第9話 ファンタナールとリトリウス2
展望室はリラックスルームになっており、靴を脱いで寛ぐスペースもある。
少年はそこに横たわり、星を見上げた。
うとうとしてしまってもいいように、携帯端末を脇に置いてそうしていたら、少年の側に誰かやってきた。
「一人になるのは、自重しなさい。
あの事件の後だ。
みんな、きみの事ではピリピリしているよ。普段はそれを顕わさないがね。
自室以外で一人になるのは、避けたほうがいい」
アーサーは、少年の側に座った。
「レイノルズ修道士」
少年は慌てて身を起こす。
「かまわないよ。今は時間外だろう。
慣れるまでは宇宙船酔いで頭が痛いだろう?」
少年は、ほとんど王都サラ=オーディンティオスから出たことがない。
ルーサザン公爵領になど、ごく小さい頃に行った記憶しかなく、このような本格的に恒星間航行を行う長距離宇宙船は初めてといってもよい。
「すみません。
そうです、僕、頭痛くて」
両腕を目の上で交差させて少年が云う。
「乗艦勤務が続くと、今度は陸酔いをする。
まあ、こっちはすぐに慣れるけどね」
アーサーは珍しくビールを片手にしていた。
「少し、話す相手を探していてね」
「ストレイカー少佐は?」
「たまには、違う話題がしたいからね。
それに、きみとはずいぶん話していないし」
プシュと小さな音がして、缶のリップが押し開けられた。
「私は、陛下にご挨拶せずに、艦隊勤務になってしまった。
それが心残りだよ。
講義の内容も中途半端なままに」
これまで、アーサーは少年とこのように打ち解けて話す機会を持たなかった。
それはいつもエドワードの役目で、彼はいつも上手に少年の心を開く。どちらかと云えば、それを黙って見守っているのがアーサーの役割だった。
「でも陛下は、公の場に立つ決意をなさいました。
おそらくレイノルズ修道士には、とても感謝なさっていると思います。僕が出立の挨拶に行った時も、レイノルズ修道士に宜しくとおっしゃっていましたから」
ビールにあまり口を付けず、アーサーは宇宙を見上げた。
「何か、お役にたっただろうか」
少年は、アーサーの珍しいその発言に少し驚きながら、その視線の先を見る。艦隊と、その向こうにガス状星雲が浮かんでいる。
「地球の歴史とか、面白かったですよ。
僕たちには、アストレーデ教に関わる諸国の歴史しかないけど、地球はほら、文明も、国の数も全然違うし、信仰の形も国ごとに違っていて、その中の為政者たちの事はすごく興味がありました。
どうして地球は、あんなに多種多様の文化と思想が生まれたのだろうと」
「多種多様であるという事は、一方で思想の対立による戦争も起こる」
アーサーは、ビールの缶を煽る。
「でも、それはアストレーデ圏でも同じでは。
反修道会派や、反政府軍などはいつの時代にも居ますし、それが充分火種ではないですか」
少年は起き上がり、座った姿勢でアーサーに云った。
アーサーは口の端で少し笑い、真摯に議論を求める少年に向きなおる。
「でも、アストレーデ諸国の者にとって、その対立者は自分たち以下の存在であるという思想があるかい?
貴族と庶民という階層は存在している。
だが、地球には、異民族や異教徒であれば同じ人ではないと思っていた者たちも居た。
しかし、このアストレーデ教圏においては、反修道会組織の者でさえ、修道会にとっては神々に愛されるべき存在として、その命を尊重するべきとしている。それが騎士団が行動する上で多少の矛盾を孕むが、それはまた別の問題だ。
その点においては、アストレーデ教圏はきわめて特異な文化と云わざるをえない。
地球史の側からすれば、宗教による支配は、異文化への独善的な攻撃性を産みかねない代物で、地球の多くの国は、宗教による政治的支配から、宗教を政治から切り離した形の民衆支配の方向へと変貌していかざるをえなかった。
しかしそれでも、民衆主権という形が、いかなる思想の下に行われるかで、またイデオロギーの対立を産む。そして、結局、すべてを一つの思想の下に統一されて初めて、人々は戦争を放棄するに至った。
最初から、一つのイデオロギーによって確立しているアストレーデ教圏の形こそ、人の行き着く最終的な形なのだろう」
「でも、国境付近の領土争いや、国と国とがこじれたら、その都度戦争状態になるのがアストレーデ教圏ではないですか。その意味では変わらない」
「違うな。
アストレーデ教圏における現在の戦争は、簡単にいえば人が人である限り持っている業のようなものだ。
そこに極端な差別の感情はない」
少年は、その言葉を口にするアーサに一種の寂しさというか、寂寥のようなものを感じた。まるで、地球の文化を否定するような。
「あの、お聞きしたかったんですけど」
そして、少年は話題を変えるべく、おずおずと口にした。
「何だい?」
「連邦の中央って、どんなところなんですか。
普通に人が暮らしているのかな」
今まで、その話題が国王との講義の席でも幾度となく出てきたが、これまでアーサーは、自分は中央の人間ではないので、と口を濁してきた。
「暮らしているらしい。
私は、再生で遺伝子管理局から出て、そのまま辺境艦隊勤務になったから、現実に連邦中央にある社会を見たわけじゃない。それに私の知識も、単なる教育プログラムのデータに過ぎない。
私に与えられた情報は、辺境艦隊を運用するために必要な情報だけだったよ。
私が記憶を受け継いだ元の記憶の持ち主も、同じようなものだった。
連邦中央には、連邦中央の市民しか入れないんだ」
少年は、初めてアーサーの口から語られる太陽系連邦の真実の話を聞いた。
「そうなんですか?
連邦は、平等かと思っていました」
「平等だよ。
平等を維持するために、等しく制約される。それが太陽系連邦なのさ。
そして、状況を異にする者は、その状況を異にするものがどういう立場に置かれているのかを知ることはできない。
だから、我々にとっては、アストレーデ教圏こそ自由。
太陽系連邦の国境線に住む自由交易惑星とその一部のコロニーこそが特殊なんだ」
公式とされている情報とは異なる真実に、少年は衝撃を受けるとともに、なぜ今日、この場でアーサーが少年に対して、その真実を語るのかに戸惑った。
「なぜ、今までそれをお話にならなかったのですか。
そして、なぜ今日、それを僕に話すのですか」
アーサーは少年に笑いかけた。深い悲しみと優しさが混在したその表情に、少年は今語られた言葉の重さを悟る。
「私たちは、亡命するときに守秘義務を掛けられた。
特定の人物以外に、この事実を話すことはできないんだ。マインドコントロールというやつだね。
そして、今日、私はきみに、それを話すことができるのは、きみがルーサザン公爵であり、そして騎士団長であるからだよ。
私の中にあるマインドコントロールの条件付けが書き換えられ、君が公爵であると認識した」
「父も、真実を」
「そうだね。私のあずかり知らぬことまで、良くご存じのはずだよ。
もうこんな時間だ。
具合が悪ければ、無理せずに薬を飲むんだね。酔い止めぐらいなら自然戒律には違反しないよ」
アーサーは突然話を打ち切り、缶を床に置くとポケットから錠剤入りのパックを取り出して少年に手渡した。
「きみは、訓練生だが、一方でこの騎士団のトップでもある。
ことさら云うまでもなく、とても複雑な立場だし、真実はきみの向上心を奪うかもしれないが、私は出来る限りきみを支えたい。修道士としても、私個人の意志としても」
展望室の至近を、中型高速攻撃艦が追い抜いてゆく。
少年は、アーサーとその背後を通過する中型艦を見た。
その左舷前方に艦名が記載してある。アストレーデ教圏のものではない、見たこともない不思議で角張った文字に少年は違和感とともに畏怖を覚える。
この艦隊の、どの所属の艦とも違う塗装を施されたその艦は、たちまちファンタナールを追い抜いてゆく。
アーサーの隣室にある従卒室に戻ると、手渡された錠剤を飲んだ。
パックには医事修道士の自然戒律についての条項と認可印、そして少年の名が記してある。
真実というもの。
様々なものの真実。
今見えている世界の形と、真実を知る者に見えている世界とでは、同じ世界であろうと違うものに見えるのだろうか。
そして、真実を知ったとき、自分の心のありようも変わるのだろうか。
少年はまだ、この守られた世界が失われる時が来ることを、予想すらしていなかった。