第2話 討滅任務
首都近郊にある地方都市。
東の空から太陽が昇り始めてまだ間もない頃。
通勤通学でせわしく足を動かす人々の波に混じって、一人の少年がどんよりと歩みを進めていた。
私立桜瀬学園高等部の男子制服を着込んだ彼もまた、その服装からわかるとおり通学途中の学生である。
そのすぐ隣――。
少年の傍らを並んで歩くのは、同じく私立桜瀬学園高等部の女子制服を纏った少女だった。
山吹色に染められた髪はハーフアップに結わえられ、指先の爪には薄くマニキュアが塗られている。自分磨きに余念がないと一目でわかる容姿でありながら、どことなく品があるようにも思えるのは化粧に無駄がないからだろう。
雰囲気だけなら良い意味で女子高校生とは思えないが、しかし制服を着ているせいで大人ぶっているだけにしか見えない。
少女が少年になにか語りかけているが、一方で少年はそれを鬱陶しそうに聞き流していた。
「あんた、いい加減に愛想良くしなってば。そんなムスッとしてないで、小学生の頃みたいににぱーっと笑ってみなさいよ」
「楽しくもないのに笑う必要なんてないだろ」
少年の素っ気ない返答に火を点けられたように、少女は周囲の通行人の目も気にせずに声のボリュームを大にした。
「そんなんだから、高校入ってからあたし以外に友達できないんでしょうが! クラスの中で自分がなんて呼ばれてるのか知ってる?」
「根暗野郎、不幸顔、あとは幽霊とか死神とかもあったか」
「そうよ! それから――って、わかってるなら、なんでそんな平気な顔してられんのよ!」
「他人からどう思われようと知ったことじゃない。俺としても他人と関わるのは苦手だから、向こうから遠ざかってくれるなら嬉しいくらいだよ」
「巧真、あんた、やっぱり五年前のこと……そりゃあの一件はあたしもショックだったけど、だけどもう過去のことでしょ! 忘れろなんて言えるわけないけど、いまは現在に目を向けて生きるべきじゃないの!?」
「五年前のことは……遥希のことは関係ないって、いつもそう言ってるだろ」
少年が呟くように告げると、まくしたてるように叫んでいた少女は、失言だったと口を手で覆った。
バツが悪そうに表情に影を落とすと、一転した弱々しい声で謝罪の言葉を少年の耳に届ける。
「ごめん。ちょっと余計なことまで言い過ぎた」
「いや、べつに気にしてねぇけどさ。でも本当にあの一件といまの俺の状況は関係ないんだ。俺がクラスに馴染めないでいるのは俺自身のせいであって、あいつのせいじゃない。だから、詩織もあいつのことは責めないでくれ」
「……あたしだって、いなくなったハルに文句を言う気はないっての」
「……そうか。だったらいい」
そこで両者の会話は途切れた。
残されたのはひたすらな沈黙と、どことなく重苦しい足音だけだった。
◇
ふわりとした春風が吹き抜ける。
その流れに乗って一羽の鳥が羽ばたいていた。
全長80センチほどの鳥はくちばしから尾羽まで青白く発光している。目を凝らしてみれば、羽毛も皮も肉も骨もなくて、全身がうっすら透き通っているのがわかる。
五階建てのビル屋上。
そこに立ち、眼下の人々を見渡していた一之瀬桃香が、そっと手を伸ばした。すると優雅に羽ばたいていた霊体の鳥が少女の細い腕にとまる。
「おかえり。偵察ありがとね」
桃香が労いの言葉を掛けると、使役霊獣たる鳥ははたはたと羽を揺らして、それからすっと溶けるようにして姿を消した。
ふう、と少女は息を吐き出す。
第零特務機関とはまるで空気が違う。
人の数が多いのはもちろん、物々しく並び立つ鉄筋の建物も桃香には馴染みがなくて慣れないものだった。
外の世界のことは資料で学んでいたが、実際に己の足で訪れてみるとそこは別世界のようにも感じられた。
師である沙耶の言っていた意味が、なんとなく理解できた気がする。
この騒がしい街並みの中で生まれ育った御剣沙耶からしてみれば、たしかに第零特務機関は異常なまでの静寂に包まれていただろう。
彼女とは逆の立場にある桃香としては、外の世界の騒々しさこそ好きになれそうになかった。
「さて、任務に取り掛かりましょう」
そう声にして桃香は気を引き締めた。
この街にいつまでも留まるわけではない。
大巫女から与えられた浄滅師としての初任務さえ終われば帰ることができる。つまるところ息苦しい土地に長居したくないのならば、一刻でもはやく仕事を完遂させろということだ。
大巫女から告げられた任務内容を、桃香は無意識のうちに脳裏に思い起こしていた。
――『怪魔殺しの鬼姫』の異名を持つ鬼種怪魔を討滅し、土地の霊脈を汚染している瘴気を浄化せよ。
その言葉と共に受け取ったものがある。
桃香は胸に下げた蒼玉のペンダントをぎゅっと握り締めると、自らに確認するように言葉を紡いだ。
「ターゲットの顔は使役霊獣で確認しました。まるで人間のように普通の生活していましたし、一緒にいた御友人に邪魔をされなければいいのですが……ともかく、本日さっそく接触を試みましょう」
既に桃香はそのための準備を済ませてあった。
予定通りに事態が進んでいけば標的との接触は成功するだろう。
異名持ちの怪魔が果たしてどれほどの強敵か予測できないため当初は緊張していた。
しかし、桃香の抱えていた不安は、他でもない標的自身が払拭してくれた。
端的に言えば、使役霊獣の視界越しに桃香が見た標的の姿は、とても弱そうだった。
見た目はもちろん身にまとう雰囲気までもが、ごく普通の人間と同等でしかなかったのだ。
昨晩は初任務に臨むことへの興奮と緊張で眠れず、そして食事も喉を通らない始末だったが、こんなことならばもっと落ち着くべきだったと桃香は後悔する。
ため息を吐き出しながら、慣れないプリーツスカートを翻して、桃香は動き出した。