで、目と口はあるものの、とても人の形には見えない。
ミスチアは、その時まで新生児というものを見たことがなかった。それが将来王になるものとはとても思えず、そしてそれが自分の産み落としたものである、ということもピンとこなかった。
たしか、気を失う前、子が出てきたと感じた後に、腕に抱かされたような気がする。が、ミスチアは三日に及ぶ出産で、精も根も尽き果てており、何も覚えてはいない。そして今もまだ本当は座っていたくなどはない。その変なもののために、座らされるのは苦痛に思えた。
腕に抱かされ、乳首をその口に含ませる。
乳腺を何かが動き回り、そして出て行く感覚がある。だが、暫くするとそれは止まった。
「リン=ガーレンディラはまだお体が小さくあらせられますから、あまりお乳は出ないかもしれませんね。ですが、大丈夫ですよ。数日したら出るようになることもままある事ですから。それでも、初乳を飲まれたのですから、王子様もきっと元気にお育ちです」
なよなよとしたその生き物を、首を支えて乳母が受け取った。
「それでは、リン=ガーレンディラ、お食事をなさって、どうぞお休みくださいませ」
そしてわが子をまじまじと見る暇もなく、王子とその担当の者たちは去っていった。
たった今、腕の中にあった頼りないもの。
私はその子を鬼神に捧げたのだ、あの王に与えられたこの三日の苦しみに耐えられず。
あの小さな生き物は、私の子どもなのだろう。私の願いが叶えばこの子はどうなるのだろう。鬼神に喰われてしまうのか。
だが、願いが叶えばこの子が王だ。
そのための開示をこの子に下すのだろうか。
そして、ミスチアは気づいてしまう。最初は生き物と呼んでいたそれが、たった今、この子と呼んでいる事に。
自分は、怖ろしい取り引きをしてしまったのだろうか。
鬼神はこの子を取りに来るのだろうか。
至高神たる黒き龍の妻、姿を定めぬ神、『糸つむぎ娘』あるいは『人喰らう鬼神』、その神に捧げてしまったのだ。
* * *
自分の見ているものが夢である事は分かっている。
産まれた日の夢。ミスチアがこの宮廷での悪夢から逃れるには、国王の死を望むしか他になかった。
鬼神は祈りを聞いたのか。
そして、今、あの子の命を取るのか。
浅い眠りが、ミスチアを苦しめる。
高い塀の奥に隠して、何も見えず、何も見せず、外に触れさせず大切に守ってきたものが、今奪われるのか?
奪われる?
願ったのは私ではないか。
古い遊牧民の装束を纏った少女が糸車を廻す。
くるくる、くるくると。
廻して紡ぐ糸を巻き取る。
カタリ、カタリと糸車が回る。
時の紡ぎ出す人の世の運命の糸を、くるくる、くるくると巻き取ってゆく。
時の神が維持しようとする天の法則の秩序など、
この神には我が衣を彩る金糸、銀糸の糸に過ぎぬのだ。
鬼神が喰らう。
喰らうのは人の心に棲む恐怖。
恐怖に震える心を喰らい、その血でその美しい少女の顔を飾る。
さあ、願え、憐れな娘。
望まぬ人生を与えられ、望まぬ命を与えられ、
なおも受け入れられぬさだめを呪うなら、
来よ、恐怖に青ざめたるその冷えた身体を我に委ねよ。
糸紡ぐ娘が微笑んだ。
凍り付いた笑みの、少女のミスチアがそこにあった。
泥の中を蠢くような眠りが、ミスチアを捉えて闇に引き込むのだ。
深淵の闇へと──。
【作者コメント】
ようやく、話が盛り上がってきましたね。
書いてて楽しくなってきました。
今回、どこまで波にのれますかね。頑張ってみますね。