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21 なぜ人は魔法が使えないのか


 もし、あなたに子供ができて、その子供が、「ねぇ、お父さん、お母さん、なんでぼくは魔法が使えないの?」ときいてきたら、果たしてどう答えるだろうか?


「そんなことはないわ、きょうは調子が悪いんじゃないの?」と、とぼけるか、もしくは、「魔法なんてこの世にはない」と経験論で答えるか。


 大体の人が前者を選択することだろう。幼い子供にはたくさんの夢を見てほしいと大人は思う者だからである。


 それに子供の頃から大人の経験論を押し付けて、将来に良い結果をもたらすとも思えない。良心とは、漠然としていても「神様のような何かが見ている」という意識に他ならないからである。


 この問いに答えるなら、今回わたしは、カントの『判断力批判』を参考にする。この本に書かれているのは、人間の判断力についての分析である。


 人は、何かを判断するとき、大きくわけて二つの認識を材料としてもつ。一つは傾向性、二つ目は、意志である。


 傾向性とは、恐怖や痛みを感じるような状況が迫ってきたときに、身体が反射で自然と動いてしまうことである。


 一方、意志とは、傾向性のような反射とは関係なく行動する能力、たとえば、長期間の計画を立てたり、ある日突然理由もなく何かを継続的にはじめたり、あるいは死ぬまでやめたりするようなことである。


 もし人間が魔法を使えるとしたら、それは魔法が使える人間の認識能力に制限されたもの――すなわち、傾向性と意志という二つの認識能力を基に生成されることになる。


 しかし、どのように目の前の蝋燭ろうそくに向かってちからをこめて見ても、蠟燭の炎がつくわけではない。つまり、やり方が間違っているのである。


 やり方について元をたどれば、それは認識能力の問題に突き当たる。つまり、人間は、魔法の対象にしなければならない認識をまず得られていないということになる。


 人間は、『自然』をそのまま認識するのではなく、いったん抽象化された『自然一般(実体または表像)』を認識している。


 もし自然が、現実にいるわたしの友達の佐藤さんを指すとすれば、自然一般は棒人間に『佐藤』と書いたようなものである。人間は、現象でしかものを眺めることができない。佐藤さんのことを他人が見る場合は、佐藤さん自体を見ているのではなく、極端に言えば、いったん抽象化された棒人間の顔に佐藤と書かれているのを人は眺めているのである。もし佐藤さん自体を見れるなら、佐藤さんの心のことまで隅々とわかるはずである。


 自然は、人間が認識できない部分を含んでいる。人間は、自分が認識できた材料を使ってのみ、質量保存の法則や自由落下、万有引力の法則を導きだすのである。


 だから人間にとって必然的だとされている法則は、自然にとってはそうでもないことがあり得るわけだ。


 つまり、ある現象を見て、人は、法則そのものを眺めているのではなく、その現象から反省して、主観的な原理をまず導き出すのである。


 たとえば、わたしがリンゴを手に持っていたとする。次の瞬間、わたしはリンゴを手から放す、そして、リンゴが地面に落っこちてしまったとする。このとき、わたしが認識できるのは、わたしの意志、リンゴの体積、空気(または風)、重力(または重さ)、空間、時間である。これらの認識を組み合わせ、取捨選択しながら実験を繰り返せば、ある程度妥当な公式を導き出すことができる。


 しかし、その公式を自然にむかって当てはめ、恣意的な意図のもとに設定――つまり、魔法を使って、自然を思いのままにすること――たとえば、ヘリコプターに乗ってとことん高い場所から思い通りの場所にリンゴを落とすことなど――は、不可能である。なぜなら、人間の認識能力には限界があって、それを操るまでの材料が人間の認識能力では手に入らないからである。


 経験論と呼ばれる立場は、こうした人間の認識能力に支えられている。いってしまえば、ある現象から得た抽象――自然一般――に対して、反省を施すに過ぎない。だから、自然そのものが予知できるわけではないのである。


 しかし一部の過激な経験論者は、あたかもその反省が未来予知でもあるかのように語り、他者へ危機感を煽ったりすることがある。しかし彼らが信じているものは、認識の外側にある問題であって、それをあたかも真実であるとするように語る論調は、「実は、わたしは魔法が使えるのだ」と言い張るようなものなのである。これは、彼らの批判する理性のドグマ――無批判な独断論――とまったく同じで、経験という経典のドグマなのである。


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