第2話 情熱的で爆発的なラブレター
『それより、気付いておるか?』
(ん? なんのことだ?)
唐突に言われて少年は首を傾げた。
鬼姫はやれやれと呆れ返ったような調子で、巧真の頭の中に美しい声音を響かせた。
『たわけ。机の中になにかあるだろうが。なんとも純粋な霊力の残滓を感じんのか?』
(机の中って……教科書くらいしか入ってな――)
巧真はふと顔を上げた。
たしかに彼女の言うとおりだったのだ。意識を机に集中させてみれば、まるで人肌の名残のような温かさが感じられる。
それこそが、鬼姫の言うところの『霊力の残滓』というヤツなのだろう。
おそるおそる机の中に手を突っ込んで、その不思議な熱の在処を探ると……あった。
取り出してみれば、それは白の封筒だった。
ハートを模したシールで封がしてあって、一見すると時代遅れのラブレターのようである。
『ほれみろ。この程度の霊力感知もできんようでは、この世の中は生き抜けんぞ』
(霊力なんて、そんな得体の知れないものを感知しながら生きてる人間、俺はまったく知らないんだけどな)
『阿呆。主はもう人間ではないだろう』
そうだった、と巧真は頭を抱えた。
気を取り直して、何者かによって机の中に仕込まれていた封筒を、警戒しながら眺めてみる。
(これ、開けても大丈夫か?)
『さぁて。だが強い恋心は霊力となって物に宿ることもある。案外、ただの恋文かもしれんし、気になるなら開封してみればよい。というか妾も気になる。このままでは今夜眠れなくなるわ。さっさと開けてみよ。爆発せんことを祈りながら、な』
心なしか鬼姫は早口になっていた。
彼女の好奇心はダイレクトに巧真にも伝わってきて、それはすぐに少年自身の感情へと置き換わる。なにやら最後に不穏な言葉を聞いた気もしたが、しかしこうなってはもう封を切らずにはいられない。
僅かな恐れはすぐに吹き飛んだ。
巧真は、己の感情に従って一息にハートシールを剥がし、封筒の中身を手早く取り出した。
『主、こういうときは思い切りがいいな』
(誰かさんが急かすからだよ)
幸い爆発はしなかった。
封筒の中に入っていたのは簡素な便箋だ。
こうなってくると本格的にラブレターっぽいが、事実としてラブレターと言ってもあながち間違いではなかった。
そこには丁寧な筆跡で、短く一言書かれている。
(えーっと……「あなたに興味があります。お昼に屋上まで来てください」って、これは……ははは、なんの冗談だ? 俺に興味を持ってるヤツなんているわけないだろ。学園の生徒とはまともに話すらしたことねぇってのに)
『などと言いながら、ちょっぴり期待しているのは妾に筒抜けだからな。まったく、誰だかは知らんがつまらん手紙を寄越しおって! もっと面白いものと思って期待したのにがっかりだ。妾はもう寝る!』
(寝るって……おまえ、俺が寝なきゃ寝れないだろ)
『気分の問題だ! それに主も主だぞ! 興味をもたれたくらいでニヤニヤして、まさかとは思うが応じるつもりではあるまいな?』
好奇心から一転して、なぜか鬼姫は不機嫌になっているようだった。
巧真がしばし逡巡して出した結論は、
(ま、送り主には悪いけど、応じるつもりはない。おまえがいるってのに、誰かとただならぬ関係にはなれないからな)
『そ、そうか? ならばよい。うむ、主には妾がおるからな!』
(そもそも興味を持ったと言われても、それが恋愛的感情とは限らないけどさ。どちらにせよ普通の人間と関わるのはずっと避けてきたんだ。それは、これからだって変わらない。いまの俺が半分鬼である以上は――っ)
思考で紡いでいた言葉が不意に途切れた。
原因は、巧真が手に握っていた便箋に異変が起きたからだ。
丁寧に書かれていた短い文章が、まるで生きているかのように揺れ動き始めた。巧真が驚きにビクリと体を跳ねさせていると、動き出した文字たちは徐々に膨らんでいく。
嫌な予感がしたその瞬間だった。
ボン! と弾けるような音を立てながら、巧真の手中で便箋が青い閃光を散らし、弱々しく爆発した。
手のひらに衝撃を受けて反射的に歯を食い縛るが。
不思議と痛みはほとんど無いようで火傷などもしてはいなかった。
しばし呆然としてしまう巧真だったが、ハッとして教室内をきょろきょろと見回した。
クラスメイトたちは相変わらず談笑を続けている。
存在感の薄さが幸いして、いまの現象は誰にも見られずに済んだようだ。
騒ぎにならなったことに安堵の吐息を漏らす。
それは同時に重苦しく辛気臭いため息でもあった。
『ふむ、まさか本当に爆発するとは思わんかったぞ。いまのは霊力の膨張のようたが、攻撃の意思はなかったらしいな。とすると、なんのつもりだったのか……まあ、少しは面白いことになってきたではないか』
(いや、まったく面白くはないんだけど……)
しかし、巧真とて気になっているのは確かだ。
この手紙を出してきた相手は、果たして一体何者なのか?
なんの意図があって巧真を呼び出しているのか?
疑問に思うところは大きくこの二つだろうか。
なにはともあれ、このまま答えを得られなくては、それこそ今夜眠れなくなってしまうと少年は思った。
『ではどうする、主よ? やはり、これに応じてやる気はないのか?』
(わざわざ聞くなよ。俺が返事をしなくたって、おまえはわかってるはずだ)
ここまで情熱的で爆発的なラブレターを出されては、純情な男子としては応じないわけにもいかないだろう。
もとより、巧真は『普通の人間』と関わることが怖いだけだ。
相手は明らかに普通ではない。ならば恐れることなど一つもなかった。むしろ、久しぶりに鬼姫や詩織以外の誰かと話が出来ると思うと、それはそれで巧真の心にはワクワクとした感情が芽生え始める。
『フフ、よいぞよいぞ。ただの恋文であったのならば気に入らんが、こうも楽しげな誘いなら受けてやらねば失礼というものだろうからな』
今度は鬼姫も満足げな声でそう言った。
彼女もまた変わり映えしない日々に退屈を溜め込んでいたのだろう。
こうして、元人間と鬼のお姫様の一心共同体は、一年ぶりとなる他者との繋がりに喜びにも似た感情を覚えていた。
ガラガラと音を立てながら、教室に中年の担任教師が入ってくる。
ホームルームが始まると、巧真たちを待ち受ける『なにか』へのカウントダウンのように、時計の針がカチリと動き出すのだった。