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5 ようこそ絶望、さよなら欺瞞


『グレゴール・ザムザはある朝、目を覚ますと虫になっていた』――フランツ・カフカ、変身より。


 有名な書き出しで始まるこの古典小説。本屋の海外文学コーナーに行けば必ずと言って良いほど並んでいる名作だ。


 しかしこの作品は非常に解釈が難しい上に、主人公が虫と気味が悪い。手に取ったは良いが、全部読めなかったのか、奇麗なまま中古本売り場に並んでいることも、しばしば。そんな光景を見ると、《あぁ、なんてもったいない……》と、海外古典好きのわたしは思ってしまうのだ。


 この本に書かれているテーマはおそらく絶望。おそらく、というのは、この作品が発表されたときに、作者は亡くなっており、作品を発表したのも彼の友人だったからだ。『作者は友人に、原稿は全部燃やしてくれ』と頼んだらしかったが、その友人は、そうはしなかった。できなかったのである。書かれている内容が、あまりにも素晴らしかったからだ。作者の友人は作家として活動をしていたため、その伝手でなんとかこの本を出版にこぎつけたのだそう。


 主人公の家は、父、母、自分、妹、家政婦の5人暮らし。主人公以外、家で働いている者はおらず、主人公は家族から、都合のいい人として扱われていた。しかし、主人公が虫になったせいで、一家は大混乱。一方、虫は、自分が一家の大黒柱であることを必死で訴え続けるが、キーキーと鳴るだけで家族には通じない。家政婦はドアの隙間から覗き込んで、自分を始末しようとしている。虫の運命はいかに……


 海外古典で一般的な話の流れは、書かれていない過去に事件がすでに起きていて、その途中から物語がはじまり、結末はすべて描かない、というものだ。読者に考える余地を与えるのである。また、歴史小説であれば、その先にどんな事件が起きたか、調べれば分かるので、その穴埋めは読者のほうでやるわけである。だから、これに慣れていないと、海外古典は謎のまま始まって、謎のまま終わってしまうこともある。


 カフカは保険屋さんみたいな仕事をしていたらしい。そんなこともあり、人の絶望的な状況に出くわしたりもしたのだろう。だから、昨日までピンピンとしていた大黒柱が、事故などで怪我をして、さらに悪いことに障害を負ってしまい、仕事を続けることができなくなってしまった、とか、そんな状況を容易に想像できたのだろう。


 カフカはそんな人達を、虫に置き換え、自分の人格を吹き込んだのである。人に見せるつもりで書いていないのだから、そういった意味ではかなり自由に書いていたのだろう。もし人気作家だったら、こんなことを書くのはいかがなものか、とためらってしまいそうだ。


 虫自身は非常にポジティブな性格をしている。きっと風邪みたいなものだろうと、そう考えているのである。だから、無理をしてでも会社に行こうとしたり、家族みんなと、今まで通りの生活を送ろうとするわけだ。


 しかし、家族から見れば、汚い虫が何か良く分からないがついてくる上、何やらキーキーと鳴いていて、鬱陶しい。内心では、さっさといなくなってくれないか、と思っている。そして、最終的に主人公は……


 虫に最善の選択はあったのか、と言われたら、それはおそらくないだろう、と答えるしかない。ただ、生き残る方法がひとつだけあったのは確かだ。


 それは、虫として生きる、ということ。つまり、絶望を知り、生きていく、という選択だ。絶望を自覚せずに生きていく、ということは、自分を騙して生きるということである。


 自分を騙している状態で、ある日突然、鏡を向けられて、「おまえは虫だ!」と言われたら、ショックを受けるのは当たり前。一歩間違えれば、言われた人は亡くなってしまうかもしれない。


 こういった絶望を取り上げた有名な哲学書がある。それが、セーレン・キェルケゴールの『死に至る病』だ。


 このような絶望は多かれ少なかれ、誰しも持ち合わせているはずだ。ただ、それに気がつくのが、とても難しい、ということをカフカは描きたかったのではないだろうか。


 だから、わたしを含め皆、実は自分のことを人間だと思っている、ただの虫なのかもしれないというわけだ。


 キーキー……


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