第1話 半人半鬼
ありふれた日常。
いつもと変わらない学校生活。
逢坂功真は私立桜瀬学園高等部・二年二組の教室で、現実から逃避するように机に突っ伏していた。
誰かに声を掛けられることもなければ、巧真からクラスメイトに語りかけるつもりもない。
おそらく、幼馴染の木羽詩織を除いた生徒たちは、教室の壁際最後列の席でどんよりと狸寝入りしている少年になど興味の欠片もないだろう。
つまり、今年で満十七歳となる逢坂功真は、そういう人物だった。
いじめられているわけではない。
なにかトラブルを起こしたわけでもない。
学園内で恐れらる不良番長というわけでも勿論ない。
ただひたすらに影が薄くて、存在感がないだけの一般生徒である。
そのことを詩織はえらく気に掛けているが、当の巧真としてはこれでいいと思っていた。
誰かと関わるのは苦手だ。幼馴染の詩織とはいまでも交友を続けているが、それさえ彼女が一方的に巧真を構っているだけでしかない。
巧真の正直な心境としては、いつか彼女との友人関係も砕け散るのではないかと怯えている状態だった。
端的に言えば怖いのだ。
一緒に笑ったり、一緒に喜んだり、そんな素晴らしい繋がりを構築したとしても、なにかの拍子に全てが崩れると考えると恐ろしい。
だから功真は純粋に他者との交流を避けている。
なにもかも拒絶することで、万が一の崩壊が起こらないようにしている。
そうしなければ生きていられない。それだけのものを抱え込んだ巧真の自己防衛の結果が、いまのこの状況を作ってしまったのだ。
もっとも、それでも孤独というわけではなかった。
ふと耳を澄ませば声が聞こえてくる。
ホームルーム前の教室ではクラスメイトたちが陽気に雑談をしている。
最近流行りのアーティストだとか、昨日見たテレビ番組の批評批判だとか、また勤勉な生徒は頭が痛くなるような問題を出し合って知力を競っているようだ。
そういった会話の中でふと気になったのはとある噂だった。
なんでも、本日この私立桜瀬学園高等部に、転入生がやってくるらしい。
情報収集に自信のある生徒が言うには、巧真たちより下の学年で女子とのこと。
「超絶かわい子ちゃんだった!」
というのは、実際に転入生らしき少女を目にしたという男子生徒の弁だ。
周囲の人間を避ける巧真であるが、思春期の男子としてかわいい転入生の噂は気になる。
だが違う。いま聞きたかった声は、クラスメイトの他愛のない雑談でもなければ、転入生の噂でもないのだ。
(おい、ホームルームまで話付き合えよ)
『断る。主の後ろ向きな思考に巻き込まれる妾の身にもなってみるがよい。楽しく談笑できる気分ではなくなるわ』
胸中で呟いた言葉に返答があった。
シャランと鈴の音のように美しい声で、まるで頭の中に直接響いてくるようなものだった。
それはクラスメイトの誰かが発した肉声ではない。
巧真にのみ伝わってくる思念のようなものだ。
無論、それは巧真が孤独感から生み出した妄想の産物、などではない。
彼女はたしかにココにいる。
(そう言うなっての。俺とおまえが共存するようになってから一年経つんだ。お喋りの相手がおまえしかいないってわかってるだろ?)
『たわけたことを。主にはお節介な小娘がいつもくっついておるだろうに。そもそも学徒なら学徒と仲良くすればよい』
(……詩織にこっちから話しかける気はない。それにクラスメイトに仲良いヤツがいないのは、俺と一心同体してるおまえが一番理解してるはずだ)
『仲良しがおらんのは主の臆病のせいであろうて。一応言っておくが妾に一切責任はないからな』
(……誰もおまえを責めてないだろ)
そう答えながらも巧真は気付いていた。
己がこのようなつまらない学園生活を送っている原因は、同じ肉体に同居する鬼のお姫様のせいだと心のどこかで思っていたことに。
彼女との出逢いは約一年前のこと。
そのとき、ただの人間だった巧真は、妖怪変化のいざこざに巻き込まれて、為すすべもなく命を落とした――はずだったのだが、どこかの鬼姫様の気まぐれで妖怪の押し付けられ、なんだかんだで生き続けている。
半分人間で、半分鬼という、歪で中途半端な存在として。
それ以来、巧真は自分が人間でない後ろめたさから、周囲と距離を置くようになった。
『おいおい、巻き込まれたとは言うが最初に首を突っ込んできたのは主だろう。それに状況が状況であったとはいえ被害者は妾のほうだぞ。なにせ『殺鬼姫』ともあろう妾が、このようなへっぽこな肉体に同化するはめになったのだからな!』
(……へっぽこで悪かったな)
純粋な人間ではなくなってしまった巧真と同じで、自らを殺鬼姫と名乗る鬼のお姫様もまた妖怪として権威の大部分を失っている。
それまでの自分自身を失ったのはお互い様で、ならばそうなった責任の押し付け合いをしても不毛なだけだろう。
なにより、命を助けられている以上、巧真は肉体の同居人に文句を言える立場ではないのだ。